第四十七話 忘れないよ
俺とエチカは、反射的に顔を見合わせた。
「ジーノが言ってたミルって人、チセイのことだったんだね」
「ああ、そうらしい」
胸の奥で、何かがかすかに軋んだ。
ミルとチセイ。
二人の知人がまさか同一人物だったなんて。
驚きより先に、長い時間かけて張られていた糸がようやく手繰り寄せられたような、不思議な感覚が押し寄せた。
そんなことを考えていると、壁に映し出されたミルが、まるでそこに本当に立っているかのように自然にエチカに話しかけた。
「久しぶり、エチカ。そろそろ泣き言のひとつも言ってる頃だと思ってさ」
からかい混じりの声なのに、不思議と優しい。
横目で見たエチカの肩が、わずかに震えていた。
「アンタなら私を追いかけてここまで来ると思ってた。でも、これを見てるってことは……残念だけど、私はもうこの世にいないだろうね」
あまりにも淡々と告げるものだから、かえって俺の胸に鋭く刺さった。
エチカは唇を固く結び、ただその姿を見つめている。
「本題に入るよ。惑星スラグの軌道は約三分で変化する。どれだけアンタの頭がキレても、あれをリアルタイムで正確に計算するのは無理だ」
チセイは一呼吸置き、ほんの少し眉を下げた。
「だから、アンタが作ったキューブを少し改造した。私の血を軌道計算機にへばりつけて、膨大な過程をキューブに送り、この星の軌道変化の法則を割り出してもらってる」
その目が画面越しに俺たちを射抜く。
ただの映像のはずなのに、まるで魂だけがこちらを見据えているようだった。
「十年はかかるかもしれない。でも、私の血を使ったから、そこまではいかないと思う。アンタがここに来る頃には、計算が終わってるといいけどね。無意味だと思っていた私の血に混在したナノマシンが、こんな時に役立つなんて夢にも思わなかったわ」
そう言って、チセイはどこか自嘲気味に笑った。
「本当は、アンタなら一年か、半年もすれば突破口を見つけるんだろうけど、私じゃこれが限界だった。それに約束も果たせなかった」
「そんなことない……そんなことないもん。チセイはエチカとの約束守ってくれたもん」
エチカの声は、懐かしいものに触れてしまった子どものように震えていた。
エチカとチセイの間で交わされた約束とは何だったのだろう。
「これで、軌道を抜けられる」
チセイがふっと表情をゆるめる。その笑顔は、彼女がエチカに残せる最後の温もりみたいだった。
「それとね、一つ頼みがあるんだ」
エチカが椅子から跳ね上がりそうな勢いで、身を乗り出した。
「惑星スラグで出会った少年がいる。ジーノ。ジーノ・オルフェイ」
自分の名前が出た瞬間、息が詰まり、思わず俺も前のめりになっていた。
「もし彼に会ったら、地球に連れて行ってあげてほしい。若者には、たくさんの景色を見せてあげるべきだと思うから」
その得意げな笑い方は、まさに俺の知っているミルそのものだった。
「任せて! 絶対に!」
エチカが迷いもなく頷く。
「あとね、これは本当は自分の口で言いたかったんだけど、ジーノに伝えてくれるかな」
チセイは一瞬ためらい、そして、まるで本当に俺がそこにいると知っているかのように、ゆっくりと言った。
「偽名を使って、ごめん。でも私は君にとってのミルでありたいって、思ってた」
その言葉は、胸の奥のどこか深い場所を容赦なく打ち抜いた。 気づけば、頬を一粒の涙が伝っていた。
チセイは照れくさそうに笑う。
「会えてなかったら、誰だよそいつって感じなんだろうけどね」
やわらかい笑みは、あの頃のミルとまったく同じだった。
だけど、もう彼女はこの世界にいない。その事実が、静かに、確実に沈殿していく。
俺たちはもう、ミルにもチセイにも会えない。
「忘れないで……私も忘れないから」
最後の言葉は風みたいに静かで、けれど確かに俺とエチカの胸に届いた。
「忘れないよ……絶対に」
エチカはその言葉を大切に抱きしめるように呟いた。




