ナーナと、初デート
放課後を告げる鐘の音が校舎に響き渡ると、教室は一気に賑やかな熱気に包まれた。
机の上の筆記具を仕舞い、クラスメイトたちがそれぞれ帰路につく準備を始める。
「ナーナちゃん、また明日ね!」
「うん、また明日」
手を振る友人に笑顔で挨拶を交わしていると、パタパタと走り寄ってくる足音が聞こえた。
「姉ちゃん、かえろ!」
友達と別れたネノネが、満面の笑みで私の腕に飛びついてくる。
「うん、帰ろっか」
二人で鞄を抱え直し、廊下へ出ようとしたその時だった。
「あの……ナーナちゃん」
控えめな声に呼び止められて振り返ると、同じクラスの男の子が、少し顔を赤くしてそこに立っていた。
「? どうしたの?」
「あの、もしよかったら────……」
────
「ま、待って……ネノネ……!」
「大変大変大変大変!!!」
ネノネが自慢の脚力を活かし猛ダッシュで私を置き去りにしながら帰路につく。
「お父さんお父さんお父さんお父さん!!!!」
玄関の扉をバッタン、と勢いよく開閉して、父の姿を探す。
どこにいったんだろう、ときょろきょろと辺りを窺う。
「お父さんどこ!!??」
「────どうした、ネノネ」
扉の奥からくぐもったお父さんの声がネノネに届く。
「お父さんどこにいるの!?」
「────お父さんはトイレに居るよ」
昨日お父さんが作った失敗料理。
私たちは手を付けられなかったが、ひとりで食べた結果、案の定お父さんはお腹を壊していた。
「早く出て!!」
「────ネノネ、人がトイレに居るときはトイレに居なきゃいけない事情があるんだよ」
火の通っていない粉や肉は、しばらくトイレに釘付けにするには十分な効力を発揮し、お父さんはひとり、トイレで自分と戦っていた。
ドンドンドンドン!
それにも構わず、無情にもネノネは扉を叩き、お父さんを急かしまくった。
「もーもーもーもー」
「────お腹痛いのか?悪いけどもうちょっとだけ待って……」
「いいから!!はやく!!出て!!」
「あっ!?こら開けるな!」
痺れを切らしたネノネがトイレのドアを強引に開くと
便座に座り、格闘していた父のあられもない滑稽な姿が現れた。
そんなものはどうでもいいと、ネノネは話を続けた。
「いいから、姉ちゃんがね!姉ちゃんがね!────」
同時に、遅れて家についた私は息を切らせてネノネに後ろから飛びついた。
「ネノネ、だめっ!!」
ネノネの口を後ろから両手で必死に塞ぎ、私は真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
「はぁ、はぁ……っ」
「もごっ……! もごもごもごっ……!」
開け放たれた扉の向こうに座っていた、お父さんが呆気にとられた顔で私たちを見つめている。
隙を突いて、ネノネがぷはっと手を振り払って叫んだ。
「どうしたんだお前ら……」
「姉ちゃんがね!」
もともと、私がパワーでネノネに勝つ術はないとはいえ、呆気ないものだった。
「クラスの男の子に告られたの!! デートに誘われたの!!」
ネノネの声が廊下に響き、お父さんはぽかん、と口を開ける。
開け放たれた玄関とトイレのドアがぎぃ、と軋む音だけが虚しく響いていた。
「ち、ちがうもん! そういうんじゃないもん……!」
私は耳の先まで熱くなるのを感じながら、必死で弁明しようとするが、大した言葉は出なかった。
お父さんは何が何だかといった表情で、トイレの前に寝転ぶ娘二人を眺めていた。
「……とりあえず、閉めてくれないか?」
────
夕飯のテーブルを囲みながら、事の経緯をお父さんに説明した。
男の子に『一緒にお出かけしてほしい』と言われたこと。
驚いて返事を保留にしたまま帰ってきてしまったこと。
「えへへー、姉ちゃんモテモテだ~」
ニヤニヤしながらパンをかじるネノネに、私はスプーンをぎゅっと握りしめて抗議する。
「ネノネったら、もう……」
「まあ、ナーナは可愛いし、しっかりしてるからな」
「もう、お父さんまで面白がらないで……っ」
顔を真っ赤にしてうつむく私に、お父さんは気を取り直して少しだけ真面目な顔をして問いかけてきた。
「それで、ナーナはどうするんだ?」
急に尋ねられて、私は視線を泳がせた。
お父さんでもネノネでもない誰かと二人でお出かけするなんて、
そんな経験一度もない。
正直、断ったほうがいいのではないかと思っていた。
「……行ってみてもいいんじゃないか?」
「でも……私、そういうのわかんないよ。どうしていいか分からないもん……」
困惑する私に、お父さんは優しく目を細めて、私の頭をそっと撫でてくれた。
「誰だって、最初は分からないことだらけさ。少しずつ知っていけばいいんだよ」
「……うん」
お父さんの温かい手に背中を押されて、胸の中の不安が少しだけ晴れていくような気がした。
「じゃあ……。考えてみる……。」
それからしばらく考えて、私はお父さんの言葉に背中を押され、
彼の誘いを了承することに決めた。
────
そして、約束の休日の朝。
私は姿見の前に立ち、自分の服を何度も引っ張ったり伸ばしたりしていた。
いつも通りの服だけど、変じゃないかな。髪型はこれでいいのかな。
「姉ちゃん、良い感じ」
クスクス笑うネノネに手際よく髪を整えてもらいながら、私は深呼吸をひとつこぼした。
「ナーナ、準備はできたか?」
部屋のドアが開いて、お父さんが覗き込んでくる。
私は胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、おずおずとお父さんを見上げた。
「お、お父さん……どう、かな? ……可愛い……?」
いつもと違う自分を見せる気恥ずかしさに、心臓が跳ねる。
お父さんは一瞬目を見張り、それから本当に嬉しそうに目元を緩めた。
「大丈夫、すごくかわいいよ」
「あ、ありがとう……」
「自慢の娘だ、世界一かわいいよ」
「も、もう面白がってるでしょ……!」
そう言いながらもお父さんのその一言が嬉しくて、顔を赤らめてしまっているのがわかった。
「お、お父さん……」
「ん?」
「お、お出かけする前に……」
恥じらいをこれでもかと顔に浮かべながら、やんわりと腕を開く。
お父さんは、私が何をしてほしいのかすぐに気付いて、
膝を曲げて私を抱きしめてくれた。
「よしよし。 頑張っておいで」
腰を落としたお父さんの胸に導かれるように、身を任せる。
お父さんの胸の中ですーっと緊張が解けていくのを感じながら、私はしばらくそうしていた。




