ナーナとネノネの、習い事
「……ねえ、おじさん」
家を出て外に行こうとする俺の袖を、
小さな手がちょこんと引っ張った。
見下ろすと、ネノネが少しだけ首をかしげて俺を見上げている。
「ん? どうした、ネノネ」
「ネノネも、狩りしてみたい」
「狩りか。……森は危ないぞ。寒いし、足場も悪いし」
「平気だよ。ネノネ、走るの得意だもん」
胸を張って言い切るネノネの鼻先は、寒さでほんのり桃色に染まっていた。
この辺境の家で、幼い少女たちが退屈してしまうのは無理もない。
ただ怯えて閉じこもっているよりは、
何か夢中になれるものがあった方がいいだろう。
「……じゃあ、まずは弓の使い方を覚えてみるか」
────
しんしんと降り積もっていく雪の音を聞きながら、
俺は納屋の奥からしなりの良い木の枝を何本か選んで持ち出してきた。
暖炉の前に腰を落とし、小刀の刃を滑らせる。
皮を綺麗に剥ぎ取り、少しずつ、木の繊維の調子を見ながら削り、しならせるように形を整えていく。
その手元を、ネノネは暖炉の火に照らされながら、覗き込んできた。
「おじさん、それ、なに?」
「ネノネの弓だよ。俺のじゃ大きすぎるからな」
時間をかけて丁寧に磨き上げ、細く丈夫な弦を張って出来上がったのは、
ちょうどネノネの背丈と同じくらいの、小ぶりで扱いやすい弓だった。
「いいか、ネノネ。おじさんと約束だ」
「約束?」
俺は手を止め、小刀を鞘に収めると、膝の上に置いた弓に手を置いた。
厳しさを少しだけ込めて、低い声でネノネの目を見つめる。
「まず、弓に慣れるまでは俺が見てるときにしか触らないこと。
……はい、言ってみな」
「えっと、弓はおじさんがいるときしか触らない」
「よし、人には絶対に向けないこと」
「人には向けない」
「それから、納屋の奥にある俺の道具には、勝手に触らないこと」
「なんで?」
「大人の道具は危ないから、怪我しちゃうだろ?」
「うん、わかった」
「よし」
ネノネが真剣な顔でこくりと頷いたのを見て、俺は表情を緩めた。
────
家の前に広がる真っ白な雪原に、藁をきつく束ねた的をひとつ立てる。
冷たい風が頬を刺すが、ネノネは寒さも忘れたように自分の弓をぎゅっと握りしめていた。
「足は肩幅。背中をまっすぐ。弦は、頬に触れるところまで引く」
俺はネノネの後ろに回って腰を落とし、弓を持つ小さな手の上に自分の大きな手を重ねて姿勢を整える。
見下ろすと、真剣な眼差しでまっすぐに的を見据えるネノネの横顔があった。
「その体勢のまま……息を吸って、止めて。よし、今だ」
そっと指を離させる。
弦がピッと高い音を奏で、小さな矢が雪の空気を切り裂いていった。
――とすっ。
静かな雪原に、乾いた音が響く。
藁の束の中心近くが、小さく揺れていた。
「……あたった!」
「……当てたな。……しかも1回目」
俺は思わず目を丸くした。
子供の腕力で、しかも初めての射撃で的に当てるなど、普通では考えられない。
「ネノネ、すごい?」
「すごい。俺が最初に持った時より、ずっと上手いよ」
「おじさんは何回目だった?」
「当てるまでに3日かかったよ」
「おじさん下手だったんだね」
「……まあ、正直な」
子供というのは、本当に遠慮がない。
というより、これも打ち解けて来た証拠か、と苦笑いしながらも、
俺の手は自然とネノネの頭に向かい、柔らかい髪をわしわしと撫で回していた。
「でも今は上手いんでしょ?」
「どうかなぁ。ネノネのほうが上手かもな」
「……えへへ」
頭を撫でられながら、ネノネは胸の奥から溢れ出すような笑みを浮かべた。
「もっと練習していい?」
「ああ、好きなだけ。でも危なくないようにな」
雪山で拾った時は、ただ怯えて青ざめていたこの子が、
いまこうして心から笑っている。
村にいた頃も、こんなふうに笑っていたのだろうか。
そんなことを考えると、胸の奥がじわりと切なくなった。
「あ、姉ちゃん、見て!」
デッキの雪を箒で掃いていたナーナを見つけ、ネノネが弾んだ声で駆け寄っていく。
「なにしてたの?」
「おじさんに弓教えてもらってた!」
「へー……。ネノネはそういうの得意でいいなあ」
言いながら、ナーナはネノネの手のなかにある子供用の弓を眺めていた。
「ナーナもやってみるか?」
「い、いいの?」
「ああ、ここに立ってみて」
そう言ってナーナに弓を持たせてみたものの、ナーナは腕をぷるぷると震わせ、
