第四十九話 地球へ
チセイの映像がふっと途切れた。
すると、手の中のキューブが脈打つように光り始める。
次の瞬間、光は無数の数字へと姿を変え、宇宙船の壁一面へ降り注いだ。
視界いっぱいに広がる数式。
まるで星空の中へ放り込まれたみたいだった。
「すげぇ……」
思わず息を呑む。
「星空みたいだ」
「任せて!」
隣では、エチカが胸を張っていた。
「エチカがぜーんぶ解いちゃう!」
言うが早いか、彼女の指が宙を踊る。
光の線が数字を次々と結び、数式が音もなく組み替えられていく。
「できた!」
「……は?」
あまりにも早かった。
「もう終わったのか?」
「うん!」
エチカは満面の笑みで頷く。
「あとは、このボタンを押すだけ!」
緑色に光るスイッチを指差した。
「はい! ジーノに譲る!」
「……押す権利を?」
「うん!」
どうやら彼女なりのご褒美らしい。
基準はさっぱり分からない。
「まあ、いいか」
俺は苦笑しながらボタンを押した。
カチッ。
すると宇宙船が獲物へ飛びかかる獣みたいに急加速した。
その直後だった。
プルルルルル――。
「ん?」
エチカのポシェットから電子音が鳴る。
ごそごそとポシェットを漁り始めた。
「あれ? スマホどこだっけ……あった! もしもし! エチカです!」
『博士ーーーーーーっ!!』
「うおっ!」
鼓膜が破れるかと思った。
どう聞いても男の叫び声だ。
「アマタギ!」
エチカは嬉しそうに笑う。
「どうしたの? そんな大きな声出して」
『どうしたの? じゃありません!!』
電話の向こうで悲鳴が返ってくる。
『博士、今どこにいるんですか!?』
「えっとね」
エチカは窓の外を眺めた。
「さっき惑星スラグを出たところ!」
『……はい?』
「今はねぇ……」
首を傾げる。
「どの辺だろ?」
『いや、そこが重要なんですが』
「分かんない!」
即答だった。
「でも地球に向かってるよ!」
『惑星……スラグ……?』
電話越しでも分かった。
アマタギという人の心が、音を立てて折れたのが。
「でもね!」
エチカは楽しそうに続ける。
「友達できたんだ! ガン爺でしょ! エッちゃんでしょ! それからジーノでしょ……」
電話の向こうから長いため息が聞こえた。
『まあ……帰ってくるなら結構です』
疲れ切った声だった。
『どうせ現在地は把握しているんでしょう?』
「うん!」
『言わないのは、私が到着時刻を計算できるからですよね?』
「うん!」
エチカは自信満々に頷いた。
「お前……」
悪びれる様子は一切ない。
『博士が留守の間、仕事はすべて終わらせました』
「ありがとー!」
エチカは満面の笑みで答える。
「あ、それとね!」
『まだありますか』
エチカは機体のキーボードを叩きながらハキハキと答えた。
「惑星スラグに支援物資送れるよう、政府にお願いしといて!」
『……はい』
「宛先はエッちゃん!」
『承知しました』
こんな無茶振りを断らないのか。
この人、完全に慣れてる。
『惑星スラグ周辺の異常軌道は解決したんですね?』
「うん!」
エチカは笑う。
「データ送るね!」
『確認後、至急申請します』
一拍置いて。
アマタギは静かに息を吸った。
『それと博士』
「なぁに?」
『私の体液をまた勝手に採取しましたね?』
船内が静まり返る。
『次は本当に許しませんから――』
プツッ。
エチカは無言で通話を切った。
「……」
「……」
俺はゆっくり彼女を見る。
「お前」
「えへへ」
その笑い方はアウトだ。
「待て」
嫌な予感しかしない。
「あのプロテクトゲルって、まさか今のアマタギって人の――」
「えへへへ」
「図星じゃねぇか!」
エチカは笑ってごまかす。
「おい!」
「ジーノ!」
突然、エチカが窓の外を指差した。
「地球だよ!」
視線を向ける。
そこには青い星が浮かんでいた。
どこまでも青い海。
真っ白な雲。
灰色のスクラップに覆われたスラグとは、まるで別世界だった。
「あれが……地球」
「うん!」
エチカが嬉しそうに頷く。
「青いのが海! 白いのが雲!」
「……綺麗だな」
「でしょ!」
それから彼女は笑った。
「でもエチカはスラグも好き!」
ふと、荒れ果てた星を愛おしそうに見つめるエチカへ視線を向ける。彼女の瞳には、この荒廃した世界の向こうに広がる未来が映っているようだった。
「……あれ?」
エチカの笑顔が止まる。
「どうした?」
「着陸地点……」
嫌な沈黙。
「間違えたかも」
「は?」
「地球ではあるんだけど」
エチカはにこっと笑う。
「エチカの知らない場所に降ります!」
「笑うなぁ!!」
直後。
船体が激しく揺れた。
「うおっ!?」
「着陸モード入りまーす!」
「この揺れで!?」
俺は慌ててシートベルトを握り締めた。
「ちょっと我慢して!」
「いや、全然ちょっとじゃ――うぷっ!」
船体が地球の重力へ引き寄せられる。
視界が激しく揺れた。
「ジーノ!?」
エチカの声が遠ざかる。
「ねぇ、大丈夫!?」
胃がひっくり返り、意識が霞む。
慌てふためくエチカの声が遠くから聞こえる。




