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焼き菓子は好き?


 トレーを持って部屋へと入り、境界線へとそれを置く。すっかり日常となった大好きな時間。顔が知らず内ににやけてしまうのも仕方がない。

 彼女の好物ばかりが乗ったトレーからは様々な香りが混ざった湯気が立ち上っている。暗闇から姿を現した彼女は真っ赤な舌を伸ばし、ツンツンとトレーを突いた後、それを掬い上げ口の中へと放り込む。


 ガリ、バリ。硬い物が砕かれる音がなんとも心地よい。今日はウサギやネズミの丸焼きに大量の鉄製ワイヤーを添えた自信作だ。奏渚は口から飛びだしそうになったウサギの頭をかみ砕き、床に落ちたワイヤーを蕎麦のようにすする。

 時間にして一分にも満たない食事風景。暫くすると、目をトロンとさせた奏渚がその場に寝ころぶ。桜咲はそんな彼女の元へと近づき腰を下ろす。


「今日もおいしかったでしょう? ワイヤーはいつもより高い物を入れたのだけど、気付いた?」

『サ、エ……』

「わかるわけないわよね。でもいいのよ、貴女はいつも美味しそうに食べてくれるから」


 スリスリと奏渚の大きな顔に頬ずりをする桜咲の表情は実に幸せそうだ。鉄のニオイが鼻腔を貫いていく。が、それはいつものことであり、その香りを心地よいと思っている桜咲はもっと嗅ぎたいといわんばかりに大きく息を吸った。


『サァエッ』

「――あら、もしかしてわかったの?」


 桜咲は驚いたように瞳を見開くと、破顔する。そして、ポケットから少し大きめの可愛らしい袋を取り出す。パンパンに膨らんだそれは所々が歪んでおり、まるでゴツゴツとした岩でも入っているかのようだ。

 奏渚はその袋を見るなり、フン、フン、と鼻息を桜咲へと吹きかける。風がかかるたびに桜咲はその表情を際限なく緩ませると、袋の封を開ける。フワリと香るは甘い焼き菓子の香り。そして、続くようにやって来る濃い鉄の香りが袋から飛び出し部屋へと広がる。

 フン、フン、と鼻を鳴らす奏渚。その口からはダラダラと涎が零れている。桜咲は“本当は匂いがわかるんじゃないの?”、と呟き微笑を浮かべた。


「もうっ、そんなに慌てなくてもあげるわよ」

『サエ、サエ』


 袋から取り出されたそれは綺麗なキツネ色をしたクッキーだった。だが、もちろんただのクッキーではない。まるでチョコチップのように散りばめられているのは――銀色に輝く無数の釘やネジである。

 桜咲がクッキーを見せると、奏渚は“早くよこせ”と言うように大きく口を開く。乳白色の美しい牙が並んでいるそこへと彼女はクッキーを入れる。

 ガリ、バリ。バクンと閉じた口が動くたびに聞こえる音楽。この音をずっと聞いていたい。桜咲は彼女が食べ終わるのを眺めると、彼女の顎下を撫でながら口を開く。


「どう? 初めて作ったんだけど美味しい?」


 返事はない。代わりに再び開いた口の中へともう一枚、クッキーを放り込む。かみ砕く音があまりにも心地よくて眠ってしまいそうだ。が、桜咲は軽く首を横に振ると、言葉を続けた。


「今日の体育は貴女の好きなリレーだったわ。まぁ、私にはあれの楽しさが全くわからないけど」


 ガリ、ゴリ、という音を聞きながら、桜咲は袋に後何枚クッキーが残っているかを確認する。


「だってそうでしょ? チーム戦だって言っても、私がいればそのチームは必ず一位になるもの。まぁ、そんなのいつものことよね……あ、そういえば、今日は少し違うことがあったの。えっと……確か、貴女のお友達だったかしら? 朱莉さん? あの人がね、私に勝負を挑んできたのよ」


 カラカラとくだらないと言うように笑う桜咲は、再び開いた奏渚の口へとクッキーを放り込む。


「どうして? と訊いたら、“私が勝ったら奏渚の居場所を教えろ”って言ったのよ。意味不明よね。だって、そうでしょ? 周りは私が天間奏渚(あまのまかんな)の居場所を知っているなんて思わないもの。クラスメイトも不思議そうな顔をしていたわ。……でもまぁ、暇だったから勝負してあげたの。どっちが勝ったと思う?」


