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ほんとのかぞく  作者: たろう
第四 ナーナとネノネの想い

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ナーナと、父の手

「今日はお肉が安い日なの! 絶対行かなきゃ!」


 休日の朝、ネノネが朝ごはんの途中から言い出して、三人で市場へ買い出しに行くことになった。

 お父さんと私は呆れながら、大きな籠を背負って一緒に出掛けた。


 右手は、包帯こそつけて赤みはまだ引いていないけれど、もうじんじんと痛むことはなかった。


 市場へ向かう道を通り、街の大きな広場へ向かうと石畳の真ん中に、大きな日時計が立っていた。

 あの日、あの子が待っていた場所だった。


 私は気まずさから逸らすように、視線をネノネの方へ移してしまった。

 ネノネは露店の看板を読み上げるのに忙しくて、

 お父さんは、籠の紐を背負い直しながら私と肩を並べてネノネを見ていた。


 ふたりとも、ここで何があったのかを知らない。

 それが、ありがたくて、少しだけ苦しかった。


「ナーナ、どうした?」

「……ううん、なんでもないよ」


 ────


 威勢のいい呼び込みの声と、焼けた脂の匂いと、衣擦れと石畳を踏みしめる雑踏。

 市場は、あの日のように目が回るほど人でごった返していた。


「お父さん、あっち! あっちのお肉屋さんいこ!」


「分かったから引っ張るな」


 ネノネは市場に入ってからずっと、お父さんの左腕にぶら下がっていた。

 お父さんは文句を言いながらも、その腕を振りほどこうとはしない。

 私は、それを少し遠めに微笑ましく見ていた。


「あ、串焼き!」


 ネノネが不意にお父さんの腕を離して、人混みの向こうへ駆け出した。


「おい、ネノネ!……まったく」


 お父さんは小さく溜め息をついて、それから私の方を振り返った。

 ちょうど、荷車が脇を通り抜けていって、

 押し出された人の波が私とお父さんの間に割り込んでくる。


「わっ……」


「っと……ナーナ」


 お父さんが、何気なく包帯越しに右手を掴んだ。

 それに一瞬、どきっとしてしまう。

 今まで、何度も、何十回もそうしてきたのに、

 お父さんの手と、あの日私が振り払った手が、重なって見えた。


 私の様子がおかしいと思ったのか、お父さんは私の右手に視線を落とした。


「すまん、こっちは痛むか」

 お父さんは、そう言って握っていた手を開こうとした。


 がしっ……。

 自分でもどうしてそうしたかったのか分からなかったけど、

 お父さんの左手を、もうひとつ、自分の左手とで挟みこむように握り直した。


「ううん……こっちがいい……」


「そうか。痛かったら言ってくれ」

 大きな手が、包帯の上から、そっと私の手を包んだ。


「大丈夫だよ、もう痛くないから」

 そう言ったのに壊れものを持つみたいに、力を加減しているのが分かった。

 それが、嬉しくて……ちっとも、嫌じゃなかった。


 あの日、指先が少し触れただけで背中を駆け上がった悪寒が、どこにもなかった。

 包帯の下から、ひりひりとする痛みとは別の熱さが広がっていくような気がした。


 お父さんは私の手を引いて、人の波を肩で割るように進んでいく。

 大きな背中が、私の前で、私の通る道を作ってくれて、私はその背中を、引かれるままについていった。


 どうして、平気なんだろう。

 ……『お父さん』だから?


 どうして、こんなに、離してほしくないんだろう。

 それも……『お父さん』だから?


 ────


「ネノネ、走るなって言っただろ」


「あ……」


 人混みを抜けて、串焼きの屋台の前に出ると、

 お父さんは自然に私の手を離して、ネノネの襟首をひょいと掴んだ。

 離された私の手は、少しのあいだ、宙に浮いたままだった。


 お父さんにとっては、何でもないことだった。

 はぐれそうな娘の手を引いて、人混みを抜けたら離す。

 ただ、それだけのことだけど、私にとってはそれだけじゃないような気がして、

 さっきまで手から伝わっていた温度が一気に引いていった。


「姉ちゃん、はい。 姉ちゃんの分」

「……ありがと」


 ネノネが差し出した串焼きを受け取る。

 甘辛いタレの匂いがして、ネノネは口の周りを汚しながら、お父さんにもう一本ねだっていた。


 ────


 帰り道、ネノネはまたお父さんの左腕にぶら下がっていた。

 私は、そんなネノネを羨ましそうに見ていた。


 ネノネと同じように垂れさがった反対の腕にしがみついて、重いと笑われればいいだけ。


 けれど、伸ばしかけた手は、お父さんに届く前に止めてしまった。


 今の私は、ネノネとは違う気持ちを持っていた気がして、

 そんな気持ちで、触れちゃいけない気がしたから。

 結局私は行き場のなくなった手を下ろしていた。


 お父さんと、ネノネの揺れる背中を見ながら、

 来る時と同じように少し後ろを歩きながら、帰路へついた。


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