私と、私たちのお父さん
学校に通うようになってから暫く経った頃、
その日は授業の最後に簡単な工作や絵を描く時間があった。
誰でもいい、『大切なひとへの贈り物』という名目のお題だった。
先生が絵具や紙を配ったとき、
他の子どもたちは迷うことなく楽しそうに手を動かしていた。
大切なひとへの贈り物。
絵が描かれた紙を前にした私たちのところに先生が近づいて、
私たちの目線に合わせて腰を落とすと、温かな声をかけた。
「素敵な絵ね。……おじさんにあげるの?」
私たちは、首をこくんと縦に振る。
「そう、ふたりにとっても、大切な人なのね」
「ふたりは、おじさんと一緒にいて楽しい?」
また、今度はさっきより大きく何度も首を縦に振る。
「おじさんも、ふたりのことが大切で、きっと怖がってると思うな」
「おじさんが……?」
「怖いの……?」
私たちが不思議そうに眉をひそめて尋ねると、先生は小さく頷いた。
「うん、ふたりのことが大好きで、大切だから、
幸せにしてあげられるかって心配してると思うな」
「だから渡してあげるとき、ふたりで「頑張って」って、「ありがとう」って
言ってあげて欲しいな」
私たちは、その言葉の意味がすぐにはわからなくて、ふたりで顔を見合わせた。
どうすれば、おじさんが怖がらずに、私たちと一緒にいてくれるか。
その方法を私たちは考え始めた。
────
学校からの帰り道。夕陽が石畳を赤く染める中、私たちは手を繋ぎながら歩いた。
まだ、おじさんに何というべきかは考え付いていなかった。
だから、ふたりで遠回りして歩いていた。
「……姉ちゃん」
歩幅を合わせながら、ネノネがぽつりと呟いた。
「おじさん、はじめて学校に来たとき……哀しそうだった」
「……うん」
「村の人たちと会った時も……」
「……」
ネノネはぎゅっと私の手を握り返してきた。
その小さな手から、決意のような熱が伝わってくる。
「ネノネね……おじさんのこと、大好き。
だから、ちゃんと……言いたいの」
ネノネの言いたいことは、確かめ合わなくても私と同じだった。
「うん……。私も……」
もう私たちは家族だから、何を言うべきかを私たちは決めていた。
────
家に戻ってからも、絵は鞄の底にしまったままだった。
夕飯を済ませても、どっちが先に言うかは決まらなかった。
おじさんがキッチンで洗い物をして背中を向けているとき、
私たちは顔を見合わせた。
「おじさん……いい?」
意を決して、私たちはキッチンで洗い物をするおじさんに、同時に声をかけた。
作業を止めて濡れた手を拭き、何かあったのかとこちらに首を向けた。
「どうした?」
「……これ……見て……」
私は背中に隠していたそれを、そっと差し出した。
緑の山を背景に、笑っているお母さんと、小さかった私たちが並んでいた。
「これは……」
「お母さん……」
ネノネが小さな声で呟き、私は声を震わせて言葉を続けた。
「ネノネも私も、絵下手だけど、がんばって思い出して書いたの……」
「おじさんに……お母さんのこと、見て欲しかったから……」
おじさんは大事そうにお母さんの絵を見つめて、少し涙ぐんで、
紙に涙が落ちないよう、顔を逸らして、目頭を手で抑えた。
「そうか……優しそうに笑ってるな」
「うん……」
「お母さんのこと大好きだったんだな」
「うん……っ」
「見せてくれてありがとう、ふたりとも」
その言葉がお母さんのことを大切にしてくれたみたいで、
私たちも嬉しくなった。
おじさんが柔らかく目を細めたのを見て、私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「あと、あとね…。」
「……どうした?」
「……」
おずおずと、ネノネが後ろ手に持っていたもう一枚を差し出す。
「これも……もらって……」
そこに描かれていたのは、歪で不格好ではあったけれど、
私たちの手をしっかりと握りしめてくれている、おじさんの姿だった。
「……お、おじさんのこと……書いたの……」
おじさんはその紙を受け取り、息を呑んでじっと見つめていた。
その傷だらけの大きな手と、指先がわずかに震えているのが見えた。
「学校でね、大切なひとへ作りましょうって言われたの……」
ネノネが少し緊張した面持ちで、だけどまっすぐに彼の顔を見上げて言った。
「先生は、おじさんが、私たちのことで、怖がってるかもって……」
「そっか……ありがとう。ふたりにも先生にも気遣わせちゃったな……」
おじさんは一度大きく鼻で息を吸ってから、
どこか照れくさそうにしたあと、天井を眺めた。
私はおじさんの大きな手に自分の手をそっと重ね、
瞳が潤み見えなくなりそうだったけれど、
まっすぐに見据えた。
ネノネもまた、反対側からおじさんの服の裾を強く握りしめ、
同じように息を詰めて見上げる。
ただ、胸の奥からあふれ出てくる言葉を、私たちは初めてその名前を口にした。
「お……!」
「お父さん……!……って呼んで、いい……?」
おじさんは、驚いて身体をびくりと震わせた。
天井を見上げてて、顔は見えなかったけど、
震えが止まらなくなってどんどん大きくなっていった。
「……お父さんって……」
「ほんとうの、お父さんとはちがう、けど……
もう一人の……
私たちのお父さんだから……っ」
そう私たちが、言葉にすると、太い腕で、目を抑えた。
そしてゆっくりとその腕を広げ、私たちを自分の胸の中へと強く引き寄せた。
「お、お父さん……」
ネノネと一緒に両側から……お父さんのことを抱きしめた。
「私たちと、一緒に、居てくれて……あ、ありがとう……」
「お父さん……」
私たちは、ずっと言いたかった言葉と、呼びたかった名前を口にした。
「……っ」
強く抱きしめ返してくれる腕の強さと、
頭の上で、涙で濡れた声が大きくなった。
顔を下げると、お父さんの顔は涙でぐじゅぐじゅになっていた。
「……ううん、俺の……。俺の方こそ……」
「一緒に居てくれて、ありがとう……」
その夜から、私たちはおじさんを、お父さんと呼ぶようになった。
優しくて、私たちの大好きなおじさんはその日から、
もっと大好きなお父さんになった。




