第十話 地球
「そういやさ、エチカ」
俺は鍋のスープを木べらでかき回しながら、なんとなく口を開いた。
「お前、本当に地球から来たのか?」
昨夜、あんなボロ小屋で何の警戒もなく爆睡していた姿を思い出す。
地球って場所がどんなところか知らないが、少なくともスラグよりはマシな環境のはずだ。
「うん、そうだよー」
背後から、間の抜けた声が返ってきた。
振り向くと、エチカは俺の寝床でごろごろ転がりながら伸びをしている。
「……マジか」
木べらを動かす手が止まった。
「なぁ、地球ってどんなところなんだ?」
そう聞くと、エチカはぴたりと動きを止めた。
「んー?」
そのまま顎に指を当て、わざとらしく考え込み始める。
「地球はねぇ、いいところもいっぱいあるけど、悪いところもいっぱいあるよ!」
「一番よくわかんねぇ答えきたな……」
思わず眉間を押さえた。
「どういう意味だよ」
「えっとね、いいところは、人がいっぱいいるところ!」
エチカは指を折りながら数え始める。
「優しい人もいるし、悪い人もいるし、幸せそうな人もいるし、泣いてる人もいるし、一生懸命生きてる人もいっぱい!」
「……つまり?」
「いっぱいってこと!」
全然説明になってない。
俺はため息をついた。
「じゃあ悪いところは?」
「んー……」
その瞬間だった。
さっきまでころころ変わっていた表情が、急に静かになる。
「本当に悪い人が、見えにくいところかな」
「……は?」
予想外の答えに、思わず聞き返した。
「ここだとわかりやすいでしょ?」
エチカはベッドから飛び降りると、ぺたぺた歩いて俺の隣へ来る。
「ブリアンとか、見るからに“悪い人!”って感じだもん」
「まぁ、否定はできねぇな」
「でも地球だと、優しそうに笑ってても悪い人だったりするの」
「……よくわかんねぇな」
本音だった。
悪いやつは悪いやつ。
スラグじゃ、大体顔を見ればわかる。
エチカは俺を見上げながら、小さく首を傾げた。
「ジーノは、わかりやすいよ?」
「は?」
「顔に全部出るもん」
「出てねぇよ」
即答すると、エチカはけらけら笑った。
……調子が狂う。
こいつ、やたら距離が近い。
「なぁ、エチカ」
「んー?」
鍋をかき混ぜながら、なんとなく言葉を続ける。
「お前のその……ミラクルなんとか号」
「ミラクル☆スペースシップ!」
食い気味に訂正された。
「……それだ。それが直ったらさ」
少しだけ間を置く。
「俺も地球に連れてってくれないか」
エチカはきょとんとしたあと、あっさり頷いた。
「いいよ?」
「軽っ!」
思わず木べらを落としかけた。
「もっとこう……悩んだりしねぇのか!?」
「なんで?」
「なんでって……」
逆に聞き返されると困る。
エチカは不思議そうに瞬きをした。
「だってジーノ、地球行きたいんでしょ?」
「まぁ……」
「じゃあ一緒に行こうよ!」
まるでお菓子でも分けるみたいな軽さだった。
「その前に、ミラクル☆スペースシップ直さなきゃだけどね!」
「あれ壊れてたのか?」
「うん!」
エチカは元気よく頷く。
「てっぺんの脳みそ部分がぐしゃってなっちゃったの」
「脳みそ……?」
昨日見た白い球体を思い出す。
確かに上のほうが少し歪んでいた気がした。
だが、“脳みそ”ってなんだ。
「ねぇジーノ」
エチカが急に俺の顔を覗き込んできた。
「どうして地球に行きたいの?」
距離が近い。
真っ直ぐな瞳に見つめられて、なんだか落ち着かなくなる。
俺は視線を逸らし、鍋をかき回した。
「そんなもん……こんなゴミ溜めみたいな星から出たいだけだ」
「それ、違うと思う」
「は?」
即答だった。
エチカはびしっと人差し指を向けてくる。
「それ、本当の理由じゃない!」
「なんでお前にわかんだよ」
「わかるもん!」
根拠ゼロの顔だ。
なのに妙に自信満々で、腹が立つ。
「……で、その宇宙船はどうやって直すんだよ」
強引に話題を変える。
するとエチカは、待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「ふっふっふ!」
なぜか偉そうだ。
「この星はお宝だらけだから大丈夫!」
「お宝?」
「うん! いっぱい部品落ちてるし!」
エチカは両手を広げる。
「予算ゼロでも、天才エチカなら余裕です!」
「ほんとかよ……」
「ほんと!」
勢いよく頷いたあと、エチカは目をきらきらさせた。
「だから今日はお宝探し行こうよ、ジーノ!」
「お宝探しって……」
俺にはどう考えてもゴミ漁りにしか聞こえない。
だがエチカは、今にも飛び出しそうなくらいわくわくしていた。
「……その前にガン爺んとこ寄るか」
そう呟きながら、俺は鍋を火から下ろす。
――地球。
本当に行けるのか。
いや、そもそも。
俺は本当に、そこへ行きたいのか。
答えの出ない問いだけが、胸の奥に引っかかったままだった。




