第九話
セラスフィアと別れて一時間くらい経ったころ、秀頼たちは湖の畔に辿りついた。
森の中にある湖で、元の世界の諏訪湖の様に開けた感じは無く、奥多摩湖や名栗湖の様なダム湖に近い印象だった。
「ちゃんとした湖だな。ただ、水は澄んでるけど湧き水と違ってそのまま飲むのは流石に怖いな。拠点の候補地が決まったら、最初に濾過槽を作ろうか」
そうプランを決め、更に小一時間湖の畔を歩き回り、川の流れ込み付近を拠点に選んだ。
上流に岩場があり、近くにサランブラ(セラスフィアに教えてもらった黒いトマトの様な果実で、果実の中に多量の塩分を含んだ水をため込んでいる)の群生地があったのも選んだ理由の一つだ。
ただ、このサランブラの群生により、この湖が濃度の薄い塩湖だと言うことも分かった。
塩を取るには薄すぎるし、飲むのにはあまり適さない。
飲み水は川から取るしか無いだろう。
「じゃあ拠点づくりを始めよう。ロクサーヌは丸太集め、イクスとジーナは樹脂を集めてきてくれ。オレは近くに濾過槽を作るから」
そう言って解散し、秀頼は岩場へと向かった。
◇◇◇◇
少し大きめの岩の上に立ち、川の流れを確認する秀頼。
ここは傾斜がきつく、一部滝のようになっていた。水を引くには丁度良いが、問題は濾過槽までどう引くかだった。
竹でもあれば話しは早かったのだが、秀頼はこの世界に来てから竹らしき植物を一度も見ていない。
木を繰り抜いて水路を造るか、石を組んで重ねるか……粘土があれば陶器のパイプにするも有りかもしれない。手間暇はかかるが、創造魔法があるしゴーレムたちも居る。
「うん、何とかなりそうだな」
そう呟いたところで、突然、森の木々がざわめきだした。
秀頼がびくっと辺りを見回すと、木の枝をかき分けるバキバキという音が聞こえてくる。
何が来るのかと身構えていると、広葉樹の葉を突き抜けてロクサーヌが飛び出してきた。
「な、なにごと!?」
驚く秀頼の前にロクサーヌは着地し、そのまま秀頼を抱きかかえ飛び上がる。
その直後、それまで秀頼が立っていた岩が砕け散った。
「っ!?」
見ると、大きな鉤爪を持った魔獣が辺りを見回していた。
「め、メガテリウムぅ!?」(*注)
思わず漏れた秀頼の言葉に、上を見上げる魔獣。
その顔は件のナマケモノよりも熊に近い。
巨大な鉤爪も本来の爪の位置からでは無く、手の甲から生えている。
似て非なる魔獣だった。
今の騒ぎに気づいたのか、イクスとジーナが弓を持って駆け付ける。
「二人とも、気を付けろ! ロクサーヌ、オレをどこか邪魔にならないところに降ろして、助太刀に行ってくれ!」
恐らくあの魔獣は強い。ロクサーヌが倒さずオレのところに来たのは一人では倒せなかったからだ。倒せるなら、あの甲虫の時の様に勝手に倒してるはずだ。
ロクサーヌは、秀頼を少し離れた小高い丘に降ろし、荷物のある場所へと飛んで行く。弓を取りに行くためだった。
イクスとジーナは接近せず、移動を繰り返しながら、遠巻きに弓で攻撃している。
しかし、ダメージを与えてるようには見えなかった。
「攻撃が通ってない……石の鏃じゃあの毛を貫けないのか……」
秀頼たちの武器は弓と槍と斧、全て磨製石器だ。これが、通用しないのであれば、到底勝ち目は無かった。
「イクス! ジーナ ! 隙を見て逃げ出せ!! 無理して戦うな!!」
イクスとジーナも分かっているのか、弓を構えたままそれぞれ別の方へじりじりと下がる。
魔獣はどちらを狙うか見定めるためか、二人の様子を見比べている。
そこへ、ロクサーヌが戻り、空中から矢を射る。
狙ったのは魔獣の目。
刺さりこそしなかったが、魔獣の逆鱗に触れたらしい。
魔獣は咆哮をあげ、いきなりその場からジャンプをした。
目測で6メートル、安アパートの三階に届く高さだった。
咄嗟に下がるロクサーヌ。
もう一度、弓を射ると秀頼たちから引き剥がすように、逆方向へと下がっていく。
意図に気付いたジーナが地上からフォローするために後を追う。
イクスは護衛の為に秀頼のもとへ駆け付けた。
絶妙な距離を保ち離れていくロクサーヌ。魔獣の気が逸れそうなタイミングで弓を射ってヘイトをキープする。ジーナはこぼれ矢を回収しながらつかず離れずで後を追っている。
「このまま引き剥がせると良いんだが……」
そう呟いた瞬間、どこから風切り音が聞こえ———
秀頼が突き飛ばされた。
突き飛ばしたのはイクス。
地面を転がりながら見ると、秀頼の立って場所には、土を抉るように熊型魔獣が居た。
「別個体っ!?」
イクスは魔獣の目を狙って弓を射るが、魔獣は長い鉤爪でそれを弾く。
隙を与えず矢継ぎ早に射るイクス。
効かないのは分かっている。これは時間稼ぎだった。
秀頼は慌てて立ち上がり、走り出す。
「無理するなよ、イクス!!」
イクスを置いて逃げたくはなかった。だが、自分が足手まといだと言うことも秀頼は理解していた。今はイクスの負担を軽くすること、その為には出来るだけ離れるしかなった。
背後から弓弦を弾く音と大地を揺るがす轟音が聞こえる。
秀頼は、まるで水中を走るようなもどかしさを感じながらは駆ける。
少しでも距離を稼がなければ!
