第17話 VS岩塊の巨顎、やっぱり凶暴性さえも俺の猛毒で一瞬だった。
【万象解毒】したおかげで坑道内の瘴気は消え去った。壁の魔導灯に照らされながら、2人の足音が静かに響く。
「トウマ殿、この先……強大な魔力の波動を感じます。」
ヴィオレが歩みを緩め、腰の長剣をすらりと引き抜いた。引き締まったその表情は、修羅場を潜り抜けてきた生粋の戦士のそれだ。
2人がさらに数歩進むと、突然、目の前の空間が大きく開けた。そこは、鉱山時代に掘り進められた広大な中央採掘場だった。すり鉢状になった空間の底、地響きのような低い唸り声を上げて、それは蠢いていた。
『――オオオオオオオ……ッ!!』
漆黒の硬質な岩肌のような皮膚、剥き出しになった何重もの巨大な牙。国境地帯の厄災と恐れられる魔獣『岩塊の巨顎』が、その巨体を震わせて咆哮した。
その咆哮の風圧だけで、普通の人間なら気絶しかねないほどの威圧感が空間を支配する。
「来ます、トウマ殿! 私が前衛を務めます。どうか御身を安全な場所へ!」
ヴィオレは迷うことなく俺の前に立ち、白銀の剣を構えた。彼女の背中は小さく緊張に震えているが、その一歩は決して退かない。
「ヴィオレ、無理しなくていいよ。俺がその魔獣の『戦意』を――」
「いえ、トウマ殿!」
ヴィオレは毅然とした声で、俺の言葉を遮った。彼女は振り返らず、ただ真っ直ぐに敵を見据えたまま言葉を続ける。
「トウマ殿が、私をただの護衛ではなく、一人の女性として大切にしてくださることは、涙が出るほど嬉しいのです。……だからこそ、私はトウマ殿の『お荷物』にはなりたくない。トウマ殿の隣に立つに相応しい、強い盾でありたいのです!」
その言葉に俺は目を見張った。彼女は甘えたいだけの存在ではない。居場所を得たからこそ、自分の誇りを、自分の力で証明したいと願っているのだ。
「……分かった。ヴィオレ、前は任せるよ。後ろは俺が完璧にフォローする。」
俺が微笑んでそう告げると、ヴィオレの背中の緊張が、すっと心地よい覚悟へと変わるのが分かった。
「はいっ! 騎士の真髄、お見せします!」
『岩塊の巨顎』が、自慢の顎でヴィオレに喰らいつく。ヴィオレの体が弾かれたように地を蹴り、ひらりとかわす。魔獣は着地点を先回りして巨大な岩の腕を振り下ろす。尋常ではない質量の一撃。だが、ヴィオレは恐れることなく、剣に純白の闘気を纏わせて迎え撃った。
「ハァッ!!」
鋭い斬撃が岩の腕を正確に捉え、火花を散らして弾き返す。魔獣が体勢を崩した一瞬の隙を突き、ヴィオレの剣が神速の三連撃をその胴体に叩き込んだ。
『ガアアアアッ!?』
魔獣が苦悶の声を上げる。並の戦士では傷一つつけられないはずの皮膚を、ヴィオレの剣技が見事に切り裂いていた。
しかし、魔獣も伊達に長く棲みついているわけではない。傷を負った『岩塊の巨顎』はさらに狂暴化し、その全身の岩肌から、無数の鋭い岩の棘を、散弾のように周囲一帯へと放った。
広範囲を完全に埋め尽くす、回避不可能な質量攻撃。
「しまっ……!?」
体勢を崩していたヴィオレの顔に絶望が走る。防ぎきることができない――。
「慌てなくて大丈夫だよ、ヴィオレ。」
俺はただ、迫り来る無数の岩の棘に向けて、優しく右手をかざした。
【万象解毒・質量および運動エネルギーの消滅】
次の瞬間、ヴィオレの目の前で奇妙な現象が起きた。世界を穿つ勢いで迫っていた無数の岩の棘が、ヴィオレの手前数十センチの空間に触れた瞬間、すべての「速度」と「質量」を奪われ、ただの無害な砂埃となって、サラサラと床へ崩れ落ちていったのだ。
「え……?」
呆然とするヴィオレ。俺は何事もなかったかのように歩みを進め、ヴィオレの隣に並んだ。そして、まだ獲物を狙おうとしている『岩塊の巨顎』を静かに見据える。
「ヴィオレが格好いいところを見せてくれたからな。俺も負けちゃいられない。」
パチッと静かに指を鳴らした。
【概念猛毒・狂暴性の消滅】
指先から放たれた不可視の「猛毒」が魔獣の脳内に直接作用する。凶悪な「戦意」や「敵対心」という概念だけが、一瞬にしてピンポイントで腐食し、完全に消滅していった。
『――キュ、キュゥ……?』
さっきまで世界を滅ぼさんばかりに咆哮していた巨獣が、突然、毒気を抜かれたようにその場にへたり込んだ。そして、大きな目をパチパチとさせながら、俺とヴィオレに向かって、まるで従順な子犬のようにゴロゴロと喉を鳴らし始めたのだ。
「な……な、何が起きたのですか……?」
剣を構えたまま固まるヴィオレの頭を優しく撫でた。
「魔獣の『暴れたい気持ち』を【概念猛毒】で制したのさ。これでもう、この鉱山を襲うこともない。」
『岩塊の巨顎』の大きな鼻先を撫でてやると、巨獣は嬉しそうに目を細めてすり寄ってくる。国が絶望していた災厄は、俺たちの手によって、一瞬にしてただの無害な居候へと書き換えられてしまった。
「お見事、です……。やはり、トウマ殿の隣は、世界で一番安全で、そして……誇らしい場所ですね。」
ヴィオレは剣をサヤに収めると、心の底からの尊敬と、それ以上の深い愛情を込めて、トウマを見つめた。
「さあ、調査隊の人たちを呼んで、任務完了を報告しよう。終わったら、早くみんなのところに帰らないとな。」
「はいっ、トウマ殿!」
ヴィオレは満面の笑みで頷くと、俺の腕にそっと自分の腕を絡めるのだった。




