第二十話 ゴートン
俺はガン爺にゴートンの棲家の正確な場所をたずねた。
古びた羊皮紙の地図をなぞっていたガン爺の指が、途中でぴたりと止まる。深い皺の影が、いつもより濃く見えた。
「ジーノ。お前が何をしようと、わしは止めん。だが――」
「ブリアンに関わってほしくないんだろ」
思わず言葉を被せる。
ガン爺は少し目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「……わかってる。でも、もう決めたんだ。心配ばっかりかけて、ごめん」
昔、ガン爺はレジスタンスを率いてブリアンに刃向かった男だった。
けれど、ある日を境に武器を捨てた。今のガン爺は、戦う老人じゃない。住人を生かすために知恵を絞り続ける、この街の守り人だ。
最初は臆病者だと罵る連中もいた。
それでも、今こうしてスラグで暮らしていけるのは、間違いなくガン爺のおかげだった。
だからこそ、俺がブリアンに近づくことを恐れる理由も、ただの親心だけじゃない気がしていた。
「情けねぇ話だけどさ。今はエチカに頼るしかない。でも、俺も俺で、できるところまではやってみたいんだ」
ガン爺はしばらく黙り込み、やがて低く言った。
「……お前が無事なら、それでええ。無理だけはするな」
「ああ」
穴蔵を出ると、冷えた風がフードを揺らした。
俺は深く被り直し、周囲を警戒しながら歩き出す。
その横で、エチカは妙に機嫌が良かった。
「ねぇジーノ。お爺ちゃん、すっごく心配してたね」
「まあな。昔っから心配かけっぱなしだ」
肩をすくめると、エチカが横から顔を覗き込んでくる。
「でも大丈夫! エチカがついてるから!」
さっきもガン爺の前で同じことを言っていた。
あの時、ガン爺は皺だらけの顔を崩して笑っていたっけ。
俺はちょっと気恥ずかしくなって、鼻の頭を掻く。
「……頼りにしてるぜ」
その瞬間、エチカの瞳がぱっと輝いた。
「もちろん! エチカにまかせなさい!」
くるりと回るたび、淡い緑色の髪がふわりと舞う。
その能天気さに、少しだけ肩の力が抜けた。
やがて、ガン爺が示した場所へ辿り着く。
廃材を積み上げただけの小屋が、岩陰にへばりつくように建っていた。遠目には、ただの打ち捨てられた空き家にしか見えない。
俺は扉の前で立ち止まり、ガン爺から教わった合図を思い出した。
トントン、トトトン。
拳で叩くと、しばらくして扉が軋みながら開く。
現れたのは、ガン爺よりさらに痩せ細った老人だった。
白髪が顔を覆い、影みたいに頼りない。
「……ガン爺さんから、話は聞いている」
「ああ。俺がジーノだ」
そう言ってフードを外した瞬間だった。
「……っ!」
ゴートンの目が大きく見開かれる。
まるで亡霊でも見たみたいな顔だった。
「き、君は……」
声が途切れ、膝が揺れる。
「おい!」
倒れかけた体を慌てて支える。骨ばった肩は驚くほど軽かった。
「エチカ! 水!」
「うん!」
エチカは小屋の中へ飛び込み、すぐにピッチャーを抱えて戻ってきた。
「ジーノ、お水!」
ゴートンの口元へ水を運ぶ。
「ゴホッ……ゴホッ……」
何度か咳き込みながら水を飲み、ようやく呼吸が落ち着いた。
「……すまない。もう大丈夫だ」
そう言って立ち上がる姿は、まだ少しふらついていた。
「中へ入れ。立ち話もなんだ」
俺たちは小屋の奥へ通された。
埃をかぶった家具と古い書類が散乱していて、人が暮らしているというより、過去にしがみついているような部屋だった。
椅子に腰を下ろすなり、俺は切り出した。
「単刀直入に言う。俺たちはブリアンの屋敷に入りたい。アンタ、行き方を知ってるんだろ」
ゴートンは黙ったまま俺を見る。
その目は濁っていない。ただ、底の見えない井戸みたいに静かだった。
「……知っていたとしても、教えることはできん」
「なんでだよ」
俺は思わず身を乗り出す。
ゴートンの肩がわずかに震えた。
「アイツは狂っている。常軌を逸している。関わるべきではない」
「そんなこと言われたって、俺はまだブリアンに会ったことすらねぇんだ。だから、自分の目で確かめる」
強がるように笑ってみせる。
「……まあ、できれば会いたくもねぇけどな」
本音だった。
胸の奥を、冷たい不安がじわりと這っていく。
その横で、エチカが小さく手を挙げた。
「あのね、エチカたち、ミラクル☆スペースシップを直したいの。そのために必要なものがあって……だから、どうしてもブリアンのところに行かなきゃいけないんだ」
必死な説明だったが、ゴートンは首を横に振る。
「ダメだ」
「なんでだよ!」
拳を握る。
机を叩きつけたい衝動を、必死で押さえ込む。
長い沈黙のあと、ゴートンは目を伏せた。
「……ここまで来てもらって、本当に申し訳ない。だが、君たちみたいな若い者を、あんな地獄に巻き込みたくないんだ」
その声を聞いた瞬間、悟った。
これ以上言っても無駄だ。
俺たちは小屋を後にした。
背後で扉が軋みながら閉まる音が、妙に胸に残る。
「結局、収穫なしか」
歩きながらぼやくと、エチカは両手を後ろで組んだまま、やたら上機嫌だった。
「えー? エチカはそう思わないよ?」
「なんでだよ」
「だって、あのお爺さん、“教えられない”って言ったんだよ? つまり、行き方は知ってるってことでしょ!」
言われて、思わず噴き出した。
「……確かに」
完全な空振りってわけじゃない。
ブリアンの屋敷へ繋がる道は、確かに存在している。
顎に手を当てて考え込んだ、その時だった。
「エチカ、隠れろ!」
「えっ?」
エチカが振り返る。
だが俺の声の切迫感を察したのか、すぐに顔色を変えた。
「早く!」
背中を押すと、エチカは近くの錆びたコンテナへ滑り込む。
その直後、通路の向こうから黒服の男が現れた。
「やっと見つけたぜ、ジーノ・オルフェイ」
下卑た笑み。
今朝、俺を追い回していた治安維持隊の男だ。
「朝はずいぶん楽しませてくれたじゃねぇか」
「俺は何もしてねぇよ」
平静を装って肩をすくめる。
だが背中を冷たい汗が流れていた。
「おい。さっき一緒にいたガキはどこだ?」
心臓が嫌な音を立てる。
「……子供にまで手ぇ出すのかよ」
「安心しろ。ガキに用はねぇ」
男は口元を吊り上げた。
「俺たちに噛みついてきた、あのガラクタの方だ」
ロボ太郎のことか。
どうやらエチカが操っていたとは気づいていないようだ。
「さあな。スクラップが勝手に動いたんじゃねぇの?」
「へぇ。でも、どう見てもお前を庇ってたぜ?」
黒服の目が細くなる。
「もしかして、あれが先日の飛来物だったりしてな」
胸がどくりと跳ねた。
だが、口は閉ざしたまま。
「……だったら、どうする」
「決まってるだろ」
男がにやりと笑う。
「お前を拷問室に連れてく」
その瞬間、背後に気配。
振り返るより早く、鈍い衝撃が後頭部を叩きつけた。
視界がぐらりと傾く。
崩れ落ちながら、俺は必死にコンテナの方を見る。
頼む。
エチカには気づくな。
その願いだけを最後に、意識は暗闇へ沈んでいった。




