第四十話 ジーノとブリアン
「おやおや、ブリアン様。まさか自らおいでになるとは」
ヴァレリーが、いつもの調子で茶化すように言った。
「お前がぐずぐずしているからだ」
ブリアンの声には、苛立ちと、隠しきれない焦りが混じっていた。
そのやり取りを少し離れた場所から眺めながら、俺は胸の奥がざわつくのをどうしても抑えられなかった。
音声越しで何度か聴いた男の声だ。そして幼い頃から、こいつのやってきた事を聞いてきた。だが、目の前のブリアンは違った。冷たさの質が、生身で触れられるほど濃いが、目の奥では、何かを必死に探しているような光が揺れている。
ブリアンは俺を一瞥すると、足音を響かせながらゆっくりと近づいてきた。
その足取りに合わせて、ブリアンの首にかかっている淡い光を放つキューブが揺れている。
「お前は、ルイーズの娘か?」
あまりの言い草に、思わず吹き出してしまった。
「女じゃなくて残念だったな。俺は男だ!」
勢いよくウィッグを引き剝がすと、淡い緑色の髪の下から、自分の青い髪がぱっと解き放たれた。
するとブリアンの目が大きく見開かれた。
だが、その瞳は俺を見ているようで、俺じゃない誰かを見ている。
「そうだ。その色だ。彼女と同じ、鮮やかなコバルトブルー」
その声は、懐かしさと狂気が不自然なほど同居していた。
背筋が粟立った。
幼い頃から聞いてきた権力者ブリアンは、冷酷で自分に付き従うもの以外は興味がない男だと思っていた。
だが今目の前にいるのは、何かを喪い、それでもなお諦められず、歪んだ渇望だけで立っている男だった。
俺ではなく、誰かの代わりとして俺を見ている。そういう視線だ。
「なんだコイツ」
吐き捨てるように言ったが、ブリアンの耳には届いていなかった。
「こいつを確保しろ。その子供は始末して構わない」
「えぇー、僕はこの子の方が興味あるんですけど」
ヴァレリーが退屈そうに返す。
「好きにしろ。私にとってはどうでもいい」
ブリアンの視線は、ひたすら俺に張り付いたままだ。
まるで俺の呼吸の速さまで測っているみたいに。
ヴァレリーがにやりと笑い、ポケットのボタンを押した。
カチリ——
その音が合図だった。
周囲の壁が開き、武装した兵士たちが雪崩れ込んでくる。
同時に研究機器やカプセルがふわりと浮かび、上階へと避難していく。
一瞬で、目の前の空間は無機質な戦場へ変わった。
「似たような光景をさっきも見たな。なぁ、エチカ」
横目で見たエチカの頬は、ぷくっとふくらんでいた。
「お、おい。どうしたんだよ、エチカ」
「もう……」
「もう?」
「もうエチカ、許さないもん!」
彼女の小さな拳が震えていた。
子供が癇癪を起こしたみたいに見える。でもその声には、怒りと悲しみがぎゅっと詰まっていた。
「みんな酷い! 惑星の人たちを実験に使って酷い目に遭わせて、チセイも傷つけて、それにジーノのお父さんもお母さんも!」
エチカの目に涙が溜まっているのを見て、胸が痛んだ。
そして確信した。
今、自分がやるべきことが何なのか。
「エチカ」
俺が名前を呼んだ瞬間、エチカはポケットから何かをつかみ出した。
「いっけぇー!」
色とりどりのスーパーボールが宙に散った。
空中で軌道を描き、金属音を響かせながら変形していく。
床に落ちたときには、もうロボ太郎の軍団になっていた。
カラフルで丸っこい機体たち。
殺伐とした空間の中でそれだけが異様に明るく、どこか楽しげにさえ見えた。
まるで、この世界に突然、夢が降ってきたみたいだった。
ヴァレリーは狂ったように手を叩いて歓喜していた。
「素晴らしい! 地球はすでにここまで進んでいたとは!」
「ロボ太郎たち! エチカとジーノ以外を、やっつけちゃって!」
エチカが叫ぶと、機体たちは一斉に跳ね、兵士へと突撃する。
俺は騒ぎに乗じて、きらりと剣先が光る小型のナイフを取り出した。
あの日、ミルから貰ったナイフだ。
「これは返してもらうぜ」
そしてその混乱のさなか、俺は一歩を踏み出し、ナイフを振り下ろす。
ブリアンはとっさに、先ほどとは別の場所にいる俺の方に目を向けた。そして気付いた。
首に下がっていたキューブは、すでに俺の掌の中にあることを。
キューブを縛る鎖を断ち切った。
「返せ、ルイーズ! その宝石も、お前も、私のものだ!」
ブリアンの悲鳴のような叫びには、恐怖すら混じっていた。
「何、気持ち悪いこと言ってんだ」
俺は一呼吸置き、はっきりと言った。
「このキューブも、俺の母さんも、俺自身も、お前のものなんかじゃない」
ブリアンがさらに何か叫んでいたが、もう耳に入らなかった。
胸の奥に絡みついていた澱みが、すっと消えていった。
そのとき、頭上から声がする。
「行こう、ジーノ! ここにいちゃダメ!」
ロボ太郎の肩に乗ったエチカが、必死に手を伸ばしていた。
その姿が一瞬、光に包まれ、別の存在のように見えた。
「あぁ、行こう」
俺はキューブをエチカの首にかけようとした。しかし、鎖をナイフで切ったことを忘れていた。
それに気づいたエチカは、ポシェットから白いリボンを取り出す。
ジーノは器用にそのリボンをキューブの金具に取り付けて、エチカの首にかけた。
「ありがとう、ジーノ」
「お安い御用だ。お前に散々助けてもらってるからな。そのぐらいの借りは返さねぇと」
「えへへ」
エチカは嬉しそうに笑った。
その笑顔は、この場所にこびりついた闇を溶かしていくようだった。
「でも軌道計算機は?」
「今、一生懸命計算してるから大丈夫!」
彼女はピースサインをしてみせる。
「はぁ、十年掛かるんだろ……まぁ、お前が言うんなら信じるしかねぇな」
「ロボ太郎! 天井を突き破って地上へ行って!」
エチカの号令で、ロボ太郎が拳を突き上げる。
轟音とともに天井が砕け、光が滝のように流れ込んできた。
「うわぁ!」
思わず声をあげた。
上昇するロボ太郎の肩から下を見ると、カラフルな機体たちがまだ戦っている。 その光景は、まるで飴玉が踊っているみたいだった。
やがて、外の空が開ける。
いつものスラグの空。
鉄錆色の雲が遠くで鈍く光っている。
「なぁ、エチカ」
「どうしたの?」
「俺、何も知らなかったんだなって」
「うん! エチカもそうだよ! わかんないことがい〜っぱい!」
エチカは笑う。
「でもね、知らなかったことを知って、悲しくなることもあるけど——」
空を見上げ、さらに笑顔を広げる。
「それでも、知ることができて良かったって思えることも、たくさんあるんだよ!」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「そうだな。そうだと、いいな」
ロボ太郎は俺たちを乗せ、夜明け前の空を弧を描くように進んでいった。
流れ星みたいに、静かに、まっすぐに。