 尻尾が桜咲の持っている袋をつつく。優しく微笑むと持っていたクッキーを放り込む。


「まぁ、当然私の圧勝なんだけどね。こんな田舎で弱将校の陸上部ごときが私に勝てるわけないじゃない。あれは時間の無駄だったわ」


 桜咲はため息を吐き出すと、最後の一枚が入った袋をごと奏渚の口の中へと入れてあげる。バリ、ボリ、むしゃむしゃという音と彼女の満足げに鳴らした鳴き声が耳を撫でていく。


『サ、エ』

「ふふ、だいじょーぶ。朱莉さんも本気で私を疑っているわけじゃないと思うわ。それに……朱莉さんがここまでたどり着けるとは思えないし。でもまぁ、注意はするから安心して」


 すりっと頬を撫でてくる彼女の尻尾にすり寄る。鋼のように硬くともどこか温かみのあるそれに表情が緩む。奏渚はそんな桜咲の顔をペロペロと舐める。


「ふふ、本当に私の顔を舐めるのが好きね。貴女にとって、私はそんなに美味しそうに見えるのかしら」

『サエ……サ、エ』

「奏渚、大好きよ」


 熱の篭った桜咲の声に奏渚は瞳をギョロギョロと動かす。


「もう貴女のこと以外何も見えない。それぐらい奏渚――貴女に夢中なの」

『……』


 奏渚に舌をしまうように促した桜咲は彼女の顔に手を添え、そっと自分の顔を彼女の鼻先へと近づけるとそのまま――優しく口づけを落とす。

 小さく吐き出された奏渚の鼻息が桜咲の前髪を揺らし、くすぐったい。だが、まだ離れてはあげない。奏渚の顎下を優しく撫でながらチロリと舌を出し、彼女の口を撫でる。硬い毛に覆われたそれからは鉄とクッキーの香りが漂っている。


「好きよ」


 顔を離した桜咲は噛みしめるように言葉を紡ぐ。奏渚はそんな彼女の顔をペロリと舐め、小さく喉を鳴らす。その可愛らしい仕草に桜咲の心臓がわずかに速くなり、愛おしさという熱を体が帯びていく。

 以前の彼女に対しては微塵も感じなかった感情だ。まぁ、人間嫌いの彼女に人間を愛おしく想えというほうが無理なのだからしかたない。


「ねぇ、貴女は私のこと好き?」

『グルル』

「わかってるわ。貴女が私のことを大好きなことぐらい。ちょっと、意地悪したくなっただけ」


 拗ねているようにも聞こえるうなり声を奏渚が鳴らす。桜咲はカラカラと笑って彼女の舌先へとキスをする。そして、自分の唇に付いた彼女の唾液をペロリと舐めとり微笑を浮かべる。

 奏渚の濁った瞳にわずかな光が差し込む。そのことに気が付いた桜咲は寂しそうに瞳を揺らすと彼女の頬を軽く撫で、立ち上がる。

 

 いつも通り、彼女の牙が届かない境界線を越えたその時、いつもの咆哮が轟く。雷のような声と共に桜咲の背中を貫くは強烈な殺気だ。が、彼女にとってはそれがどこまでも心地よいものへと変換されているので恐怖は無い。


『――サァァァァエェェェェェ! グルラァァァアアアアアアアアアアッ!』

「その声も大好きよ」

『ッアァァァアアアアアアア!』


 石同士を擦りわせたような、銅鑼でも叩いたかのような形容しがたい声。それは骨の髄まで響き、その刺激に桜咲は無意識に興奮で体を震わせた。体が熱を持ち、心臓が激しく波打つ。

 あんな獰猛な獣に襲われたらどうなるだろうか。まず、手足を引きちぎられてしまうのだろうか。それとも、頭から一口……感じる間もなく先ほどのウサギの頭のように噛み砕かれ飲み込まれてしまうのだろうか。


「……ッ」


 そう考えただけで体が燃えるような熱を帯びる。桜咲は火照った顔に冷やすように両手を頬へと当てると、その殺気から逃げるように階段を駆け上がった。





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