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Schwarz Drache ~黒き竜の少女と果て無き旅の果てに~  作者: 戦艦ちくわぶ
Ⅱ Une dragon de lune(月の竜の乙女)
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Windstille(凪いだ海)

「そろそろ行かなくちゃ……」

 ノエルは名残惜しそうにエーリッヒと満月号を順番に見ると、もう既にほかの乗組員たちは皆機に乗ってしまっており、自分が最後となっていた。

「必ず、会おう」

「うん」

 ノエルは、彼に背を向けると床を蹴って船へとふわりふわりと跳んでいく。その指に指輪と頬に涙を光らせながら。

 全員が搭乗したことを確認すると、機長は与圧扉の閉鎖を指示し内扉と分厚い外扉が閉鎖され、乗組員たちによって全体がしっかりと密閉、与圧されているかが確認される。何せこれからおよそ二百年ぶりに月の人類が地球へと帰還するのだ。しかもこんな大型機を。ならば念には念を入れてもおかしくはないというものである。コックピット(とはいっても七名のクルーがいる)で全てのランプがグリーンに点灯したことを確認すると、機長は管制室に出港準備完了の旨を告げた。

 一方ノエルは月における離発着の際の既定に従い乗組員用の座席に座って胸を高鳴らせていた。この高鳴りは、地球へ向かうという緊張からだけではないことは彼女がずっと自分の指にはまっている指輪を見つめていることからもうかがえ、同じ列に座っていた同僚もニヤニヤと笑みを浮かべて彼女のことを眺めていた。

 エーリッヒを含む出港を見送る人々は、天井からつりさげられている巨大モニターが点灯したことに気づくとそちらの方を一斉に見上げる。白い背景には演説用の台が鎮座しており今から恐らく市長だかが演説を行うのであろうと予想していたが、その予想通りにほどなくして頭頂部の禿げあがった市長が画面の端から現れ台の元に立つ。



――月面都市ハトホルに住まう皆様、現ハトホル市市長のトム・スミスであります。これよりハトホル標準時十二時丁度より、ついに満月号が乗組員二百十一名と月人類の希望を乗せて我らの真の故郷地球へと向かいます。皆様も一度はご覧になられたこともあるはずでしょう、あの青き地球を、大きくて最も身近な惑星を。ご存じの通り、我々の祖先はかつて地球よりこの月へと新天地を求めて旅立ち、過酷な環境と苦難を乗り越えてこのハトホルを建設しました。その後しばらくは地球との交信や往来が続いておりましたが、残念なことにそれも地球で起きた大規模な戦争によって絶たれ、我々は彼らの目の前にいながら孤立したのです。それでも我々の先祖たちは諦めませんでした。この月を人の存続できる都市へと昇華させ現に今このハトホル市も人口が七万人を超えました。そして現在、第二の都市アルテミスが建造中であります。月は、人類の第二の故郷へと成長したのです。

 我々は、地球の状態を知りえません。ただ、かなりの深刻な状況であることは予測されます。そこに、勇敢なる二百十一名の乗組員たちの手によって地球を見て、そして再生させ再び月と地球を繋ぐための計画の第一歩が行われようとしています。ああ、彼らの旅に幸多からんことを祈って……――



 ブザーが鳴り響く。隔壁の向こうでは出港の合図を示す警告灯が点滅し、港と宇宙とを隔てていた大きなゲートがゆっくりと解放され始め、空気の流出とともに星空が顔を覗かせていた。

 機とドックとの連結が次々と離されていき、最終的に二本の巻き取りワイヤーだけが機と月とをつなぐのみとなり、それが接続を切り離されれば、満月号は宇宙へと飛び立つこととなる。

 港では見送り人たちが大声で別れと激励の言葉や歓声を上げており、港の外でもそこに収容しきれなかった人々や、自宅で待機している人、どうしてもシステム上仕事場を離れることのできなかった人々がテレビや小さな端末の画面でその様子を見守っていた。

 そしてついに、繋留ワイヤーが切り離された。テンションが張っていたワイヤーは勢いよく巻き取られドックを出来るだけ傷つけぬように収容される。

 その瞬間、月が一斉に沸いた。皆が勇敢な航海へと向かう乗組員たちに歓声を上げている。エーリッヒもそれに負けず劣らずの声量で愛しい婚約者に旅の無事としばしの別れの言葉を叫んだ。