何度試しても弦を最後まで引ききることができなかった。
指先を痛めて、ぽとりと足元に矢を落としてしまう。
「ゆびいたい……」
「ごめんごめん、無理しなくていいから」
あやまる俺に、「でも……」と顔を上げたナーナ。
その視線の先では、早くも次の矢を番えたネノネが、
まるで吸い寄せられるように次々と巻き藁へ矢を叩き込んでいた。
針の筵になっていく巻き藁を見て、ナーナはぽかんと口を開けている。
「どう?」、とナーナは胸を張った。
「すごい」「凄いな」
口々に、ナーナと俺も素直に感嘆を漏らした。
大人でも感心するセンスだ。
同じ双子の姉妹でこうも違うものかと驚いてしまう。
「ネノネは体を動かすのが好きなのか?」
「うん、かけっこも姉ちゃんよりはやいよ」
「わたし、運動きらい……」
ナーナはぽつりと呟き、少しだけ肩を落とした。
確かにネノネに比べると、ナーナは少し鈍くさかった。
「わたし、縫い物とかお料理のほうがすき……」
「縫い物は……俺は教えられないなぁ……。革なめしくらいなら見せてやれるけど……」
不満そうに唇を尖らせるナーナに、頭をかいた。
「……ダメだよな、そりゃ」
「じゃあ料理でも……スープを作るのを、手伝えるか?」
「やる。わたし、やる……!」
ナーナはパッと目を開くと、小さな手でぎゅっとエプロン代わりに巻いた布を握りしめた。
さっきまでネノネの弓の腕前に少し凹んでいたのが嘘のように、やる気満々だ。
そういうわけで、その日の夕飯準備にとりかかることになった。
調理台には、先ほど俺が外で捌いた兎の肉と、大小いくつかの野菜が転がっている。
「包丁は危ないから、俺が野菜を切るからナーナは鍋に水を……」
そう言いながら、野菜を縦に横にすぱすぱ裁っていく。
すると、ナーナが、がしと俺の腕を抑えた。
「おじさん、ちがう」
「……え?」
見上げると、台の上にちょこんと乗ったナーナが、実に堂々とした目で俺を見つめていた。
「お野菜の切り方ちがうよ」
「……切れてるからいいんじゃないか?」
「だめだよ、大きさそろえないと。ぐずぐずのやつと、かたいやつが混ざっちゃうでしょ」
「な、なるほど」
「それに、かたいお野菜は小さく切って先にお湯にいれないと、生のままでしょ」
「まあ……確かに」
ナーナは布をきゅっと結び直すと、小さな手を可愛らしく腰に当て、俺を見下ろした。
「……おじさん、お料理、あんまり上手じゃないでしょ」
痛いところを突かれ、絶句する。
確かに、俺が作ってきた飯といえば、
とりあえず腹に入れる栄養源みたいなものばかりだ。
対するナーナは、母親が台所に立つ姿を小さな瞳でしっかりと見て、
覚えていたのだろうか。
ちょっといつもより胸を張ったナーナは小さい手で、丁寧に野菜を切っていった。
「おじさんは、お肉を洗ってて。私はお野菜を切るから」
「あ、はい……」
いつの間にか、すっかり指示役が逆転してしまっていた。
「ネノネ、散らかしたらそのままにしちゃだめ!ちゃんと片付けてもどって!」
外から帰ってきたネノネが、扉を開けて入ってくると、
台所から響くナーナの声にびくっと肩を跳ね上げる。
周辺には射られた矢と飛び散った藁が散在していた。
「えー、あとにしようと思って……」
「あとじゃなくて、今ー! ちゃんと片付けて!」
ネノネは姉の迫力に呑まれ、大慌てで庭の矢を拾い集め始めた。
双子とはいえ、やはりナーナの方がしっかりお姉ちゃんをしている。
というより、どこかお母さんの代わりを果たそうと背伸びをしているのかもしれない。
「おじさん、終わった?」
「ごめん、よそ見してた」
「はやくしないと、ご飯作れないよ」
ごもっともな意見だった。
ナーナからの冷たい目線を受けながら、
言われたように冷たい水で肉の血抜きをし、ざるに上げる。
「……お肉これでいいか?」
俺が恐る恐る洗いたての肉を差し出すと、ナーナはトン、トンと野菜切る手を止め、
じろじろと肉の状態を吟味した。
「……うん。よくできました」
「あ、どうも……」
合格点をもらい、ほっと胸を撫で下ろす。
ふと、自分の情けない格好に笑いがこみ上げてきた。
……まあ、ふたりが居心地が悪くないんなら、いいか。
保護者としての威厳なんてあったものじゃないが、
こうして賑やかに夕飯の仕度をする時間が、どこか愛おしくてたまらなかった。
俺は小さく口元を緩めると、ナーナに言われた通り、スープの鍋の下にそっと薪を足した。




