космически флаш(宇宙に生まれし閃光)
出港から一日、満月号は真っ暗闇を進む。緩やかに曲線を描く外殻は、宇宙を高速で飛び交う無数の小さな石ころがぶつかることによってあちらこちらに穴を穿たれ破損していたものの、何層にもなる多重の厚い船殻によって船の機能は十分に守られていた。しかし、それでも何度も同じ場所を破損すれば耐久力も下がっていくので保険のために常に機体の状況はモニタリングされ、一定の破損具合を超えると自動でAIが修復や交換をアームを用いて行うのだ。
機関室勤めのノエルは、現在夜休憩に入っているところであった。三交代制で機関室は維持されており、常に機関士や専門のエンジニアなど五名が勤務するようになっており、また交代要員もAIやロボットで代用できないような部署に限り別の場所で勤務している。この機では、病気やケガで欠員が出た際、他の余裕のある部署から臨時要員として補填出来るように、ほぼすべての者が本職とは別に職場を受け持つことになっているのだ。ノエルはというと、売店の店員を兼ねている。
そもそも多くの仕事がAIなどで賄われているため、人間でなければならないという仕事があまりないのである。彼女が受け持つ売店だって、実をいうとあまり人間が入る意味はないのだが、こういうところは人と人との数少ないふれあいの場であるのではと考えられ人間が受け持っているのだ。
「ふいーっ……あと二時間かあ」
ノエルは腕時計を眺めてぼやく。
「なんだ?用事でもあるのか?」
偶然通りかかったエンジニアのアンドレイが時計を見ながら尋ねると、ノエルは首を横に振ってそうではないと否定する。
「なんかさーいつもより疲れちゃって……なんでだろ、いつもはこんなにすぐにつかれなかったのに」
アンドレイは手に提げていたファイルを小脇に抱え直すと、彼女の隣に立って手すりに体重を預けて理解を示す。
「そりゃ少しわかるっちゃあわかるかもな。俺も肩がなんとなく変な感じがしてさ、かゆいんだ。……やっぱり環境の変化ってやつかねえ」
「環境の変化……か」
ノエルは自分の肩も揉んでみて違和感はないか確かめたが幸い自分の肩は問題ないようだ。だが、やはりどこか気が乗らないというか沈むというか。だがそれと同時にそれと相反する感情が自分の中で芽生え始めたのにも先刻から気づき始めていた。今まで感じたことのない高揚感と言えばいいのだろうか、何もかもが曖昧にしか説明できないのがじれったいが、本当に曖昧なのだ。その理由は、やがて現実となることによって明かされる。
この日の勤務を終えたノエルは、自室へと戻っていた。自室とはいっても、二人部屋であるため個室というわけではないのだが、同室のカンナとは勤務時間がずれているため、あまり一緒になることはない。ノエルは上着を脱いで無造作にベッドに放ると、化粧を落とすため洗面所へと向かった。最小限の大きさにまとめられた洗面所は洗顔料などを置くには非常に狭く、ごく一部しか置いておくことが出来ないのが女性陣からの不満であったが、機の半分は倉庫やエンジン、そして燃料タンクが占めているためスペースにはかなりの限りがあり、洗面所が各部屋にあるだけでもかなり設計に無理が為されているため、声を大にして不満を上げることはできなかった。
ノエルは髪を後ろ手に縛ると宇宙用の化粧落としを吸水性の高いパフに染み込ませると拭っていく。持ち込める物も限られているため、あまり力を入れて化粧することは叶わないが、いずれにせよ見せる相手もいないため結果オーライともいえよう。
だが特筆すべきはそこではなかった、彼女がファウンデーションを落としていくと、そこには薄黄色に染まる何本もの線が姿を現したのだ。顔の左半分を覆うように刻まれたそれは、まさしく彼女がドラクラットであることの証であるが、彼女自身はあまりそれについては知識を持ち合わせてはいなかったのだ。
彼女の両親にもまた、同じように顔の一部にそういった線が刻まれていたのは覚えている。他にもご近所さんにも同じような人たちが何人もいたのを覚えている。彼女自身は、これを含め尖っている耳や左右で色の違う目について、他の人間たちと違う自分の容姿に気にすることはあったのだが、自分だけでなく他にも数名同じような特徴を持った者の存在があったため、あまり深く考えるほどには思っていなかったのだ。
ノエルは改めて、自分の顔に刻まれたこの不思議な模様を指でつつとなぞっていく。この刺青のようなものは自分の知る限りでは生まれた時から刻まれていたことは、アルバムを見たことで知った。生まれたばかりの赤ん坊に刺青など入れるはずもないので、これが生まれつきであることはわかっている。あるとき、父と母にこれが何なのかを尋ねたことがあったのだが、両親は笑って大きくなったら教えてあげるというばかりであった。彼女は自分が成長する日を待ち続けた、だがそれを両親から教わる日が来ることは無かった。
十二になって二カ月ほどたったある日のことである、両親はハトホルの第三ドックで起きた月史上最悪の事故に巻き込まれ帰らぬ人となったのだ。今でもその爪痕を残すその事故は、強い放射能が事故によって流出し残留しているため八年たった今なお事故現場は手が付けられておらず、両親は愚か、殆どの犠牲者がずっと第三ドックに漂い続けているのである。彼女の両親は、それぞれ父が港湾作業員として、母が運ばれてきた物の検査技師として働いていた。
結局、その事故が起きたため両親からこれについて教わることは無く、彼女自身もまたてんやわんやですっかり聞くことを忘れてしまっており、気づいたときには機関士として忙しく毎日を追われていたため再び誰かに尋ねることも出来ずにいたのだ。そうして、今故郷を離れてしまった。少なくとも自分が知る限りでは、自分と同じ印を持った者はこの機には搭乗していない。
化粧を落とした彼女はそのままベッドに潜り込むと、指輪の小箱を取り出した。彼女はそれをそっと慎重に開けると、中で煌くルナサファイアの指輪を摘まんで指にはめた。やはり、未だに信じられない。つい先日のことなのに、まるで夢の中で起きた不可思議な非現実のように思えてしまう。
エーリッヒからのプロポーズはまったく予想だにしていなかったためその分の衝撃は大きく、そしてその分愛おしく思えた。月でのプロポーズの流儀は「突然に」というのが昔からのやり方で、今もそれが色濃く若い世代にも残っていた。だから、受け入れやすくもあった。
つい先日まで仲のいい同僚という間柄であったエーリッヒのことが、なんだか急に愛しく思えてきたノエルは、それ故にこれから何年かのあいだあえなくなることが辛くてしようがなかった。降下してもう一度この機が月に上がるよりは、第二陣が月から降りてくる方が早いだろう。しかし、それでもまだ往還機の二番機は建造途中にあり、乗員も訓練の最中にある。それに、エーリッヒはまだそのメンバーに選ばれたとは聞いていないため、もしかすると第三陣になるかもしれない。いや、実は彼が秘密にしているだけで本当はもう第二陣に選ばれて訓練を行っているのかもしれない。
疲れも忘れ、彼女は心を躍らせるとベッドから飛び降りて着替えを持ち、シャワールームへと向かった。
「あら、ノエル。どうしたのウキウキしちゃって」
偶然すれ違った宇春がやけに嬉しそうな彼女にその訳を尋ねるが、彼女はフフフと笑いながら何でもないと言うだけでそのままシャワールームの方へと消えていった。
「浮かれてるねえ」
彼女はそんなノエルの後姿を見送りつつ、笑っていた。




