貴女を慕う後輩
バコン、ガリ、ボリ。いつもの風景。
一心不乱に料理をかみ砕く彼女を見つめながら、最高の幸せと平穏を噛みしめる。すると、食事を終えた奏渚が尻尾を振りながら軽く首を傾げ、喉を鳴らす。
『サ、エ……ナイ、ゲ、ン……キ』
「――えっ」
彼女の喉は言葉を発するのに適していない。ゆえに短い単語単語に区切っていても、それはたどたどしく発音も不安定だ。桜咲はその両目を限界まで見開き、彼女を見つめた。
驚きに染まった表情に奏渚は小首を傾げ、もう一度、たどたどしく同じ言葉を発する。すると、桜咲は弾かれるように彼女の胸元へと飛び込んでいた。
「奏渚……」
飛び込んだ桜咲はグリグリと彼女首筋に顔を埋める。その表情は嬉しいような疲れたような複雑な物を浮かべている。
まさか、相手の意思を読み取り言葉を発するとは思わなかった。たとえ、偶然だとしても桜咲は嬉しくもあり、悲しくもあった。なぜなら、桜咲は人間が嫌いだ。弱く、もろく、変に知恵の働くそれらが物心ついた時から大嫌いだった。
今まで殆ど会話という会話ができなかった彼女と言葉が通じ合うのは嬉しかった。が、彼女が言葉を理解し、話せることによって人間に戻ってしまうことが何よりも恐ろしかった桜咲は、巻き付いてくる彼女の尻尾を強く抱きしめる。
「ごめんね。私、次来た時は最高の料理を持って来るって言ったのに……」
奏渚の口から飛び出ている青色のリボンをそっと彼女の口の中へと押し込むと、小さく笑う。
「本当は彼女を持ってくるつもりだったのに。でも、今日はそれなりに美味しかったでしょう?」
『サエ、サエ……』
「ふふふ、でもこれで、悩みは一つ減ったわ」
ペロペロと桜咲の顔を舐める彼女の舌に軽く口づけを落とす。ぬるりとした感触に乗っかって鼻腔をかすめていくニオイ。果物屋、香草といった香りに混じるニオイに桜咲は自嘲気味に口角を上げる。
しっかり臭みを取ったはずだが、やはりまだ完全に取り除くことはできなかったようだ。が、桜咲は“慣れていないから”という無様な言い訳はしない。
「今度は絶対に最高の料理を持って来るからね」
最高の食材を使うのだから……必ず成功させてみせる。無意識に自分が拳を作っていることに気が付いた桜咲は“こんな仕草もできたのね”と胸の中で笑った。
「奏渚、きっと貴女のおかげね」
『サエ……?』
首を傾げる奏渚の顎下を撫でる。言葉を完全に理解しているとは思えないが、その仕草を見ていると実はわかっているのでは、と考えてしまう。が、桜咲は静かに微笑むと、「まぁ、いいわ」と呟く。
「貴女が理解しててもいいわ。だって、貴女に“答える”という知性は与えていないもの」
そう呟いた桜咲の瞳からスっと光が消える。見た者の心に穏やかさを与えるような茶色の瞳は、今や見た者を凍てつかせるほど冷たく鋭い。
そう、全ては設計図通り。見た者を模倣する機能を与えてはいるが、結局真似をするだけで自分の考えや行動ではない。なぜなら、彼女の脳内に考えるという能力は無く、見た者を“食べる”という本能しか与えていないのだから。
「これだけ、可愛らしい仕草が出来るようになったんだから、きっと“外”でも生きていけるわね」
『サエ?』
「まぁ、私の名前しか呼べないからちょっと大変かもしれないけど……でも、貴女は私と永遠に一緒なのだから関係ないわね」
喉を鳴らして甘えてくる奏渚を全身で抱きしめる。鼻先から吹きかけられた息は生暖かい。気持ちよさそうに目を細める桜咲はもういつも通りの優し気な雰囲気へと戻っている。
今は、この時間を全力で噛みしめなければ。桜咲はそう思った自分に嫌気がさした。のんびりと平和ボケした穏やかな周囲に奏渚のことがバレるとは思わない。
「……なのに、この嫌な感覚は何かしら」
――残されている時間は短い。
そう誰かに言われているような気がした。もちろん、この地下室という名の楽園に他人はいない。いるのは桜咲と奏渚だけ。
ここ最近で様々なことに挑戦してきた疲れが出てきたということか。桜咲は聞こえてくる幻聴を蹴り飛ばす。たかが、幻聴ごときにこの幸せな時間を邪魔されてたまるか。
誤魔化す様に奏渚の鼻先に口づけを落とし、彼女のお腹に寄りかかり巻き付く尻尾をだきしめる。すると、鉄と花と獣臭さが混じったような香りが鼻腔を突き抜け、脳を包み込む。
「すぅ……はぁ……」
肺いっぱいに吸い込み、ゆっくりと、長く吐き出す。この香りに包まれて昼寝の一つでもしたらどんなに幸せだろうか。が、そんなことをすれば永遠の眠りにつくことになるだろう。なら、少しでも長くこの香りに包まれたいと願う。
だが、それも叶わない。
――ねぇ、月橋さんって最近動物でも飼い始めた?
クラスメイトの誰かに言われた言葉を思い出す。聞き返せば、最近動物のニオイがしていると言われてしまった。その時は「山にいた猿に追いかけられちゃって」と適当に嘘をついたが、あの時は流石に危機感を感じた。
それからは、奏渚に会った後は、悲しいが消臭スプレーをするようにしている。おかげで、言われることは無くなったが、毎日の気分は最悪だ。
「こんなにいい香りなのに……だから、人間って嫌いなのよ……私も貴女のような獣だったら、どんなに幸せだったんだろう」
『サ……エ』
グリグリと鼻先を押し付ける彼女を撫でながら、次の料理を考える。
「やっぱり、もっとしっかり血抜きをしないとダメよね……その方が解体も楽でしょうし」
どうやって、血抜きをするか。やはり、逆さにつるして生きたまま頸動脈を切り裂き血を抜くのが理想か。その後、素早く内臓を取り出して腐らせないために肉を冷やす。
前回と今回は冷やしが足りなかったせいで、肉の中に潜む細菌が増殖してしまった。それゆえに、臭みが出てしまった。もうすぐ冬になるとはいえ、まだまだ気温は高い。
「うーん。やっぱり、お父様が使っている冷凍室を借りるしかないわね」
桜咲がうーんと唸っていると、今まで鼻を押し付けていた奏渚が低く喉を鳴らす。
『グルルゥゥゥ』
「あら、もうそんな時間だったのね。……前年、もっと一緒にいたいのに」
いつも通り尻尾から抜け出し、光が差し込むドア側へと移動した瞬間――雷のような轟音が響いた。桜咲は祖の声に目を細めると、肩越しに振り向く。
その表情は愛おしさで満ちている。
「またね、奏渚」




