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第30話・Letter Red




 ==================


 クロード……

 エリーは旦那様を傷つけてしまいました

 悲しませてしまいました


 旦那様がお屋敷の改善の役目をくださり、役立たずの私でも

 ジークベルト家にいる意味を与えてくださったのに。

 初めて優しい言葉と笑顔を向けてくださったのに。

 旦那様を、ひどく失望させてしまいました


 不本意だったとはいえ

 エリーは不義を犯しました……激昂は当然です

 旦那様の顔が離れなくて、涙があふれてとまらないの


 ==================




 アレクシスは、書卓に額がつくほど項垂れた。


 朝陽が潜んだ山の端が明るみを帯び始めている。

 明け方に届いた手紙には、四角く折られた小さな紙面を埋めるように文字が綴られていた。


 文体から伝わる彼女の想い。

 インクが滲んでいる箇所は、エリアーナがこぼした涙のあとだろう。

 「泣いている」と書かれていたのは初めてだった。


 純白の魔法鳩が丸い目で瞬きながら、こちらを心配そうに見つめている。

 足元に寝そべっていたドーベルマンのマルクスも、主人の異変に気付いて眠そうな顔を持ち上げた。


「……やはりそうか」


 手紙にははっきりと『不義を犯した』と書かれている。


「エリーは、あの男と」


 繋いだ手の感触。ドレスを纏って恥じらう横顔。

 思い起こせば、ほとばしるエリアーナへの想いが込み上げ、胸を熱くする。


「……くそっ」


 鼻で息を吐き、血が滲むほど握りしめた拳を書卓に打ち付けた。

 そこまでエリアーナを追い詰めてしまった自分への苛立ちと、彼女の額に唇を寄せるレオンへの腹立たしさが、絡まりながら込み上げる。


 溢れる愛情をろくに示せぬまま、エリアーナを奪われた失望もさることながら……案じるべくは、エリアーナ自身も気付かぬところで『王の眼』の異能が発現している可能性についてだ。


 ──エリーを『王の眼』として王宮になど上げるものか。もし異能が芽吹いていたら……周囲にどこまで隠し通せる? 


 アビス一族の娘を娶ったアレクシスが、妻の異能の発現を隠していたと発覚すれば──重大事項の隠蔽と、国王を欺瞞した重罪に問われるだろう。


 無惨な死を遂げた、先代の『王の眼』。

 憤りの奥に、抑えがたい恐怖が這い上がる。彼女を失う光景だけは、どうしても耐えられなかった。


「……俺はどうなったっていい。エリーを守ると決めたのだ」


 失うくらいなら、地位も誇りも捨てて構わない。

 彼女の身を危険に晒すことだけは、決して許さない。


 たとえ──そのために憎まれ、拒まれようとも。


 先ずは、『王の眼』発現の事実の有無を確かめねばなるまい。

 問題は、どうやってそれを知るかだ。




 *



 その頃──。

 エリアーナは寝支度を整え、寝台に身体を預けていた。


 夜の帷はすっかり降りて、窓際の書卓が青白い月明かりに照らされている。

 卓上に飾った薔薇の花びらが一枚、はらりとまた落ちた。


「……ルル、ねぇ、ルルってば。どこにいるの? 居たら声を聴かせて」


 エリアーナが窮地のさなかにいると言うのに。

 うさぎの縫いぐるみは、揺すぶっても叩いてもピクリとも動かない。

 《離縁作戦》が失敗してから、守護妖精のルルは沈黙を保ったままだ。いつもなら一言目で妖精の里から飛んできて、へらず口を挟んでくるのに。


「……今度も助けてくれないのね」


 アンには申し訳なかったが、どうしても学園に足が向かず。

 赤く腫らした目を氷嚢で冷やしながら、一日をベッドの上で過ごした。


 そして──半日経ってようやく戻った鳩便には、なぜか筆圧の弱い文字が並んでいた。



 ===================



 君が悪いのではないよ。自分を責めないで。

 エリーがどれほど誠実で真面目なのかを、私は良く知っている。

 君の夫が激昂するとしたら、そんなエリーを不貞にまで追い込んでしまった不甲斐ない自分に、腹を立てているのだと思う。



 ===================



 優しい言葉は、エリアーナを追い詰めないための気遣いに違いない。

 そう思うと、ますます惨めで辛くなった。


 不本意でも、レオンのキスは覆せない。

 アレクシスから見れば、立派な「不義」だ。


 ──旦那様ばかりか、クロードも私に失望したでしょうね……?


 心臓を掴まれるような痛みを感じて、エリアーナの頬にまた涙が伝う。

 雨模様の心にたちこめた黒い霧は、くすぶる疑問を浮き立たせた。


 ──お怒りはわかります。でも、あんなに悲しそうな顔をするなんて。旦那様が愛しているのはアルマ様、なのに……?


 指先を、そっと唇にあてた。

 今まで夫にまともに触れられたことはない。


 ──なのに突然。


「くちづけを、されるかと……っ」


 唇がふれあうほどに近づいたあの瞬間を思えば、腹の奥が甘くくすぐられる。

 火照った頭を冷やそうと、エリアーナがバルコニーに向かった、その時。


「ご就寝前に失礼いたします……!」


 唐突に二度、部屋の扉を強く叩く音がする。

 こんな時間にメイドが訪ねて来るのは始めてだ。


「若奥様っ、よろしいでしょうか……?」

「ええ、聞こえています」


 戸惑いながら扉を開ければ、頬を紅潮させたメイドが慌てたふうに息を切らしている。


「どうしたの?」

「それが、そのっ……。先ほど、アレクシス様が本邸にいらっしゃって」


 真っ赤な顔で両手を組んだメイドが目を泳がせる。

 伝える事さえ、恥じらうように。


「こんな時間に、旦那様が本邸に?」


 こく、こく。

 大きく頷くメイドも驚いている様子。

 エリアーナが知る限り、アレクシスは仕事から戻るとすぐ離れ屋敷に向かう。

 食事も離れ屋敷で摂り、本邸にはほとんど顔を出さない。


 ──何か、急ぎの用でも……?

 エリアーナが首を傾げていると、メイドが小声で告げる。


「それが……。今夜は若奥様の寝室で眠ると仰って、若奥様に『(ねや)の支度』をしておけと」


「……………ぇ?」


 意味を理解した瞬間、心臓が喉元までせり上がった。


 ──閨の支度って……まさか。本当に……?


 逃れられない状況が迫っている。

 頬に一気に熱が差し、指先まで痺れるようだった。



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