第十七話 ミル 二
それから数か月が過ぎた。
ミルには住人たちから小さな部屋が与えられ、俺はよくそこへ食事を運ぶようになっていた。
ある日、いつものように扉を開けた瞬間――俺は思わず足を止めた。
「……なんだこれ」
部屋の中に、見たことのない緑が並んでいた。
小さな鉢植えが窓際いっぱいに置かれている。
細長い葉、丸い葉、ギザギザした葉。形は全部違うのに、どれも妙に鮮やかな緑色をしていた。
この惑星じゃ、まず見ない色だった。
「地球から持ってきた種を植えてみたんだ」
ミルが嬉しそうに振り返る。
「ほら、こっちは順調」
指差された先で、小さな葉が揺れていた。
「で、こっちは失敗」
隣には、茶色く枯れた鉢。
「あー……」
「残念」
ミルは少しだけ眉を下げた。
でもすぐに別の鉢へ目を向ける。
「でも他の子たちは元気だからね。これからが楽しみなんだ」
俺はしばらく言葉を失っていた。
こんな色、知らなかった。
星空の青とも、錆の赤とも違う。
生きてる色だった。
「なぁ」
気づけば口が動いていた。
「地球には、こういうのがいっぱいあるのか?」
「うん」
ミルは笑う。
「もっともっと、いっぱい」
「……そっか」
胸の奥が妙に熱くなる。
この狭い星の外に、自分の知らない景色が本当に存在してるんだって、初めて実感した気がした。
「俺、この色好きだ」
ぽろっと本音が漏れる。
ミルは少し目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「じゃあ、ひとつあげるよ」
「え?」
「好きなの選びな」
「いいのか?」
「もちろん」
ミルは指を一本立てた。
「ただし、ちゃんと世話すること」
「……枯らしたら?」
「大丈夫。植物って、思ってるより強いから」
軽くウインクされて、胸の奥がむず痒くなる。
俺は鉢を見比べながら迷った末、小さな双葉が出たばかりの鉢を指差した。
「これ」
「おっ、見る目あるねぇ」
ミルがにやっと笑う。
「それ、オリーブっていうんだ」
「オリーブ?」
「乾燥に強いし、育てやすいよ。環境が良ければ十五メートルくらいまで育つ」
「じゅ、十五!?」
思わず鉢を見直す。
「こんなちっこいのが?」
「そうそう。立派な木になる」
「でも、この星じゃ無理だろ……」
肩を落とすと、ミルが俺の頭をつんっと突いた。
「十五メートルは無理でも、ジーノくらいにはなるかもよ?」
「っ……!」
俺は反射的にミルの肩を小突いた。
「いてっ」
「背のこと言うな!」
「ははっ、ごめんごめん」
ミルは笑いながら肩をさする。
「でもね、大きさが全てじゃないよ」
「じゃあ何が大事なんだよ」
ミルは少し考えるように目を細め、それから俺の額に指を当てた。
「過程」
「……かてい?」
「どう育てたいか考えること」
ミルの声は穏やかだった。
「水をやって、悩んで、枯れないか心配して。そういう時間全部が大事なんだ」
「……よく分かんねぇ」
「ふふっ。そのうち分かるよ」
その笑顔がやけに温かくて、胸の奥に小さな火が灯るようだった。
――そして、二年が過ぎた。
俺は少し背が伸びた。
オリーブも二十センチくらいになった。
スラグの土じゃ成長は遅いらしい。
でも、それでよかった。
毎日少しずつ変わっていくのを見るのが、楽しかったから。
ミルもすっかり街に馴染んでいた。
最初は警戒していた住人たちも、今じゃ普通に話しかける。
ミルもまた、誰とでも自然に笑っていた。
そんなある日。
俺は胸の奥に溜め込んでいた言葉を、不意に口にした。
「なぁ、ミル」
「ん?」
「俺がさ」
少しだけ視線を逸らす。
「地球に行きたいって言ったら、連れてってくれるか?」
ミルの手が止まった。
スープを掬っていたスプーンが、静かに器へ戻る。
「どうして?」
「え?」
「地球へ行ったら、ガン爺やエリオットに会えなくなるかもしれないよ」
図星だった。
胸がちくりと痛む。
けど、俺は目を逸らさなかった。
「地球にはさ」
オリーブの鉢を見る。
「こういう緑が、いっぱいあるんだろ」
「うん」
「だから見てみたい」
拳に力が入る。
口にした瞬間、急に恥ずかしくなった。
「……やっぱ今の忘れろ」
立ち上がり、背を向ける。
「ガン爺もエリオットも、俺がいないと駄目だしな」
そのまま部屋を出ようとしたとき。
「ジーノ」
呼び止められた。
振り返ると、ミルが立ち上がっていた。
腹を押さえながら近づいてきて、そのまま俺の青い髪をぐしゃぐしゃ撫で回す。
「な、何すんだ! 子供扱いするな!」
「別に子供扱いしてないよ」
「してるだろ絶対!」
ミルはくすっと笑った。
けれど、その目の奥だけは妙に真剣だった。
「ただ、覚悟が決まっただけ」
「……覚悟?」
ミルは俺の額にそっと手を当てた。
「地球に連れて行くって約束はできない」
「……」
「でも、いつか行けるようにはする」
静かな声だった。
「私にできること、全部やってみるよ」
意味は分からなかった。
けど、その言葉だけは妙に胸に残った。
――それから数か月後。
ミルは突然、惑星スラグから姿を消した。
何も言わずに。
残されたのはあのナイフと、ゆっくり育ち続けるオリーブの木だけだった。




