報告します
ザックは久しぶりに街を歩いていた。
片手には、ラヴィニアから渡された買い物のメモ。もう片方には、いくつかの店を回って買い集めた品が入った大きな袋を提げている。
今日はラヴィニアに頼まれ、街までお使いに来ていた。
「次は……薬草店で三束っと」
メモを確認し、迷うことなく通りを進んでいく。
最後の店で頼まれていた品を受け取ると、メモに書かれた項目すべてに印をつけた。
「よし。完璧!」
これでお使いは終了。
あとは帰るだけ——ではない。
街へ行くと知ったラヴィニアから、
『せっかくですから、以前お世話になった方に奴隷になった報告でもしてきたらどうです?』
と言われている。
もちろん、その指示にも従うつもりだった。
向かう先は、職業紹介所。奴隷になる前、ザックが何度も足を運んだ場所である。
◇
「こんにちは!」
職業紹介所の扉を開けると、受付に座っていた女性が顔を上げた。
「いらっしゃいま——え!?ザックさん!?」
「お久しぶりです!」
「お久しぶり、というか!殿下の護衛依頼のあとからまったく姿を見かけなくて、心配していたんですよ!てっきり何か失礼なことでもして、檻の中にいるのかとまで……」
「俺をなんだと思ってるんですか」
「殿下の前でも奴隷になりたいとか言い出しかねない人です」
「言いましたけど」
「言ったんですか!?」
「はい!」
「何してるんですか!」
「でも捕まってませんよ」
「そこを誇らないでください!」
久しぶりだというのに、相変わらずだった。
受付係は疲れたようにため息をつくと、改めてザックを見る。
「それで、今日はどうしたんです?また仕事を探しに? あ、もううちでは主人は紹介できませんよ」
「いえ、報告に来ました!」
「報告?」
「はい!」
ザックの顔がぱっと明るくなる。
「俺、奴隷になれました!」
受付係の表情が止まった。
「……え?」
「やりました!」
「なんで就職が決まったみたいに報告できるんですか……」
「しかも、倍率が凄そうな人の奴隷に!」
「就職活動みたいに言わないでください」
「でも本当にすごい人なんですよ。魔女で、めちゃくちゃ強くて、綺麗で、家も大きくて——」
「魔女?」
「はい。ラヴィニア様っていうんですけど——」
「…………」
受付係の表情が固まった。
ザックが奴隷になれた経緯を聞けば聞くほど、先ほどまで呆れ返っていた顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……あの、確認ですが」
「はい?」
「そのラヴィニア様というのは……ラヴィニア・アステリア・ヴァルセイン様、ですよね?」
「そうです!あ、知ってる?」
「し、知ってるも何も……」
受付係は顔面を蒼白にしたまま、しばらく言葉を失った。
「あなた、あの方の奴隷になったんですか!?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか」
どうやら目の前の男は、自分が誰の奴隷になったのか、まるで理解していないらしい。
「ザックさんは、あの方がどんな魔女なのかご存知ですか?」
「色んな所に自分の魔法を放置してることと、見た目によらずご高齢だってことくらいですかね!」
「……その程度なんですね」
「そもそも、俺の人生に魔女との関わり合いがなかったので!」
「まあ、普通に暮らしていればそうでしょうけど……」
受付係はこめかみを押さえた。
「いいですか?あなたのご主人様は、『最凶の魔女』と呼ばれている方なんですよ」
「さいきょう?」
「いいですか?ラヴィニア・アステリア・ヴァルセインといえば、かつて魔王軍の大群をたった一人で消し飛ばしたと言われている魔女ですよ!」
「おお」
「二つの国が何年も続けていた戦争に介入して、たった一夜で終わらせたという話もあります!」
「すごいですね、ラヴィ様」
「感心してる場合ですか!?」
「だって俺のご主人様ですよ?そりゃ嬉しいじゃないですか」
受付係はしばし無言になったあと、ふと表情を改めた。
「でも、そんな伝説より何より、あの方が恐れられている一番の理由は——生み出してきた魔法です」