そう考える秀頼の脇を白い何かが通り過ぎた。
それは、破片をまき散らし飛んでいくイクスの姿だった。
「イクスっ!?」
地面に激突し、転がるイクス。外皮が剥がれ内臓(!?)がはみ出している。
秀頼は駆け寄り、イクスを抱き上げた。
だが、イクスは秀頼の手を逃れ、追ってくる熊の魔獣の前に立ちふさがった。
「ダメだ、逃げろイクス!!」
最早その手に弓は無く、全身満身創痍。どう考えても勝ち目は無い。
だが、イクスは秀頼の前から動かなった。
秀頼の頭の中を走馬灯の様に後悔が駆け巡る。
セラスフィアにもっと真剣に森の危険のことを聞いておけば良かった。それ以前に女神から攻撃魔法を貰っていれば……いや、そもそも異世界行きを断っておけば……
最早警戒する素振りも見せず、魔獣がゆっくり近付いてくる。
ふらふらになりながらも、腰を落とし身構えるイクス。
ここで時間を稼げれば、ジーナとロクサーヌがもう一体を撒いて駆け付けるかもしれない。
まだ希望はある。否、例え希望は無くとも、イクスが秀頼の前から離れるなどあり得なかった。
ジーナが衝撃音に気づいて振り返ると、秀頼を突き飛ばすイクスと土煙を上げ佇むもう一体の熊型魔獣が見えた。
見上げると上空で焦るロクサーヌ。彼女にも見えたのだろう。
一瞬でアイコンタクトをし、ジーナは踵を返えした。
秀頼の視界の端に駆けてくるジーナが見えた。
だが、目の前の魔獣は、既にその鉤爪を振り上げていた。
あの鉤爪が振り降ろされたとき、イクスは破壊される。
イクスが破壊される!!
それは無意識だった。
秀頼は咄嗟に魔獣に向かって手をかざすと、力の限り叫んだ。
「デウスエクスマキナ!!!!」
目の前が光に包まれ、そして、その光が弾け去る。
いつもの創造魔法の発現行程……だが、そこにあったのは、魔獣の姿だった。
「イクスが……消えた……?」
デウスエクスマキナは、角の女神に授けられたスキル。
自分で学び、手に入れた力では無い。故に、秀頼がその発動原理や創造の理屈を理解しているわけでは無かった。
呆然としている秀頼の前にジーナが駆けつけ、魔獣と対峙する。
だが、ジーナとイクスの性能はほぼ同等。このままではイクスの二の舞だった。
「逃げろ! ジーナ!!」
だが、やはりジーナも動かない。
しかし、今度は秀頼もジーナを見殺しにする気は無かった。
秀頼は背後からジーナを抱きかかえ、そのまま覆いかぶさった。
ゆっくり魔獣が《《振り返った》》。
そして、ジーナを抱える秀頼に「ゴ……ゴレバ……ビドイ……」と、声をかけた。
「え?」
喋った!?
秀頼が恐る恐る顔を上げると自分の姿を確認している魔獣の姿……
だが、よく見ると、その姿は女性的でサイズも小さくなっている。
元の体高が4メートルくらいだったが、今のはせいぜい2.5メートル。
全身剛毛に覆われて、魔獣に似てはいたが、その姿は熊の魔獣と言うより、むしろ熊の獣人だった。
「え……もしかして……イクス?」
熊の獣人はコクンと頷くと、ロクサーヌの方に視線を向ける。
ロクサーヌは上空から弓を射、もう一匹の注意を引き続けていた。
「バナジ…バ、アトデ」
そう言うと、イクスはロクサーヌの方へ駆けて行ったのであった。
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*注 メガテリウムとは新生代新第三期鮮新世前期~第四紀完新世(約500万~1万年前)に生息していた巨大なナマケモノの一種。男の子はみんな大好きな絶滅哺乳類。




