第三十三話 チセイとブリアン
深くフードを被った女が、薄暗い広間の中央に静かに立っていた。
影のように動かず、それでいて存在感だけが異様に濃い。
口元には薄い笑み。
だが、その視線は真っ直ぐこちらを射抜き、まるで心臓を直接掴みにくるようだった。
「久しぶりね、ブリアン」
柔らかな声だった。
だが、その奥にある挑発を隠す気はまるでない。
「あぁ、久しいな」
私は鼻で笑う。
「てっきり尻尾を巻いて地球へ逃げ帰ったと思っていたが。まさか、わざわざ戻ってくるとはな」
女は怯まず、むしろ楽しげに口角を吊り上げた。
「逃げられるわけないじゃない」
一歩、こちらへ踏み出す。
「アンタがこの惑星の軌道を狂わせてるんだから」
その言葉に、胸の奥がざらつく。
私は冷たく吐き捨てた。
「寝言は寝て言え。それより、なぜ戻った。お前ほどの女なら、静かに隠れていれば生き延びられただろうに」
すると女は、勝ち誇ったように目を細めた。
「見つけたのよ。アンタが隠してる“軌道計算機”をね」
わずかに心臓が跳ねた。
「へぇ。今、動揺した」
「くだらん」
私はすぐに表情を戻す。
「そんな戯言で私が揺らぐと思っているのか」
「戯言じゃないわ」
女はゆっくり首を傾けた。
「私は何年も潜伏して調べてきたの。地球の科学を甘く見ないことね。時間はかかったけど……ちゃんと成果は出たわ」
その自信に満ちた口調も、こちらを見下すような目も気に食わない。
「なら、なぜ黙って奪わなかった?」
私は低く笑う。
「こうして私の前に出てきた時点で、お前の負けだ」
「ふふっ……アンタって結構バカなんだね」
その瞬間、胸の奥で何かが切れた。
「――殺せ!」
私の怒声が広間に響き渡る。
待機していた私兵たちが一斉に動いた。銃口が女へ向く。数十人に囲まれ、逃げ場などどこにもない。
だが、女は小さく笑っただけだった。
「やっぱり、そう来ると思った」
そして、誰かに語りかけるように呟く。
「あとは――よろしく」
次の瞬間、一筋の閃光が走り、視界が真っ白に弾けた。
「なっ――!?」
熱風が頬を焼き、衝撃が床を揺らす。兵士たちの悲鳴と怒号が耳をつんざいた。
「うわぁぁっ!」
「何だこれは!?」
「状況を報告しろ! 早く!」
ようやく目を開けた時、女の姿は消えていた。
残っていたのは、肉片と鮮血が飛び散った凄惨な光景だけ。
床一面に、赤い花が咲いたようだった。
だが妙だった。
「……被害が、女だけ?」
兵たちは傷を負っているが、生きている。
爆発の中心にいたはずの女だけが消し飛んでいた。
ふと、靴先の近くで淡い緑の光が揺れた。
「これは……」
血溜まりの中央。
そこに、エメラルド色の宝石が静かに輝いていた。
私は無意識に手を伸ばす。
指先に触れた瞬間、ぞくりと背筋が震える。
冷たい。
だが、それ以上に――美しい。
「なんだ、この輝きは……」
周囲に飛び散った血が指についても、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろ、その赤ささえ宝石を引き立てているように見える。
気づけば私は、そのネックレスを首にかけていた。
胸元で石が淡く脈動する。
まるで、自分の心臓と同じ鼓動を刻むように。
「ブリアン様! ご指示を!」
兵士の声で我に返る。
振り向けば、私兵たちが混乱した様子でこちらを見ていた。
「……ゴミを処理しろ。目障りだ」
短く命じ、私は踵を返す。
「私は少し席を外す」
「はっ!」
あの女の言葉が頭から離れない。
――軌道計算機を見つけた。
あり得ない。
それに何故、あの女は自爆した。
胸の奥に棘のような違和感が残り続けていた。
私は地下研究区画へ向かった。
厚い石壁の通路を抜け、幾重ものロックを解除する。
重い扉の向こうでは、白衣姿の男が顔を上げた。
「おや、ブリアン様。こんな時間に珍しいですね」
「ヴァレリー」
私は真っ直ぐ問いかける。
「ここ数年の間に、この研究室へ侵入した女はいるか?」
ヴァレリーは目を瞬かせた後、すぐに首を振った。
「いいえ。ここへ入ることが出来るのは、あなた様と私だけです」
安堵するはずだったが、胸のざわめきは消えない。
私はさらに奥へ進み、軌道計算機を安置した部屋の扉を開けた。
中央には黒い球体。
表面では無数の数字が脈打つように流れ続けている。
私は女の血が付着したままの手で、その球体へ触れた。
「……ふん。やはり虚言だったか」
そう吐き捨てると、胸元の宝石が先ほどよりも濃く、妖しく輝き始めた。