「魔法?」
「ええ」
受付係が声を落とす。
「この世界で禁術に指定されている魔法は、すべてあの方が生み出したものです」
「…………」
ザックがぱちぱちと瞬きをした。
「禁術……ってなんですか?」
「あー!そこからかぁ!」
ザックの魔法知識は一般常識以下だった。
「簡単に言えば、危険すぎるため使用を禁じられている魔法です!」
「なるほど」
「人の命を奪うもの、大勢を巻き込むもの、国そのものを脅かしかねないもの……とにかく、世に出してはいけないと判断された魔法ですよ」
「へぇ〜」
受付係がザックをまっすぐ見据える。
これだけの話を聞かされても、返ってくるのは相変わらず呑気な返事だった。
けれど、その様子を見ているうちに、受付係の中にあった心配も少しずつ薄れていく。
少なくとも、話を聞く限り無理やり奴隷にされたわけではない。怯えている様子もなければ、助けを求めているわけでもない。
それどころか、先ほどからラヴィニアの話をするたびに嬉しそうにしている。
「……まあ、あなたがそんな感じなら、大丈夫そうですね」
本人が幸せそうなのだから、これ以上心配するだけ無駄なのだろう。
受付係はそう思うことにした。
「そういえば、ご家族には奴隷になったことを報告したんですか?」
「今からしに行こうかなと」
「そうですか」
受付係はなんとも言えない顔でザックを見つめた。
息子から「奴隷になった」と報告される家族の心境を思うと、なんともいたたまれない。
「……ご家族も大変ですね」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
「そうですか。じゃあ、行ってきます!」
受付係の同情を置き去りにして、ザックは満面の笑みで職業紹介所をあとにした。
◇
職業紹介所から実家までは、それほど遠くない。
見慣れた道を歩き、いつものように家の扉を開ける。
「ただいまー」
つい数週間前まで暮らしていた家だ。離れていた期間も短く、懐かしさなど微塵もない。
ザックは慣れた足取りで家の中へ入っていく。
「あんた!」
聞き慣れた声に顔を向けると、母親がものすごい形相でこちらへ歩いてくる。
「おお、母さん。久しぶ——」
まだ言い終えないうちに、頭上に大きなゲンコツが降ってきた。
「いったぁ!?」
「あんた、連絡もしないでどこふらついてたの!」
ザックは殴られた頭を両手で押さえながら、その場にしゃがみ込む。
「いや、色々あって」
「色々あったなら連絡しなさい!」
「はい!すみません!」
「母さんがどれだけ心配したと思ってんの!」
「ごもっともです!」
数週間ぶりの実家で最初に受けたものは、母親の温かい出迎えではなく、容赦のない拳だった。
母親は料理の途中だったらしく、片手にはゴムベラが握られている。
「仕事も辞めて、ふらふらして!いい歳して何やってんのよ!」
「すみません」
ザックの背筋が伸びる。
「まったく……。あんたもいい歳なんだから、いい加減ちゃんと自分で将来を考えて動きなさい」
「…………」
ザックはなんとも言えない顔をした。
それが面倒なのだ。
何をするのか。どこへ行くのか。どんな仕事をするのか。自分で考えて、選んで、決める。
できないわけではない。ただ、ひたすらに面倒くさい。
「あ、でも、そのことで帰ってきたんだけど」
「あら、いい仕事でも見つかった?」
「うん。俺、奴隷になったから」
「は?」
「ほら」
ザックは服の裾を掴み、勢いよく捲り上げた。
身体に刻まれた奴隷契約の紋様が露わになる。
「これ、奴隷の紋様。ちゃんと契約できたんだよ」
「…………」
「すっごい美人のご主人様」
母親はしばらく無言でその紋様を見つめていた。
そして、ゆっくりとゴムベラを握り直す。
「あんた……」
「ん?」
「ついに馬鹿やったね!」
バシンッ!
「痛っ!」
「何考えてんのよ、この馬鹿息子!」
バシンッ! バシンッ!
「痛い痛い!母さん!」
「自分で考えて動けって、何度言ったら分かるの!」
「だから考えなくてよくするために奴隷になったんだって!」
「この馬鹿!」
バシンッ!
