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4/12

ご主人様は魔女

 第三王子を無事に王宮まで送り届け、ザックの護衛としての仕事は終了となった。


 別れ際、なぜか第三王子から「本当に大丈夫?」と何度も念を押されたが、何がそんなに心配なのか、ザックにはさっぱり分からない。


 王宮を出て正門へ向かう途中、見覚えのある白髪が目に入る。ラヴィニアだ。


 門の脇に佇み、こちらを待ってくれていたらしい。


 その姿を見つけた途端、ザックの顔がぱっと明るくなった。


「ラヴィニアさま——」


 嬉々として駆け寄ろうとして、ふと足を止めた。


 そういえば、大事なことを伝えていない。

 

 衣食住についても聞いていないし、自分の希望も言ってない。それに、これまで奴隷契約を結ぼうとして失敗したことも、まだ説明していない。


 ザックは先ほどまでの勢いを失い、幾分慎重な足取りでラヴィニアのもとへ向かった。


「お待ちしていました」


 ラヴィニアの前まで来ると、ザックはどこか気まずそうに視線を泳がせた。


「あの、ラヴィニア様。俺、先に言っておかないといけないことがありまして」


「何でしょう?」


「奴隷になったあとの生活についてです」


 ラヴィニアは何も言わず、続きを促すようにザックを見つめる。


「飯はちゃんと食いたいです。寝るところも欲しいですし、できればベッドがいい。風呂にも入りたいです」


「ええ」


「意味もなく殴られるのは嫌です。死ねという命令も遠慮したいです」


「当然でしょう」


「おお……」


 その返事に、ザックの顔からわずかに緊張が抜けた。


「それと……」


 そこでザックが言葉を止める。


「まだあるんですか?」


「こっちの方が大事かもしれません」


「?」


 一度考えるように口を閉ざしてから、ザックは改めてラヴィニアを正面から見た。


「俺、奴隷契約の魔法を弾いちゃうんですよ」


「……弾く?」


「はい。身体が勝手に、外から入ってくる魔力を弾くようでして」


 ラヴィニアがわずかに眉を上げる。


「あなた自身が拒んでいるわけではないのですね?」


「全然。むしろ受け入れる気満々なんですけど」


「そうですか」


「契約するには、それより強い魔力を流し込んで、無理やり押し切るしかないらしいです」


「なるほど」


「それで俺、今までの奴隷契約失敗してまして……」


「まあ」


 ザックは困ったように眉を下げる。


「なので、俺が奴隷になりたくないとかじゃないんです。身体が勝手に抵抗するだけで」


「分かりました」


「結構な魔力が必要みたいなんですけど……」


 そこまで言うと、ザックはラヴィニアの顔色を窺うように首を傾けた。


「それでも、大丈夫ですかね?」


「問題ありません」


 あまりにもあっさりとした返事だった。


「おお……!」


「では、話も済んだことですし」


 ラヴィニアはそれ以上この話題に触れることなく、ザックへ手を差し出した。


「さあ、私の家に帰りましょう」


「はい!」


 ザックは迷いなくその手を取る。


 自分の手よりもずっと小さく、すべすべとした手だ。


 思わずその感触に気を取られていると、二人の足元から眩い光がぶわりと広がった。


「お?」


 何事かとザックが視線を落とす間にも、光は勢いよく膨れ上がり、二人の身体を包み込んでいく。


 次の瞬間、眩い輝きが弾ける。


 光が収まった頃には、ラヴィニアとザックの姿は跡形もなく消えていた。

 

 ◇


 足元を覆っていた光が薄れ、ザックはゆっくりと目を開けた。


「…………おお」


 先ほどまで目の前にあった王宮の正門は、跡形もなく消えている。代わりにザックが立っていたのは、見知らぬ室内だった。


 広々とした部屋には落ち着いた色合いの家具が並び、壁際には天井近くまで届く本棚がいくつも置かれている。


 そのほとんどが分厚い本で埋め尽くされ、ところどころに見慣れない魔導具や、用途の分からない瓶が混ざっていた。


 いかにも魔女の家らしい。


 物珍しそうに周囲を見回していると、隣に立っていたラヴィニアがザックの手を離した。


「到着しましたよ」


「ここがラヴィニア様の家ですか?」


「ええ」


 王宮から一瞬で移動したことも十分驚くべきことなのだろうが、それよりも今は、これから自分が暮らすことになる場所の方が気になった。


「今日から俺もここに住むんですよね?」


「そのつもりですが」


「おお……!」


 途端にザックの顔が明るくなる。


 ついに自分は、主人のいる生活を手に入れたのだ。


「嬉しそうですね」


「そりゃもう!」


 ザックは満面の笑みで頷いた。


「念願の奴隷生活ですから!」


「そうですか」


 ラヴィニアは相変わらず落ち着いた様子で答えると、改めてザックへ向き直った。


「では、まず……」


「はい!」


 初めての命令が来る。そう思った瞬間、ザックは期待に満ちた顔で背筋を伸ばした。


 何を命じられるのだろう。掃除か。荷物運びか。それとも、さっそく何か仕事を任せてもらえるのか。


 そんなザックを見つめながら、ラヴィニアは静かに口を開いた。


「服を脱ぎなさい」


「はい!」


 反射的に返事をしてから、ザックが止まった。


「……はい?」


「服です」


 ラヴィニアの表情は変わらない。


「すべて脱いでください」


「……全部ですか?」


「すべて」


 ザックは自分の身体を見下ろし、それからラヴィニアを見る。


 (まあ、いいか!)


