第二十三話 エリオット
目を開けると、見慣れた天井がぼやけて視界に浮かんだ。
だが、頭がうまく働かない。意識が水の底から浮かび上がるみたいに重く、ここがどこなのか、すぐには思い出せなかった。
「……ここは」
掠れた声を漏らした瞬間、すぐ横から椅子が鳴る。
「ジーノ! 起きたのか!」
振り向くと、エリオットが安堵したように目を細めていた。ずれかけた眼鏡を直しながら、こちらへ身を乗り出してくる。
「エリオット……? なんで、お前が……」
「なんでって、ここ僕の隠れ家だよ」
その落ち着いた声を聞いた途端、胸の奥に張りついていた緊張が少しだけほどけた。
改めて部屋を見回す。壁際の棚、積み上げられた工具、読みかけの本。確かに見覚えがある。ようやく頭が現実に追いついた。
だが、それより先に確認しなきゃならないことがある。
「エチカは!?」
勢いよく起き上がろうとした瞬間、エリオットが肩を押さえた。
「大丈夫だから。ほら」
示された先――ベッドの端、俺の足元で、小さな影が丸くなって眠っていた。
淡い緑色の髪が布団に広がり、規則正しい寝息が小さく上下している。無防備すぎる寝顔に、張り詰めていた力がふっと抜けた。
「大きなロボットに乗ってここへ来たと思ったら、君を担いで飛び込んできてさ」
エリオットは苦笑混じりに続ける。
「使えそうな薬を片っ端から調合して、一晩中つきっきりだったよ。水替えたり、汗拭いたり……途中から完全に意地になってた」
思わず視線がエチカへ向く。
瓦礫を吹き飛ばして現れた、あの巨大ロボットの姿が脳裏をよぎった。あんな無茶苦茶な力を持ってるくせに、今はただの子どもみたいに眠っている。
その落差に、妙に胸がざわついた。
「ジーノ」
低い声に顔を上げる。
エリオットの表情から、いつもの柔らかい笑みが消えていた。
「この子、一体何者なんだ?」
その問いに、喉が詰まる。
……もう誤魔化せない。
ゆっくり息を吐き、俺は口を開いた。
「エチカは、地球から来た」
短い沈黙が落ちた。
エリオットは驚いた顔をするでもなく、小さく息を吐いただけだった。
「……やっぱりか」
「気づいてたのか?」
「薄々ね。普通の子じゃないとは思ってた」
眠るエチカを見つめながら、エリオットは静かに言う。
「でも、どうして僕たちに黙ってた?」
責める口調じゃない。だからこそ胸に刺さる。
「それは……」
「ミルさんのことだろ?」
思わず顔を上げた。
エリオットの目には、あの頃と同じ痛みが残っている。
ミル――俺が姉みたいに慕っていた人。そして突然いなくなった人。
エリオットもまた、彼女に懐いていた。
「あの頃の僕たちは、ただ探し回ることしかできなかった」
エリオットは静かに続ける。
「でも今は違う。もう無力な子どもじゃないだろ?」
その言葉に、胸の奥で何かが熱を帯びた。
大切な奴が突然いなくなるのを、何もできず見送るだけなんて、もう二度とごめんだ。
「あぁ」
俺は強く頷いた。
「今度は、絶対に違う」
エリオットは安心したように微笑む。
「うぅ〜……エッちゃん……ジーノぉ……」
むにゃむにゃと寝言を漏らしながら、エチカがもぞりと起き上がる。
半分眠ったままこちらを見ていた大きな瞳が、ぱっと見開かれた。
「あっ! ジーノ起きてる!」
次の瞬間、勢いよく飛び起きる。
「もう大丈夫!? 痛いとこない!?」
「お、おう。平気だ」
答えると、エチカは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。
「よかったぁ〜。エチカのお薬、ちゃんと効いたんだね!」
「お前、今ちょっと不安になる言い方したよな?」
「えへへ。実は途中で配合ミスったかもって思ってた!」
俺は無言のまま拳を軽く握り、そのままエチカの頭頂部へコツンと拳骨を落とした。
「でも本当に頑張ってたんだよ。ジーノがうなされるたびに飛び起きてたし」
「うん! 超がんばった!」
エチカは得意げに胸を張る。
「エッちゃんもいっぱい手伝ってくれたんだよ!」
そのまま勢いよくエリオットへ抱きついた。
「うわっ!?」
慌てるエリオットの姿に、思わず笑いが漏れる。
……けど、笑ってばかりもいられない。
俺は表情を引き締めた。
「体も動く。もう一回ゴートンのところへ行くぞ」
「え?」
「ブリアンの要塞に入る道を探る。あのジジイ、絶対何か知ってる」
するとエリオットが顎に手を当てた。
「……そういえば」
「なんだ?」
「エチカちゃん。ジーノを助けに行った時、何か気づいたことない?」
エチカは少し考え込む。
「うーん……あそこ、周りから切り離された場所だったから、侵入はしやすかったかな。でもね」
表情が少し真面目になる。
「悪い人たち、隠し通路がどうとか話してたの」
俺とエリオットの視線が同時に動く。
「つまり――」
「要塞には秘密の通路がある!」
エチカがビシッと指を立てた。
「それに、ゴートンさんもそこから逃げたのかもしれないよ!」
「だったら――」
立ち上がりかけた俺を、エリオットが止める。
「待って。ゴートンさんを追い詰めるのは危ないと思う」
「なんでだよ」
「君も見ただろ。あの人、怯え方が普通じゃなかった」
確かに、あの震えた顔は今でも頭に焼き付いている。
「無理に聞き出そうとしたら、余計に閉じこもるかもしれない」
「じゃあどうすりゃいい」
「ガン爺に頼るんだよ。あの人なら、ゴートンさんも心を開く」
なるほど、と自然に思えた。
ガン爺には、人を安心させる不思議な力がある。
「でも、ガン爺は俺がブリアンに関わるの嫌がってる」
「そこはジーノ次第」
エリオットは真っ直ぐ俺を見る。
「ちゃんと話せば、きっと分かってくれる。それに……」
少しだけ声が弱くなった。
「僕だって、本当は君に危ない目に遭ってほしくないんだ。今回だってこんな目にあって……でも行くんだろ」
エリオットは眉間に皺を寄せながら、包帯で巻かれた俺の体を見つめた。
まるで何かを堪えているようだ。
昔から、エリオットはそうだった。俺が無茶すると、本気で心配する。
あの日、俺が庇って捕まった時も、泣きそうな顔で迎えに来た。
「……ありがとな、エリオット」
そう言うと、彼は柔らかく笑った。
「じゃあ決まりだね。ガン爺のところへ行こう。ただし――」
眼鏡を押し上げる。
「君たち、今かなり目立ってるから気をつけて」
「目立ってる?」
「指名手配されてる」
「は?」
間抜けな声が出た。
エリオットは肩をすくめる。
「ジーノは写真付き。エチカちゃんとロボットは特徴だけだけど」
「マジかよ……」
頭を抱える俺の隣で、エチカが残念そうに唇を尖らせた。
「えー。エチカも写真付きがよかったなぁ」
「そこ気にするとこか!?」
思わず叫ぶと、エリオットがとうとう噴き出した。
俺は深いため息を吐く。
なのに、不思議と気持ちは軽かった。