「痛い!」
ザックは腕を庇いながら後ずさった。
「待ってって!ちゃんといい主人だから!」
「そういう問題じゃない!」
「飯も出るし、寝る場所もある!風呂にも入れる!服だって用意してくれるんだぞ!ほら!」
ザックは両腕を大きく広げ、自分の格好を見せつけた。
「俺の着てる服!ちょっと上品でしょ!」
「…………」
「これ全部、ラヴィ様が用意してくれた!」
どうだ、と言わんばかりに胸を張る。
確かに、今のザックが身につけているものは以前よりもずっと上等だった。
派手ではないが生地も仕立てもよく、主人のそばに仕える者として恥ずかしくない格好をさせてもらっている。
それに、奴隷になったという割には、身体のどこにも傷らしい傷はない。それどころか、以前より少し肉付きがよくなり、顔色まで良くなっている。
少なくとも、酷い扱いを受けているようには見えなかった。
「俺、今かなりしあわ——」
そこまで言って、ザックは口を閉じた。
いつまで経っても、ゴムベラが飛んでこない。
「……母さん?」
母親は俯いていた。よく見れば、その目から涙がこぼれている。
「なんで泣いてんの?」
「泣いてないわよ」
「いや、泣いてるじゃん」
「うるさい」
母親は鼻をすすり、ゴムベラを握ったまま袖で目元を拭った。
「……母さんはね、あんたにそんな服を着せてくれる人を探してほしかったわけじゃないの」
「…………」
「ちゃんと仕事して、自分で稼いで、自分の好きなように生きてくれれば、それでよかったのよ」
ザックは困ったように眉を下げた。
「俺の好きな人生は、今この状態だよ」
「……分かったわよ」
母親はもう一度目元を拭う。
「じゃあ」
「それと母さんが嫌なのは別!」
「はい!」
反射的に背筋が伸びる。
「自分の息子が奴隷になって、喜ぶ母親がどこにいるのよ……」
「…………」
「あんたが幸せなら、それでいいって思いたいけど……母さんは嫌よ。やっぱり嫌」
「……そっか」
「そうよ」
ザックはしばらく母親を見つめたあと、その手に握られたままのゴムベラへと視線を落とした。
「……もう叩かない?」
「この馬鹿息子!」
バシンッ!
「痛っ!」
◇
「というわけで、めちゃくちゃ母親に叩かれました」
その日の夕食。
一日の出来事を報告しながら、ザックは袖を捲り上げた。
「見てください、これ」
差し出された腕には、まだうっすらと赤みが残っている。
ラヴィニアはそれを一瞥した。
「そりゃそうなりますよ」
「ラヴィ様まで!?」
「三十六歳の息子が突然帰ってきて、奴隷になったと報告したのでしょう?」
「はい」
「それも、嬉しそうに」
「はい!」
「叩きたくもなるでしょうね」
「そんな……」
ザックはしょんぼりと袖を戻した。
「でも、ちゃんと待遇がいいことも説明したんですよ」
「それで?」
「また叩かれました」
「でしょうね」
「なんでですか」
「あなたには一生分からない気がします」
「ひどい」
不満そうにしながら、ザックは夕食を口へ運んだ。
「……あと、最後は泣かれました」
ラヴィニアの手が止まる。
「泣かれた?」
「はい」
ザックの声が少しだけ落ち着いた。
「自分の息子が奴隷になるのは、嫌だって」
そう言って、ザックは再び食事を始めた。
ラヴィニアは何も言わず、その姿を見つめる。
ザックは成人した男であり、自ら望んで奴隷契約を結んだ。
誰かに強制されたわけでもなければ、本人が後悔しているわけでもない。
ならば、家族がどう思おうと、本来ラヴィニアが気にすることではない。
——ないのだが。
泣いていたという母親のことが、どうにも引っかかった。
「……一度、ご挨拶に伺ったほうがいいでしょうか」
「ぶっ!」
ザックが盛大にむせた。
「ラ、ラヴィ様が!?」
「なんですか、その反応は」
「いや、だって……母さんのところに?」
「ええ」
ラヴィニアは当然のように答えた。
「お母様がそこまで心配されているのであれば、あなたがここでどのように暮らしているのか、私から直接説明したほうが安心するでしょう」
「…………」
「それに」
ラヴィニアは一度言葉を切り、ザックを見る。
「あなたを奴隷として迎え入れたのは私ですから、一度くらいご挨拶しておいてもいいでしょう」
「ラヴィ様……」
「何か?」
「俺はラヴィ様が主で良かったです!」
「そうですか」
ラヴィニアは小さく笑うと、再び食事へと手を伸ばした。
どうして自分が奴隷の母親に挨拶へ行こうとしているのか。改めて考えてみれば、随分とおかしな話である。
けれど、泣いていたと聞いてしまった以上、そのまま放っておくのも少しばかり寝覚めが悪い。
少なくとも、息子がどのような暮らしをしているのかくらいは、自分の口から伝えておいたほうがいいだろう。
「近いうちに伺いましょう」
「はい!」




