後日談 はじまりの聖女
後に、ノーヴェラントは大きく姿を変えることになる。
王都から見捨てられていた土地が、長い年月をかけて畑を広げ、水脈を戻し、結界を築き直した。
王都のような白い塔はなかった。一夜で森を作る聖女もいなかった。祈ればただちに花が咲き、実りが倉を満たすような奇跡もそこにはなかった。
あったのは、灰色の土に最初の芽を生み出す女と、その芽を見て土地がまだ生きていると信じた人々だった。
最初は畑だった。
その次は、水だった。
枯れた井戸の底に一滴だけ水を呼んだ時、私はまた足りないと思った。こんな一滴では誰の喉も潤せない。
けれど、人々は井戸を掘った。石を外し、土をさらい、その一滴がどこから来たのかを探した。
やがて、枯れたと思われていた細い水脈が見つかった。
結界も同じだった。
私が灯せたのは細い光だけだった。けれど職人たちは、その光を芯にして杭を打ち直し、石を積み、魔物の通り道を読みながら少しずつ境界を作り直した。
私ができるのは、いつも最初だけだった。
それは最後まで変わらなかった。
けれど、その最初を受け取る人たちがいた。
だから、一滴は水脈になった。
一筋の光は結界になった。
一つの芽は、畑になった。
そして土地は、少しずつ変わっていった。
やがてノーヴェラントで行われた再生の方法は、ほかの辺境にも伝えられるようになった。
王都もまた、時間をかけて自分たちが何を見落としていたのかを知っていった。
ミレイアの花は最後まで美しかった。
彼女の力は本物だった。
始まりさえあれば彼女は誰よりも豊かに育て広げることができた。けれど、世界には最初の一つさえ生まれない場所がある。
芽が自然に出る土地ばかりではない。
最初の一つを生む力と、それを育てる力。
どちらか一方だけでは届かない場所があるのだと人々は知った。やがて王都からも、私を訪ねる使者が来るようになった。
新しい土地を拓く時。
枯れた水脈を探す時。
壊れた結界の芯を戻す時。
何も始まらない場所で最初の一つが必要な時。
そのたびに私は、ノーヴェラントの最初の畑を思い出した。
灰色の土。
痩せた人々の顔。
何度も直された柵。
蜘蛛の巣が張っていた客人用の屋敷。
領民たちの前で膝をつき、芽を一つだけ出して、また途中で終わったと思ったあの日。
あの日、ダルガは言った。
この土はまだ死んでいない。
私は、その言葉を何度も思い出した。
後の年代記には、父ベルガント・アルヴィノールの名も残っている。
聖女に選ばれなかった長女セレイスをノーヴェラントへ遣わした。その判断が、後の辺境再生の始まりとなった。
そう書かれている。
中には、父が私の力の本質を見抜き、あえて辺境へ送ったかのように記したものさえあった。
私は、その一文が好きではない。
父は私を見抜いたのではない。
私を見ていなかった。
ミレイアの門出に影を落とさないように。
家の誉れを傷つけないように。
聖女になれなかった娘を王都から遠ざけるために。
けれど歴史は、時々、捨てられた者の夜を誰かの英断に書き換える。
結果だけを見れば、そう呼べるのかもしれない。
それでも私はあの夜を英断とは呼ばない。
あの夜、私は裏門から追い出された。
泥のついた馬車に乗せられ、誰にも見られないように王都を離れた。
けれど、その先で私は初めて自分の生んだものを待ってくれる人たちに出会った。
私の奇跡は、最後まで小さかった。
花を咲かせることはできない。
実りを満たすこともできない。
けれど、何も始まらなかった場所に最初の一つを生み出すことはできた。
そして、その一つを足りないとは言わず、受け取ってくれる人たちがいた。
だから人々は、いつしか私をこう呼ぶようになった。
はじまりの聖女、と。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
『はじまりの聖女』は、芽しか出せないと軽んじられた姉が、不毛の地で自分の力の意味を知っていく物語でした。
花を咲かせること。
実りを与えること。
完成させること。
それらだけに価値があるのではなく、最初の一つを生むことにも確かな意味がある。
そんな話として読んでいただけていれば嬉しいです。
もし番外編などで読んでみたい場面がありましたら、そっと教えていただけると嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
【追記】
ご好評をいただき、続編となる第二部を準備することにしました。




