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ほんとのかぞく  作者: たろう
第四 ナーナとネノネの想い

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23/30

ナーナと、父との夜



 夜、俺はいつものように寝床を整え、横になる準備をしていた。

 そこへ、ぎぃと古い木戸が静かに鳴った。


「……ナーナ? どうした、こんな夜遅くに」


「ううん……ちょっと……一緒に居たい、なって……」


 寝間着の裾をもじもじと弄りながら、ナーナが部屋に入ってくる。

 街へと越し、二人が成長していくにつれて、

 こうして一緒の布団に入ることはすっかり少なくなっていた。

 特にナーナからそう言い出してくるのは、かなり珍しいことだった。


「……まったく」

 もう大きくなったのにな、と呆れつつもどこか昔が懐かしく、

 甘えてくる娘の心地よさに引きずられるようにして、俺は苦笑交じりに毛布の端を持ち上げた。


「ほら、おいで」

「うん……っ、お父さん」


 ナーナは静かに布団の中へと滑り込んできた。

 横たわった身体が、すっと隙間なく俺の胸元へと寄り添ってくる。

 背中に手を回してゆっくり撫でてやると、その背中の広さに、少し目を見張った。

 かつての小さく震えていた華奢な背中は、

 いつの間にかすっかり成長していることを感じさせてくれた。

 ナーナを纏うふわりと漂う石鹸の香りが、狭い布団の中に充満していく。


「……何か、嫌なことでもあったのか?」


「……」


 ナーナは口を噤んで何も答えなかった。

 言いたくない、言えない。

 何も言わないまでも表情がそう語っていた。


 ナーナは、男の子に急用ができたと言って、早く帰ってきていた。

 居間ではそれ以上、自分から話そうとしなかったし、俺もそれ以上は聞かなかった。


「……その手、どうしたんだ?」


 ナーナの手首には甲にかけて、白い包帯が巻き付けられていた。

 自分で片手で巻いたのだろう、少し緩く、お世辞にも上手とは言えない不格好な巻き方だった。


「どこかで転んだのか?」

「……うん」


 ナーナは俺の胸元へとさらに潜り込むようにして、小さく目を伏せた。


 何かを隠しているのは明白だった。

 だが、俺はそれ以上深く問い詰めることはしなかった。


 小さく息を吐きながら、そっと彼女の頭を撫でてやる。


 ナーナも、年頃の女の子だ。

 親に言えないことの一つや二つ、抱えていたって不思議じゃない。


 こうして夜中に甘えてきてくれることが、俺のことを頼ってくれている何よりの証拠だ。

 それが確かめられただけで、俺には十分だった。


「無理に話さなくてもいい。……でも、何かあったらいつでもお父さんに頼っていいんだぞ」


「……うん」


 ナーナはそっと俺の首に腕を回すと、身体全体を押し付けるようにして、ぎゅっと引き寄せてきた。

 耳元に、熱を帯びた吐息が直接かかる。


「お父さん……」


 言葉の余韻とともに、ナーナは毛布の中でそっと手を伸ばすと、俺の手に自身の手を重ねてきた。

 そして、指と指を静かに絡め合わせてくる。


 ぎゅっと、包帯越しに小さく繊細な手で握りこまれる。

 何かを確かめ、慈しむような切ない手つきだった。


「……どうしたんだ、ナーナ?」


「どうしたって……なにが……?」


 指先にこもる力、俺を引き寄せる腕の圧力が、少しずつ強まっていく。


「お父さんは……嫌……?」


「嫌なわけ、ないだろ」


 俺がナーナのこと、娘に甘えられて嫌なんて言うわけがないんだから。

 そう答えて、頭を撫でると目元を細め、喜色の声を漏らす。


「おとうさん……。ぎゅってしてほしい……」


「……ああ」


 そう乞われて、俺は素直に彼女の背中に回した腕を強く抱き寄せる。

 間にあった空気が二人の身体で埋まり、代わりにナーナは胸からいっぱいの吐息を漏らした。


「お父さん……」


「おとうさん大好き」


 胸の奥が、意図もわからずざわりと波立った。

 こうして一緒に眠るのが久しぶりだからだろうか、今のナーナの声色は昔のそれとまるで異なって聞こえたから。

 それに俺は深く耳を貸すことはしなかった。

 俺は彼女に求められるまま、その気持ちに応えるため身体を力強く抱きしめ返す。

 俺も、娘からのその言葉が嬉しかったから。


「ああ。俺も、ナーナが大好きだよ」


 俺がそう呟いた瞬間。

 俺の手を握っていたナーナの力が、一瞬だけふっと抜けた。

