Bisitahin ang taglamig(そして冬が来るだろう)
満月号の乗員の地球での生活が始まって二日目になった。検査の結果、水質は極めて良好で汚染と思わしき物質も残留は確認できず、さっそく居住地建設が開始されていた。
とはいっても、いきなり家を立て始めるというわけではなく、まずは地質や地盤の調査から始められた。無暗に建物を立ててその重さで地盤が沈下すれば甚大な被害を及ぼしかねない。それを避けるために周囲の地盤や水はけなどを調査し、そのランクごとに立てる建物の種類を選別する。地盤の固いところには発電施設や工場など大型の建物を、それから順に店舗や住居といった小さな建物を建設する用途の土地へと分けていく。この調査には、過去の地球でのデータがあるとはいえ長い時間が経過しているため再度調査が必要となり、しばらくの間は建設は行えそうにない。それに、やたらめったらに建物を乱立させれば複雑な街となってしまうだろう。そのため整然とした街を造るために調査と並行して区分けが行われる。
では、乗組員もとい移民たちはなにもせずただだらだらと無駄な日々を過ごすのだろうか。いや、違う。彼らはまず地球という環境に慣れる必要があった。乗組員たちは班ごとに順番に満月号の周囲を散策し、地球の生の自然を見て、触れて感じる。月とは違う、植樹などされていない本物の木を感じるような。
また、建築資材としての木々の伐採も始めた。月からの移民ということで、未来的な白い壁やらネオンやらを建材に用いると思った者もいるかもしれないが、違う。月にそんな建物はなく地球の二十二世紀くらいの建物とあまり変わらないどころか、下層や端の方は月の地面を利用して建材の節約に役立てられている。
それに、大量の建材を乗せられるほど満月号も大きくはない。交換用外装を積んではいたものの、一部を残してそれらは重要施設の建築に用いられるため、一般住居に使っている余裕などないのだ。材料は現地調達、これが物資の限られた宇宙空間で暮らす者の基本だった。
人々は、少しずつ地上の環境に触れつつ、その手を広げていった。土木局が地ならしをし、主計局が先導で材木の伐採に入った。環境局は土壌と水質の調査をしつつ適切な経路で建設計画に沿いつつ湖から川を引き水路を造り始めた。始めはゆっくりとした歩みであった月人類も、その人類元来の順応性を存分に発揮するようになっていった。
そして、彼らが開拓を始めて一月が経とうとしていた。北米に少しずつ寒さが訪れ始め、人々はその寒さに宇宙を思い出していた。
「うーさむさむ」
休日を迎えたノエルは、薄手の防寒具に身を包んで外の寒さに白い息を吐いていた。月製の高性能な防寒具は見た目に反してよく寒さから着用者を守っていたが、顔や手などは寒空に曝け出されており、空気に皆顔を赤くして作業に従事していた。
「もっと欲しいよな、着るものをさ」
そう彼女に話しかけたのは土木局に勤めるチャックという大柄の黒人男性であった。現場作業員として勤める彼は、地球での過酷な作業で大きな体にさらに筋肉をつけより逞しい男へと成長していたのだが、その反動で今まで着ていた服が着れなくなり、この薄さむい中ピッチピチの長袖シャツで見ているこちらが寒くなるほどであった。
「寒いでしょ」
一ミリにも満たない薄い布しか上半身に纏っていない彼を、渋い顔つきで見つめながらノエルが尋ねると、彼は片眉をひょうきんに上げ、まあな、と笑って見せた。
「俺はとりあえず森林散策ドライブに加わるつもりだけどよお、ノエル、お前はどーすんだ?」
彼の言う森林散策ドライブとは、大型オフロード車両に乗って周囲の森林をツアーのように見て回り、動物や自然を間近で感じるという平和なホビーであった。結構これは人気で、最近になってようやく落ち着き始めてはいたが、それでも大体定員が埋まるくらいにはまだまだ盛況を博していた。
「んーん、私はねえ特にそう言うのに参加はしないかなー」
「どうしてだ?こういうの好きそうなのによ」
彼の言葉に、確かにね、と彼女は返す。
「でも三週前に乗っちゃったんだよねー」
「あっそういうことな」
興味がないというわけではなく、実はツアーが開始されて早々にもう彼女は経験済みだったのである。流石は彼女と言ったところだろうか。ノエルはチャックと別れると、南の方の森に向かって歩き始めた。
賑やかなことが好きな性分で、いつもそういった人が集まるところには喜んで飛び込んでいくような気質であった彼女も、たまには一人でこうして静かに穏やかに歩きたくなる気分になる時もある。
汚れもまだ新しいワークブーツの底が、湿った地面を踏みしめて跡をつけるが、びっしりと広がる草原がそんな足跡も隠してしまう。そう言えば、草も随分と色褪せてき始めており彼女はそれを冬のために植物が枯れてきているということをつい最近学んだ。
冬になると植物は色褪せ、葉を落とすことを知らなかったのは何も彼女だけではない。多くの移民たちが地球における季節というものをあまり知らなかったのだ。地球に降りる前の座学でそういった気候の変動については頭では何となく理解してはいたものの、実際にそれを目の当りにしてみるとうまく理解が働かないのが人間であった。
彼女は歩きながら、この一カ月のことを振り返る。故郷を離れ、先祖が暮らしていた星へと還る、そんな壮大なプロジェクトに参加し、降下する直前になって同僚のエーリッヒからのプロポーズを受けた。長い間、彼とは会うことが出来ないのが残念であるが、彼がきっと追いかけてきてくれることを信じているから、寂しくはない。……いや、やっぱり寂しい。
それから、地球に降下した直後から不思議な、今まで感じることのなかった感覚を覚え、謎の飛行機の接近にも気づいた。自分の中で何かしらの力が目覚めたかのように。
それから今までは、特にその感覚がまた現れることは無かったが、常に不安は抱えていた。
一体、あれは何だったのだろう。彼女は首を傾げながら、無意識の内に薬指にはめた指輪を触っていた。最近、不安になると気づかぬうちに婚約指輪を触ってしまう癖がついているようだが、彼女がそれに気づく様子はなかった。




