रक्त वाहिका(蠢く血脈)
「ふーん……」
バシュターンの二番目に大きい通りのすぐ脇に伸びる横道に、一人の若者が物憂げに佇んでいた。女性というにはっまだ若干の幼さを残す彼女は、後ろに組んだ手の指をいじいじとさせ、時折周りに目線をやってはまた伏せるということを繰り返していた。
(来ないなあ)
彼女はどうやら誰かを待っているようで、もうかれこれ十五分ほどそこに立ちつくしていたのだが、彼女の求める人物は一向に姿を現しそうには無かった。代わりに、そこから二十メートルほど離れた場所から、それとはまた別の人物が彼女のことをずっと眺めている。旗から見れば遠くから少女を狙う怪しい人物のようだが、正確には彼女を見守っている護衛であった。
(エリア……お前は)
少女の名を頭に浮かべるこの男はご存じドレスである。エリアとドレスはとある作戦を現在実行中であったのだ。話は少し遡る……
八百屋の主人から貴重な情報を得たエリアとドレスは、ライマが攫われた通りの付近の裏路地に向かっていた道中、女性を誘い込んでいるという男を逆におびき寄せるためにはどういった作戦をとればいいのかということを。
ドレスはおびき寄せるためのエサが必要だと口にする。
「エサ?もしかして私にやれっての?」
エリアは足早に歩きながら、冗談でしょうという顔でドレスの方を振り返ると彼はいたって無表情もとい真面目な顔つきでもう一度そう述べたので、彼女は口を一文字に結んで左右に引くと今度は呆れたようにため息をついて見せた。
「普通そんなこと女の子にやらせる?ちょっとがっかりじゃない?」
普通の男ならこれで多少傷つくはずだが、ドレスにその手は通用しなかった。彼は極簡潔にその有用性についてエリアに説くのだが、説くという程の長さもなかったのでそれに耳を傾けていたエリアはどうにも反応に困ってしまっていた。
「そいつらが姿を見せるのは女の前だけだ……いちいち駆けずり回るのか町を」
「えっ、あっ?ん~?」
それはそうかもしれないが、だからといってそう簡単にはいそうですかと納得してひっこめるものでもない、何よりこんな口数の少ない男に言い負かされるなど御免だとばかりにエリアはあーだこーだと中身のあるような内容な反論でまくし立てたものの、結局何を言おうと前述のようなことを繰り返し言い返されたので諦めて彼の意見に従うことにしたのである。そうして二人はライマが消えた場所に数時間ぶりに舞い戻ると、少しだけ装いを弄って腹を括ると、このようにして目的の人物が現れることを待ち受けていたのである。
しかし、どうにも現れる気配がない。ドレスは流石にこれ以上立ち尽くしていても逆に不審がられ、待っても無駄だろうと判断しエリアに離れるようにハンドサインを送った。数十秒後にそれに気づいたエリアは小さく頷きため息をついてもたれかかっていた壁から離れると、一旦表通りの方へと戻ろうとしたその時であった。
「お嬢さん?どうされたかな」
背後からかなり訛ってはいたものの英語とフランス語の混じった言葉を話す男の声がかけられたのだ。つい思い切り振り返りそうなところを堪えて自然に見返ると、彼女の眼に映ったのは彼女よりも背の低い現地人らしき中年の男と目じりに何重もの皺をこさえて作られた笑みであった。
(こいつだ)
直感でそう判断したエリアは、湧き上がる怒りの炎を抑え込んでにこやかに対応して見せる。演じるは初めて訪れた大都会で道に迷い困り果てたうら若き乙女、ライマを卑劣な男たちから救出するという目的を原動力とし、今決死の囮作戦が行われようとしていた。
ドレスも目にも止まらぬ速度で僅か五メートルほどの距離にまで詰め寄ると身を隠していつでも飛び出せるように身構えていた。エリアには決して抵抗しすぎぬようには釘を刺してあったが果たして。
「どなた?」
エリアはつつましく尋ねる。彼女がイメージしているのはムゥロの領主の娘ラファエレ、話したこともないがおおよそこうだろうという想像のみで彼女を演じていた。どうせこのことを本人に知られる訳がないし多分死んでる。
