第二十五話 ルイーズとガン爺
「――十八年前のことじゃ」
ガン爺はそう呟くと、一度目を閉じた。まるで遠い記憶を掘り起こすように。
「わしはな……目の前で泣き崩れるルイーズを見ておることしかできんかった」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
青い髪を振り乱しながら、ルイーズは床に膝をついていた。
「私は……絶対に許さない……!」
震える声だった。
「ブリアンだけは……絶対に許さない!」
怒りも悲しみも憎しみも、全部ごちゃ混ぜになった叫びじゃった。
「なんでアルマンが死ななきゃいけないのよ! なんで……!」
その声を聞くたび、胸が締めつけられた。
アルマンはルイーズの夫であり、エリオットの父親であり、そしてわしにとっても大切な仲間じゃった。
守れなかった。
その事実だけが今でも胸に刺さっとる。
ルイーズは顔を覆い、嗚咽を漏らした。
「アルマンは……ただ平和な世の中を望んでいただけなのに……」
何も言えんかった。
どんな慰めも、あの時の彼女には届かんと思ったからじゃ。
その時じゃった。
「ふぇぇぇぇん!」
揺り籠から赤ん坊の泣き声が響いた。
「エリオット!」
ルイーズは慌てて駆け寄り、小さな体を抱き上げた。
震える腕だった。
それでも、その腕はしっかりと我が子を抱きしめておった。
あの時じゃ。
絶望に呑まれかけていたルイーズを、まだこの世に繋ぎ止めていたものが何なのか、わしにも分かった。
「ルイーズ」
わしは意を決して声を掛けた。
「頼む。この子のためにも生きてくれ」
残酷な言葉だったかもしれん。
だが、言わねばならなかった。
あのままでは、本当に壊れてしまいそうだったからじゃ。
ルイーズはエリオットを抱きしめたまま、小さく頷いた。
「……分かってる」
か細い声じゃった。
それでも、生きると答えてくれた。
そう思った。
――じゃが。
数日後、ルイーズは姿を消した。
エリオットだけを残してな。
わしは探した。
街中を駆け回り、郊外を巡り、廃棄場の奥まで足を運んだ。
だが見つからんかった。
一ヶ月。
三ヶ月。
半年。
そして一年が過ぎた。
もう二度と会えんのかもしれん。
そう思い始めた頃じゃ。
ルイーズは帰ってきた。
血まみれでな。
「ルイーズ!」
今でも覚えておる。
あの時の自分の声が、情けないほど震えておったことを。
彼女は満身創痍だった。
服は血に染まり、息は途切れ途切れ。
それでも両腕には、一人の赤子をしっかり抱いておった。
「今までどこにおったんじゃ!」
駆け寄ったわしの手は、すぐに真っ赤になった。
あまりにも血を流しすぎていた。
それでもルイーズは笑った。
本当に、少しだけな。
「はは……ガン爺……どうやら失敗しちゃったみたい……」
「喋るな! 今すぐ医者を呼ぶ!」
立ち上がろうとしたわしの服を、ルイーズが掴んだ。
「行かないで……」
「ルイーズ!」
「私は……もう助からないから」
その言葉に、足が止まった。
ルイーズは羽織っていた布を少しだけめくった。
見えた腹の傷に、わしは言葉を失った。
あれでは、誰にもどうすることもできん。
それでもルイーズは穏やかな顔をしておった。
腕の中の赤子を見つめながらな。
「この子の名前は……ジーノ」
優しく微笑む。
「ジーノ・オルフェイ……」
そして今度は、眠るエリオットの方へ目を向けるように呟いた。
「エリオットには……アルマンの姓を継がせてあげて……」
そこで一度咳き込んだ。
赤い血が口元から零れ落ちる。
それでも彼女は話すのをやめなかった。
「お願いがあるの……」
「なんじゃ」
「この子たちには……私のことを話さないで」
「なにを言っとる!」
思わず怒鳴った。
「母親のお前を隠せと言うのか!」
だがルイーズは静かに首を振った。
「きっとこの子たちは……アルマンみたいな子になる……」
その目は、未来を見ておった。
「優しくて……正義感が強くて……放っておけない子に……」
苦しそうに息を吐く。
「だから駄目なの……」
次の瞬間、彼女の顔が苦痛に歪んだ。
「ブリアンにだけは関わっちゃ駄目……!」
血の混じった涙が頬を伝う。
「悔しい……本当に悔しい……」
震える声だった。
「でも……この子たちも……ガン爺も……街のみんなも……あいつに関わっちゃ駄目……」
その言葉に込められた恐怖が、今でも忘れられん。
最後にルイーズは腕の中のジーノを見つめた。
ジーノは何も知らず、気持ちよさそうに眠っておった。
それを見て、ルイーズは少しだけ微笑んだ。
「ガン爺……」
「なんじゃ」
「エリオットとジーノを……お願いします……」
声がどんどん小さくなっていく。
「最後まで……迷惑ばかりかけて……ごめんなさい……」
「ルイーズ……!」
その時じゃった。
ふっと。
本当にふっと力が抜けたんじゃ。
閉じた瞼は、もう二度と開かなかった。
わしの腕の中で、ルイーズは眠るように息を引き取った。
「ルイーズ……!」
どれだけ呼んでも返事はなかった。
わしはただ、冷たくなっていく彼女を抱きしめることしかできんかった――。