「ノエーーーール!!必ずーーー!!必ず俺も行くぞ―――――!!!!!怪我するなよーーーー!!地球の細菌にーー!気を付けろ―――!!!!」

 何万人もの大歓声を背に、彼らは地球への短く長い航路へと乗り出した。

 


 ふわり、と乗組員たちにいつもの感覚が訪れた。宇宙に出ると必ずこの感覚を味わうこととなる。これからは無重力世界に入るため、皆注意して船内で行動しなければならない。一応靴裏には小型の吸着装置が多数取り付けられているため無重力下でも床を歩くことは可能だが、それでもまず足をつけなければいけないため基本は浮遊しながら移動することになる。

 シートベルト着用のランプが消えたため、各々が一斉にベルトを外し動き始めた。ノエルもハッとしてベルトを外すと、手荷物を片手に立った。

「ノエル、それじゃまた夜に」

「うん、宇春(ユーチェン)またね」

 彼女は隣に座っていた同僚である中国系の若い女性、胡宇春(フー ユーチェン)と分かれると、一人機関室へと向かった。途中同じく機関室で働く初老の男性ハンスと合流しこの興奮冷めやらぬ感覚を互いに共有し話に花を咲かせつつ、ロッカールームの前で一旦わかれた。

 彼女は宇宙服からいつもの作業着に着替える。とはいえ、この作業服は三日前まで来ていた油まみれの使い古しではなく今回のために卸されたおニューの新品なのだ。これは当然市からの支給品で、タダだ。綺麗で、タダで、おまけに左胸と背中には満月号のマークである羽の生えた月とそこから飛び立つ古いロケットの刺繍があしらわれている特別品だ。胸をウキウキさせながら彼女は腰に工具を引っかけたベルトを巻くと、超硬樹脂製の軽いヘルメットをかぶり胸元のファスナーを閉めた。

「ふーっ」

 ノエルはストレッチをして緊張をほぐしつつ新しい作業着の着心地を確かめて、伸縮性がよいことを確かめるとロッカールームから出ようとしたところで指輪をしたままだったことに気づきロッカーの前に戻った。

 うっかり傷つけたりなくしたりするわけにはいかない。それに船内の機関部でこの指輪が機械に万が一の誤作動を起こしでもしたら、最悪二百十一名全員が宇宙の塵と消えてしまうだろう。そんな重大な事故を起こすわけにもいかないので、彼女は名残惜しそうに指輪を外して小箱に戻すとロッカーの奥にそっと隠すようにしまい込むと、鍵を閉めた。何度も鍵が閉まっていることを確認してようやく機関室に入ると既にほとんどのメンバーがそろっており、自分が思っていたよりも準備に時間をかけていたことに気づき謝りつつ自分の持ち場についた。

「なあに、まだマリアが来とらんよ」

 と、優しく言ったのは機関長のキースというこの船で最も高齢の黒人男性である。恰幅の良い彼は体全体を揺するように笑うとメーターの監視に戻った。全ての機関は順調に回転しており、安定したパワーを機全体に送り込んでいる。この設備を有するのは今となってはハトホルだけで、地球上にそれを整備できるものはいない。月世界の科学力は現在の地球を遥かに凌いでいたのである。この船が地球に降り立てば、地球上で最も先進的な科学力を持っているのはシュバステンからハトホルへと変わるだろう。それも何倍ものスコア差をつけて。

 ノエルから遅れること五分、ようやく最後の機関士でありノエルを含めて立った二人しかいない女性機関士マリアがずっこけながら機関室に飛び込んできた。

「す、すいませーーん!あったたイダッ!!」

 空中でバランスを崩した彼女は不規則な回転を始めたかと思うと頭頂部をしこたま手すりにぶつけて停止し頭を抱えてうずくまっていた。思わず室内に笑いが沸く。

「遅いぞー」

 キースがやはりまた体を揺すって笑っていた。ノエルも手を口元にやってフフフと笑い声をあげる。

「もーマリアっていっつもさあ……」

 こうして、満月号の航海は明るい始まりを迎えた。もう既に目前に見える青い地球と向かい合いつつ、機は地球の周りを周回しつつ適切な降下ポイントを衛生カメラで探し出し、降下する予定である。一体、どんな運命が彼らを待ち受けているのだろうか……

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