 そして次の瞬間、まるで何かを必死に押し殺すかのように

 腕に細い腱が浮き上がるほどの強い力で、激しく握り返された。


 ─────


 居間で嘘をついてからも、右手は後ろに隠したままだった。

 ネノネが買い食いの話をしている間も、私は笑って頷くだけだった。

 お父さんも、それ以上は聞いてこなかった。


 自分の部屋に戻って、袖をまくってみると、

 擦ったところは赤くなって、いつまでもじんじんと熱を持っていた。

 引き出しの布を裂いて、片手で巻く。

 すぐ緩んで何度も巻きなおしたけど片手では上手く巻けなかった。

 それでも、この手を出したままで、お父さんには会えなかった。


 部屋を抜け出し、お父さんの部屋のドアの前に立つ。

 胸がドクドクと不規則に、歪な形をした毬のように跳ねていく。

 握りしめた右手には、不格好に巻きつけた包帯の感触があった。


 胸の奥が冷たく締め付けられるような、痛みに似たこの感情が何なのか、私にはまだ分からなかった。

 ただ、お父さんの側にいれば、かつての悪夢を振り払ってくれたように、

 お父さんが搔き消してくれるような気がしたから。

 その一心だった。


 ノブを回し、ぎぃと静かにドアを開ける。


「……ナーナ? どうした、こんな夜遅くに」


 ベッドの上で身体を起こしたお父さんが、少し驚いたように私を見た。


「ううん……ちょっと……一緒に居たい、なって……」


 自分でも子供っぽいと分かっていたけれど、

 素直に言葉が口をついて出た。

 街に来てからというもの、こうしてお父さんのベッドに入ることはあまりなくなっていた。


 あの悪夢を見ることもなくなっていったこともあるし

 お父さんのなってほしい『大人』にならなきゃいけないという気持ちもあったから。

 あとはお父さんに昔みたいに甘えるのが、嬉しいけど恥ずかしかったから。


「……まったく」

「ほら、おいで」


 お父さんは少し呆れたように笑いながら、

 昔みたいに毛布の端を持ち上げて、私をベッドに招き入れてくれた。


 吸い寄せられるように、私は布団の中へと滑り込む。

 包み込んでくれるような懐かしい体温と、お父さんの落ち着く匂いが、布団の中に充満していた。

 それだけで、ずきずきとひび割れそうだった胸の奥がすーっと落ち着いていく。


「……何か、嫌なことでもあったのか?」

 頭の上から降り注ぐ優しい声。

 私の居間での様子や、急にこうしてお父さんと寝床を共にすることを怪しんでのことだった。

 私は何も言えずに、誤魔化すようにお父さんの胸に顔をうずめてしまった。


「……ナーナ?」


 ふとお父さんが私の、不細工に包帯が巻かれた右手に触れた。


「……その手、どうしたんだ?……どこかで転んだのか?」


 きっとそれも、そうじゃない。

 何か理由があることをお父さんは察していた。


 それでも『男の子の手が触れたのが嫌で、逃げ出してきた』、『その手が赤くなるまで袖で擦っていた』とは、言えるはずがなかった。

 そんなことを言えば、お父さんは自分を責めて傷ついてしまうと思ったから。

 そんなことを言って、お父さんに嫌われたくなかったから……。


「うん……」


 だから、嘘をついた。

 きっと、上手く言えていなかったと思うけれど、お父さんから見ても不自然だったけれどそれ以上深く問い詰めようとはせず、

 そっと私の頭を撫でてくれた。

 大きな手が髪を滑るたび、頭の芯が痺れるような甘くて苦しい感覚が走る。


「無理に話さなくてもいい。……でもな、何かあったらいつでもお父さんに頼っていいんだぞ」


「……うん」


 お父さんの優しい言葉に、罪悪感で胸が押しつぶされそうだった。

 私はたまらなくなって、お父さんの首に両腕を回し、

 自分の身体全体を押し付けるように強く抱きしめた。


 耳元で触れ合う、お父さんの落ち着いた息遣い。

 毛布の中でそっと手を伸ばし、お父さんの大きな手に自分の右手を重ねる。

 指と指を静かに滑り込ませ、固く絡め合わせていった。


「……どうしたんだ、ナーナ?」


「どうしたって……なにが……?」


 不格好な包帯越しに、男らしい手の感触が直に伝わってくる。

 血管が浮いてぼこぼことした手首、傷だらけで大きい掌、ごつごつして骨ばった指、指の間、爪の先。

 お父さんの手が暖かくて、少しずつ確かめるように触れる。


 さっきまで、熱くひりひりしていた傷の痛みが、

 じわりと広がって散っていく。


 あの時の不快感とは、全く違っていて彼に、申し訳ない気持ちも同時に湧いてくる。

 どうして……お父さんは違うのだろう。

 家族だから?私が娘だから?

