Grazie!(ありがとう)
ドレスは、自分はこの少女について知っていることはあまり多くないことに気づいた。知っている数少ない情報と言えば、彼女はエリアといい、忌むべき闇竜族の少女。リガーラの生活の中で育ったためドラクラットについて知っていることは少なく、その影響もあって変身がいまだに出来ない。エマーヘルから聞いたことによれば、一度だけ彼女の故郷が何者かによって破壊された際に変身をしたらしいということを彼女の口から聞いたそうだが、それ以来今の所再変身は叶わぬ状況にある。そして、ドラクラットの一族に数千年の時を経てリガーラの手から世界と空を取り戻すための鍵となる人物、ということくらいだった。それ以来買いは何も知らない。好物も苗字も、歳も何竜かも。
それでよいのだろうか、彼は自問する。これからどれだけの間になるかは計り知れぬが共に旅をする仲であるのに、このままだともしかすると殆ど彼女についてを知りえぬまま旅が終わるか、それとも別離することとなるのではないだろうか、と。だが、人に根掘り葉掘り尋ねてほじくり返すのは自分の性に合わないので、積極的に声をかける気にもなれなかった。
などと思い耽っている間に彼女はいつの間に五メートルも離れてしまっており、はぐれてしまわぬよう彼は足を速めて彼女に追いつく。
「ライマどこだろ……全然わかんないよ」
と、視線を落としたエリアがそう弱音を吐くのだが、ドレスは特に励ますということもせずに黙って彼女の後ろを追従しながら時折相槌を返すにとどまっていた。とはいえ、何も考えていないというわけではなく、彼も彼なりにライマの行方を考えていたためにそういう生返事で返すしかなかったのである。
「人さらいが隠れそうな場所ってどこか知らないって……知るわけないか……」
「ああ」
このままでは埒が明かない。見つからなければきっとライマは酷い目に遭わされてしまうのだろう、それはエリアの心が許さなかった。絶対に見つけ出して、ライマの状態によっては犯人どもにはそれ相応の罰を受けてもらわなければならないのだ。
「ねえ」
エリアは歩きながらドレスに尋ねる。
「なんだ」
「ドレスはどうすればいいと思う?」
「そうだな、そう……人づてに話を聞くほかないだろさ。見ているだけじゃ、表面を撫でているに過ぎない」
「やっぱりそうだよね」
わかってはいるのだが、大きな問題が立ちはだかっている。言語という壁だった。ここでは英語やイタリア語が通じるものがどれだけいるのかわからない、サビーナが喋れているということは英語なら通じるものもいるはずだが、先日の経験から察するに現地語でなかれば通じない人が多いのだろう。今こうして通りを進むだけでも理解できない言葉ばかりが耳に飛び込んできている。こうなれば耳を研ぎ澄ませて英語を一単語でも聞くことに集中しなければならない。
エリアは歩みの速度を落すと聞くことに神経を払う。聞こえてくるのはやはり、現地らしき言葉ばかり。何かを売っているらしい掛け声、通りすがりの人間にかけられる声、違う、違う、これでもない、そうじゃない!
「ん!」
エリアは一瞬だが聞こえた言葉に意識を集中させる。ほんの一瞬だがidiotという言葉が聞こえた。罵り言葉だろうとこの際関係ない。エリアは声の主と予想した中年男性を探す。今現在誰かとののしり合った人物、この近くにいるはずだ。
「エリア?」
ドレスの問いかけにも応えずにエリアは一心に検討をつけた方向へと突き進む。その足は自然と早まり、息も荒くなってしまう。そしてエリアはある一人の現地人らしき男のやっている八百屋の屋台の前に躍り出ると声も荒げてこう尋ねた。
「あなた英語喋れるよね!そうだよね!」
突然英語話者かを尋ねられた小太りの男は、たくわえた口ひげを指で掻いて狼狽えている。
「な、なんだい確かに喋れるがねえ」
サビーナのように訛った英語が返ってきたので、エリアは胸を撫でおろすと早速ライマについて尋ねる。
「人を探してるの、知らない?歳は私より少し上、多分二十代の前半。髪は艶やかな緑色で白い肌をしてるの。それでえーと……顔に変な刺青があって聞いたことのない言葉を喋るんだけど」
口早にまくし立てる彼女に、男は困ったように首を傾げて一旦落ち着くように促した。
「異民族のお嬢ちゃん、一旦落ち着きなよ……なんだって?人?女の人かい?」
「そう、女!」
うっかり慌てて性別を伝えるのを忘れていた。彼女は二回深呼吸をして言われた通り心を落ち着けると、改めてそういう女性について見聞きしたことは無いかを尋ねる。
「んー、知らんなあ……」
男は首を傾げてそう答えているが、どうやらその様子から本当に知らないらしいが、今のエリアにはそれに気づけるほどの余裕はなかった。せっかく掴みかけたチャンス、こんなすぐには手放したくないのだ。巻き布の奥から覗く少女の必死の眼に彼はどこかいたたまれなくなったのか、彼は玉ねぎを一球さすりながらそういえば、と漏らした。
「何!?」
「ちょっとまってくれよ。この町じゃあ最近若い女がよく狙われているんだが、知ってるのかい?んじゃあ話が早えな……それでその婦女攫い共は裏路地から女の気を引く物で釣るとそのまま抑え込んでどっか町の奥まで連れ込んじまうらしいんだよ。詳しいことは流石に知らんがね」
「それ、どこ!どこで!」
じれったいとばかりに身を乗り出してくるエリアの肩を男は押し返すとそこまでは知らないと言い返す。
「やけに力の強い娘だ……うちのせがれより強いやさ」
服の隙間から覗く嫌に白い肌も気になっていたが、あまり詮索はしないのが彼の流儀でありここでの生き方である。故にエリアには何故そんなことを尋ねるのかは聞かずに教えてやることにした。それに、そんな人さらいを探しているのだとしたら理由は一つしかあるまい。
「耳貸しなぁ……本当にどこに出るかなんてことまでは知らねえ、これは神様にも誓える。でも奴らはな、特定の決まった時間に襲うってことはない、神出鬼没なんだ。表通りにだって出てくるくらいにゃあ大胆不敵よ。もし見つけたいなら……あまりこういうこと吹き込むとかかあに叱られっから気が進まねえが……お嬢ちゃんも女ならそいつらの標的にはなるさ。丁度良くガタイの良いあんちゃんもいる見てえだしな」
エリアはその言葉に、雷に撃たれたような衝撃が体に走るのを感じた。何故今まで気づかなかったのだろう、そう言えば、別れ際にサビーナがそんなことを言っていた気がするが、短い時間にたくさんのことが起きたものだからつい失念してしまっていた。
「ありがとう!終わったら買い物にくるから!Grazie!! Grazie mille!!Bacione!」
エリアはとにかく口をついて出た感謝の言葉を大きな声で彼に投げかけながら大きく手を振ると、ドレスを置いてけぼりにして颯爽と通りの向こうへと走り去っていく。それを慌てて追うドレス。
「おい待てエリア!」
珍しく声を荒げながらその後を急いで追いかける彼の背中を、男は手を振って見送ると後ろで袋から芋を出していた三番目の息子にこういった。
「お前もあんな明るい娘を嫁にもらえよ」
「はあ?」
そのやり取りを聞いていなかった息子は、何を言っているんだいきなり、と言わんばかりに眉を顰めると首を捻ってまた芋を出す作業に戻った。女を口説く文句でも教えておけばよかったかなと今になって思う男であった。