 三十六歳にもなって、今さら裸のひとつやふたつ、何を恥じることがある。


「分かりました!」


 腹を括るまでが早かった。


 ザックはさっそく上着に手をかけると、何の躊躇もなく服を脱ぎ始めた。


 初めての命令は予想していたものとだいぶ違ったが、命令であることに変わりはない。ならば従うまでである。


 上着を脱ぎ、シャツを脱ぎ、ズボンも脱ぐ。そして最後に残った下着にも手をかけ、あっさりと床へ置いた。


「脱ぎました」


「健康状態は問題ありませんね。では、後ろを向いてください」


「はい」


 言われるがまま、くるりと背を向ける。すると背後からラヴィニアが近づいてくる気配がした。


「少し触りますよ」


「どうぞ」


 直後、首の付け根に指先が触れた。


「…………!」


 そこから背骨に沿って、ラヴィニアの指がゆっくりと下りていく。


 ザックは目を見開いた。


 これは、もしかして。


 奴隷というのは、そういうことも……!


「なるほど」


 期待に胸を膨らませているザックをよそに、背中に触れていたラヴィニアの指先から淡い光が漏れた。

 

 その光は背骨に沿うように薄く広がり、やがてザックの身体へ溶け込むように消えていく。


「あなたが契約魔法を弾く原因がわかりました」


 (あ、そっちかぁ)


 ザックの期待はあっさりと霧散した。


 そんなことには気づきもせず、ラヴィニアは再び指先をザックの背中へ滑らせていく。


「身体を巡っている魔力が、普通の人間とはまるで違います。外から魔力が入り込もうとすると、体内を巡るあなた自身の魔力が反応して、反射的に押し返しているようですね」


「へえ……」


「これでは契約魔法が定着しないのも当然です」


 ラヴィニアはザックの肩甲骨のあたりで指を止めた。


「あなた、何か特別な修行でもしていましたか?」


「いや、してないですね」


 即答だった。


「そうですか……。ですが、自然にこうなったとは考えにくいですね」


「うーん……」


 ザックは記憶を探る。


 修行と呼べるようなことをした覚えはない。剣や体術ならともかく、魔力に関して特別な訓練を受けた記憶など……。


 「ああ」


 ふと、ひとつ思い出した。


「強いて言うなら、子供の頃から変なことはやってましたね」


「変なこと?」


「近所に住んでた爺さんに教えてもらったんですよ。『身体の気を強くする方法』とかなんとか」


「どのような?」


「ええと……」


 ザックは遠い記憶を辿りながら説明する。


「まず、腹の奥に気が集まってるところを想像するんです。そこから胸、肩、腕って流して、指先まで行ったらまた身体の中心に戻す。次は腰から脚に流して、足先まで行ったらまた戻す」


「…………」


「それを何回か繰り返したあと、今度は頭の先から足の先まで、気が全身をぐるぐる巡ってるところを想像するんです」


 話しながら、ザック自身も改めて思う。


 やはり怪しい。


「それを毎日やってれば、身体の気が強くなるって言われまして」


「それで、実際に?」


「やってましたよ。子供だったんで信じちゃって」


「どのくらい続けたのですか?」


「今もやってます」


 ラヴィニアの指が止まった。


「今も?」


「はい。寝る前とか、暇なときとか。もう癖になってるんで」


「いつ頃から?」


「十歳くらいだったかなぁ……」


 ザックは現在の年齢から逆算する。


「じゃあ、二十五、六年くらいですね」


 今度は、先ほどよりも長い沈黙が落ちた。


「ラヴィニア様?」


「ザック」


「はい」


「おそらく、それです」


「え?」


 思わず振り返ろうとすると、背中に添えられた指で止められた。


「そのままで」


「あ、はい」


 ザックは素直に前へ向き直る。


「あなたが想像していた『気』というものは、おそらく魔力です。実際に体内の魔力を動かし、全身へ循環させていたのでしょう」


「ほお?」


「それを二十五年以上も繰り返した結果、体内の魔力循環が通常では考えられないほど強固になっている。意識して抵抗しなくとも、外部から侵入してきた魔力を身体が異物として押し返すほどに」


「…………」


 ザックは黙り込んだ。


 二十五年以上、ただの習慣として続けてきたことが、まさかそんな作用をもたらしていたとは思わなかった。


 しかも、そのせいで自分は奴隷契約に何度も失敗している。


「…………あの爺さん」


「?」


 ザックの眉間に、じわじわと皺が寄っていく。


「余計なこと教えやがって!」


「…………」


「おかげで俺、何度も奴隷になり損ねたじゃねえか……!」


 心底恨めしそうな声だった。


 ラヴィニアはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。


「普通は感謝するところでは?」


「どこがですか!」


「二十五年以上も続けた結果、これほど強い魔力抵抗を得たのでしょう?」


「奴隷契約まで弾いてどうするんですか!」


「それは……」


 ラヴィニアが珍しく言葉に詰まる。


「あのジジイ、天国であったら文句言ってやる……」


 ザックは裸のまま、遠い過去の老人に恨み言を吐いた。


「まあ、原因が分かったのなら話は早いですね」


 ラヴィニアはザックの背中から指を離した。


「では、さっそく奴隷契約を結びましょう」


 その言葉に爺さんへの恨みなど、一瞬で吹き飛んだ。


「はい!……俺、何すればいいですか?」


「こちらを向いて、そのまま動かないでください」


「分かりました!」


 ザックが向き直ると、ラヴィニアはその胸元へ片手を向けた。

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