 いくら考えても、答えはでなかった。


「お父さんは……嫌……?」


「嫌なわけ、ないだろ」


 お父さんが私たちのこと、嫌いなんて言わないって知っているのに。

 お父さんにわざわざ言わせている狡い自分を、後ろめたい気持ちになった。

 それでも、お父さんに受け入れてもらって嬉しいという気持ちの方が強くて、胸がとく、と鳴った。


「おとうさん……。ぎゅって、してほしい……」


「……ああ」


「んっ……おとうさん……」


 お父さんの大きな腕が私の背中に回り、強く抱き寄せてくれた。

 お父さんの心臓の音、私の胸に直に伝わってきて、

 私のそれと、同期してひとつになっていくような錯覚を覚えた。


「お父さん、好き……」


 そう言葉にすると、かつての秘め事のときみたいに、

 お父さんに直接伝えていると思うとあの時よりも、

 身体の奥から何かがどくどくと湧き上がるような感覚がした。


「おとうさん、『大好き』……」


 耳元で、抑えきれない思いを囁いた。

 昔からずっと言ってきた言葉のはずなのに、

 口にした瞬間、自分の身体中の毛穴が逆立っていくような、熱い衝動が駆け抜けていく。


 お父さんの身体が、一瞬だけドキリと跳ねた気がした。

 それを無理矢理抑えつけるように、お父さんは私を安心させる為に口を開いた。


「ああ。俺も、ナーナが大好きだよ」


 言葉は、同じだったけど、

 お父さんと私の言葉はどこか違う気がして、寂しさを覚えていた。


 それでも、お父さんから出たその言葉が。

 大好きと言ってくれたことが嬉しくて、また必死に縋るように握り返した。


 朝になる前に、私は自分の部屋へ戻っていた。


 お父さんの腕の中は暖かくて、離れたくなかったけれど、

 それでも、ネノネが起きてくる前に戻らなくちゃいけないと思った。


 自分のベッドに潜り込んでも、お父さんの言葉がずっと耳の中に残っていた。

『俺も、ナーナが大好きだよ』。

 その言葉を思い出すだけで、頬と不格好な包帯の下の右手が熱くなっていくような気がした。


 ────


 鍋で茹った蒸気が蓋を押し返す音と、焼いたパンの匂い。

 パンを頬張っていたネノネが、私の顔を見て、それから私の手元を見て目を丸くした。


「姉ちゃん、その手どしたの?」


「……転んだだけだよ」


「えー、見せて」


 ネノネが椅子から身を乗り出して、私の手首を取ろうとする。

 私は咄嗟に、包帯の手を後ろへ引いた。


「だ、大丈夫だよ……」


「よくないよ。巻き方、変だもん」


 お父さんが、こちらを見て立ち上がり、私の手を優しく包む。


「ナーナ、痛くはないか?」


「……」


 びりびりと疼く手を抑えながら私は黙りこくる。

 私がこれ以上嘘をつくことに戸惑っているとお父さんは続けた。


「……ナーナ。怪我のわけは聞かないから、手当はさせてくれないか?」


「……わかった」


 お父さんに悲しそうな顔で告げられ、私は観念して了承することにした。

 テーブルの端に座り、右手を差し出す。

 ネノネは私の肩の後ろに立って、棚から出してきた新しい布を大事そうに抱えている。


 お父さんの指が、緩んだ包帯をゆっくりほどいていくと、

 布が解かれて、赤くなった肌、同じところを何度もこすった跡が明るみに出た。

 それを見たお父さんの眉が、少しだけ目元に寄っていった。


 お父さんは、どうしてこうなったか、ただ転んでできた傷じゃないと

 おそらく分かっていたけれど、何も聞かないでいてくれた。


「っ……」


 冷たい薬が、お父さんの指の腹で薄く伸ばされて、私の患部に塗りこまれていく。

 ぴりぴりと痛みが沁みて身じろいでしまう。


「すまん、痛いか?」


「ちょっと……」


 ネノネが端を押さえて、お父さんが上から重ねる。

 二人の手が私の手の上で忙しく動いていた。


 昨夜と同じ手。

 私が、大好きと言って指を絡めた手と同じはずなのに違って見えた。


「よし、できた」


「しばらく触らないようにな」


「……うん」


 指が、離れていくお父さんの袖を追いかけてしまいそうになって、私は膝の上で拳を作った。


「お父さん包帯巻くの上手だよねー」


「まあな」


「また怪我したら巻いてもらおうかな」


「ネノネは自分で巻けるだろ?」


 結び目を覗き込んでいたネノネの額を、お父さんが指で軽く突く。

 ネノネが「も〜」と笑って、私も少し無理して笑った。


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