「先ほどからそこにずっと立っておられたようだがね、何かお困りごとかい?」
一見親切な地元の人間、だがその裏に抱えているものはわからないというもの。エリアはそれを引き出すべく演技をつづけた。
「私、道に迷ってしまって。そこで宝石を眺めていたらお父様ともはぐれてしまったの」
我ながら噴き出しそうな言葉遣いとへにゃへにゃした仕草だとは思いつつも、ここでへまをすれば折角掴んだチャンスを無駄にしかねない。ここで男は彼女の口にした「宝石」という単語に引っかかった、エリアとしては偶然その言葉を用いたに過ぎなかったのだがうまいことこの男に勘違いを抱かせることに成功していたのだ、この女も釣れる、と。男はごく自然に宝石を持ちだす流れをその得意とする話術に組み込んでいった。
「そりゃあ大変だ、そうだ、お嬢さんいいものを上げよう。私たちの間では幸運のお守りとされている石だよ……それ」
物腰柔らかな声色で男は懐から小さな木箱を取り出すと、中から青い小さな宝石を手に二、三個取り出してエリアによく光を通す角度でそのきらめきを見せつけた。
「わあ……」
その輝きに思わず素でうっとりとした表情を見せたがすぐに我に返ると小さく咳払いをして彼の話に乗った。
「ま、まあとても素敵です。サフィールね?」
「そうさ、お嬢さんフランス語を話せるのかい」
ここでエリアはムゥロ語混じり、つまりはイタリア語交じりのフランス語で言葉を発した。
「ええ、完全ではないですけれど、ホホホ」
ムゥロ語はイタリア語主体に北イタリア訛りやフランス語、ドイツ語などが混じった地方言語である。その単語には多くのフランス語も混じっており元フランス系コミュニティがあった場所ではフランス語が多めのムゥロ語を話すものも多かった。そのあたりに何人か知り合いのいた彼女は、彼らと触れ合うことで自然にそちらのムゥロ語も身に着けていったのである。故に、不完全ながらもフランス語を話すことが出来たのであった。
「いいやあ、よくできてるよ。これは器量の良い娘さんだなあ」
「いえ、そちらこそとても流暢な発音で」
「ありがとうね。なんか嬉しいから二つあげちゃおう」
そう言って男は不揃いな二粒のサファイアを手に取ると、遠慮しようとする彼女の手に半ば無理矢理それらを握らせた。
「悪いわ」
「そんなこと、ないさ……」
そう言った男の眼が、一瞬だが彼女の背後を見たのを、エリアは見逃していた。ついついサファイアに見とれてしまっていたのだ。それゆえに、背後の建物から現れた二人の男には気づかなかった。このままならライマとまったく同じように捕まってしまっていたのだろう、だが今回はドレスという頼もしい監視役がついていた、二人の屈強な男がエリアの腕につかみかかろうとしたその時、更にその背後から別の腕が二人の頭目がけて伸びていた。
「フンッ」
頭を掴まれた二人は、互いの頭を恐ろしい抗えぬほどの怪力でしこたま打ち付けられると骨が折れた音を上げてその場に崩れ落ちる。
「なんっ、何だ!」
突然仲間が倒れたのを目にした引き付け役の男は、何が起きたのかわからずあたふたとその場で慌てふためており見た目通りの小男であることを証明している。
「エリア、見とれていたな」
背後に現れたドレスに驚きつつも痛いところを突かれたエリアは、そんなことないと必死に弁明しようとするがドレスは無駄話を聞いている暇はないとばかりに彼女を追い越して逃げようとする男の襟首をつかんだ。
「無駄だぞ」
そう耳元で凄まれた男は、言葉はわからずとも黙って彼のいうことに従うことにし頷いた。
「さて、話してもらうかなあ?」
サファイアをちゃっかりポケットに滑り込ませたエリアは、先ほどまでの目つきとは打って変わって刺すような睨みを利かせて壁に押し付けられた男に迫る。
「あ、ああ……」
彼はまずいものに手を出してしまったと後悔したときには、もうすべてが遅かった。




