第26話 黒き呪毒の古城と、エルフ王女の神聖魔術
【万死の疫病王】が眠るという王国西方の『奈落の古城』。
その周囲は、生半可な聖属性魔法では近づくだけでドロドロに腐食して霧散してしまう、古代致死呪毒に完全に支配されていた。
空は禍々しい紫黒色の雲に覆われ、かつて緑豊かだった森の木々はすべて黒く立ち枯れ、不気味な骸のようにそびえ立っている。
そんな絶望的な死地へと続く荒野を、一台の豪奢な特製馬車が滑るように進んでいた。
もちろん、俺の【万象解毒】の力が馬を包み込み、車内も常に清涼な空気で満たしているため、別荘のリビングと変わらない完璧な快適さが保たれている。
「……トウマ様、本当に見事なものですわ。外はあれほど恐ろしい死の瘴気に包まれているというのに、トウマ様の隣にいるだけで、穏やかな気持ちになれます。」
俺のすぐ隣にぴったりと腰掛けていたセレフィナちゃんが、ハーブティーのカップを手にしていた。しかしその手は少し震えている。
彼女の豊かな金髪の間からは、エルフ特有の端正な耳が覗き、その胸元には俺が贈ったばかりの美しいブローチが気高く輝いていた。
「セレフィナちゃんがいてくれるからこそだよ。俺一人じゃ、最深部への扉すら開けられないみたいだしね。」
俺は優しく微笑みかけ、彼女の細く白い手を包み込んだ。セレフィナちゃんは小さく肩を震わせ、嬉しそうに、けれどどこか切なげに目を細めた。
「そう……仰っていただけると、本当に、胸が熱くなります。……私、エルフの王女として毅然としていようと思いながらも、心の奥が張り裂けそうです。」
セレフィナちゃんはカップをテーブルに置くと、俺の手を両手でぎゅっと握りしめ、上目遣いでじっと見上げてきた。
「私は王女として、これまで多くの民を導く立場にありました。……ですが、トウマ様の前でだけは、ただの、一人の女の子でいたいのです。今回の任務……エルフの血脈が必要だと言われたとき、不謹慎ながら、私、心の中で神に感謝してしまいましたわ。これでやっと、トウマ様の力になれるのだと……」
いつもなら完璧な淑女として振る舞う彼女の、あまりにも一途で情熱的な告白。耳の裏までほんのりと桜色に染め上げた美しい顔。
「セレフィナちゃん、大丈夫。俺だって、二人きりで来られて嬉しい。必ず任務を成功させて、無事に帰ろう。」
「トウマ様……っ」
セレフィナちゃんと吐息が触れ合うほどの距離になったその時、馬車が静かに停止した。目的地である『奈落の古城』の前に到着したのだ。
馬車の扉を開けると、そこは息をするだけで肺が焼け爛れそうなほどの、高密度の黒い呪毒が渦巻いていた。
だが、俺が一歩を踏み出し、空間に向けて軽く指をパチン、と鳴らす。
【万象解毒・古代致死呪毒の局所無力化】。
俺の指先から放たれた不可視の波紋が、二人の周囲数十メートルを包み込み、凶悪な呪毒を一瞬にして「ただの無害な薄紫色の霧」へと都合よく書き換えてしまった。
国家が総力を挙げても近づけなかった絶対の死地、しかし俺にとっては少し肌寒い庭園のような場所だ。
「さあ、行こうか、セレフィナちゃん。」
「はい、トウマ様!」
セレフィナちゃんはトウマの腕にそっと自身の細い腕を絡め、気品あふれる足取りで、不気味に佇む古城の城門へと進んだ。
城内に入ると、そこは幾重もの迷路のようになっており、俺の【概念猛毒】とセレフィナちゃんの神聖魔術で進んで行く。最深部へと続く大扉の前には、禍々しい古代の魔術文字が刻まれた巨大な光の結界が立ち塞がっていた。これが、王宮の文官が言っていた古代エルフの始祖による『血脈の三重結界』だ。
「トウマ様、ここからは私の役目ですわ。」
セレフィナちゃんは俺の腕からそっと離れると、結界の前に立ち、胸元のブローチにそっと手を当てた。
彼女が瞳を閉じ、エルフ王家に伝わる神聖魔術の呪文を紡ぎ始めると、彼女の身体から圧倒的なまでの純白の聖なる魔力が溢れ出し、古城の闇を瞬く間に浄化して行く。
「――我が血に眠る始祖の盟約に従い、古き封印をここに解き放たん。開け、奈落の扉!」
セレフィナちゃんが自身の指先を小さく傷つけ、その一滴の血を結界へと捧げる。
次の瞬間、世界を拒絶するように輝いていた三重の結界が、主を認めたかのようにサラサラと光の粒子となって行く。最深部へと続く巨大な石の扉が、地響きを立ててゆっくりと開き始めた。
「完璧だね、セレフィナちゃん。素晴らしい神聖魔術じゃないか。」
俺が後ろから声をかけると、セレフィナちゃんはほっとしたように振り返り、美しい笑顔を見せた。
「お役に立てて、良かったです……っ。これで、私もトウマ様の隣に立つ資格を――」
しかし、扉が完全に開き切ったその瞬間。
城の最深部、底なしの闇の奥から、これまでの呪毒とは比較にならない「世界を死滅させる」レベルの、絶望の波動が噴き出してきた。
「――久しいな、エルフの末裔よ。そして、我が眠りを妨げる、不届きな人間め。」
闇の奥で、血のように赤い二つの巨大な眼光が妖しく輝いた。不完全ながらも、ついに覚醒を迎えた伝説の【万死の疫病王】が、その圧倒的な威圧感とともに、二人の前に姿を現したのだ。
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