ナーナとネノネと、学校2
教室は、ネノネたちが過ごしてきた山奥の家とはまるで違う場所だった。
使い込まれて角の丸くなった木製の机と椅子が整然と並び、
窓からは明るい陽の光が差し込んでいる。
周りに座っている街の子どもたちは、物珍しそうに私たちや私たちの耳をじっと見つめていた。
怖くてたまらなかった。
隣に立つ姉ちゃんの後ろに隠れてしまいたかった。
それでも、ギュッと自分のスカートの裾を握りしめ、前を向いたままみんなの視線を浴びた。
姉ちゃんも、唇を固く結び、緊張で身体を強張らせながら、一生懸命に声を張り上げた。
「あ、姉の、ナーナです。よろしく、お願いします……!」
姉ちゃんが頑張ったんだ。ネノネも、頑張らないと。
息を大きく吸い込んで、叫ぶように名乗った。
「妹の、ね、ネノネですっ。よろしくお願いします……っ!」
ぱちぱちと、教室中に温かい拍手が広がった。
顔がかーっと熱くなり、お姉ちゃんと顔を見合わせながら照れくさそうに頭を下げた。
指定された一番後ろの席に座ると、すぐに初めての授業が始まった。
目の前に置かれたざらざらした紙と、筆記具を手に、
前に立つ先生の声に合わせて、見よう見まねで数字や文字を書き込んでいく。
あっという間に紙が手の汗でじんわりと湿っていった。
────
先生は室内に入ると、穏やかな眼差しで俺の対面に座った。
「二人とも、とても素直で良い子たちですね。
不安そうでしたけれど、しっかりとご自分の言葉で挨拶ができていましたよ」
「……そうですか。あの子たち、ずっと二人きりだったので……。
人前に出ることすら、まともに経験させたことがなくて」
どこかの教室からかすかに聞こえる子どもたちの声が耳に入る。
俺は今も頑張っているであろうふたりを誇らしげに思いながら、椅子に座り直した。
俺はゆっくりと振り返りながら、彼女たち二人の生い立ちについて話し始めた。
数年前、雪山で死に瀕している彼女たちを拾い、育ててきたこと。
二人の故郷が、心無い連中の襲撃にあい、親も、家も、全てを失ったこと。
「それからは、俺が保護者になって山で暮らしてきました。
ここにあの子たちを連れて来たのは、二人にはもっと真っ当な教育をしてあげないと、と」
「そうですか、大変な思いをされてきたんですね。
あの子たちを大切になさってるのがわかります」
柔和で優しい雰囲気を醸し出しながら、先生は軽く頭を下げた。
「俺なりに大切に育てているつもりですが……」
「俺は人を育てたこともないし、女の子らしいことも、教えてあげられません。
血も繋がっていないどころか、エルフでもない。
俺があの子たちにしてあげられることなんてもうないんじゃないかな、と思ってしまいます」
俺は、自分の無力さに、また疲れた笑いを吐き出した。
────
休み時間になると、教室の中は一気に賑やかになった。
お姉ちゃんは緊張で肩をすくめながらも、話しかけてきてくれた街の女の子たちへ、
一生懸命にぎこちない笑顔を返している。
ネノネはひとり、自分の机にちょこんと座り、様子を伺っていた。
やっぱり、急に大勢の中へ入っていくのは勇気がいる。
『いっぱい世界を知って、友達が出来たら嬉しい』
頭の中に、優しく笑うおじさんの顔が浮かぶ。
周りを見渡すと、教室の反対側の隅っこに、
自分と同じようにぽつんとひとりで座っている女の子が見えた。
髪を短く切り揃えた、私や姉ちゃんより背が高い、おとなしそうな子だった。
机から立ち上がり、おずおずと足を運んだ。
近付いていくにつれ心臓の鼓動が大きく跳ねていく。
不格好で、頼りない足取りだったけれど、
自分の足でその子の机の前まで歩いて行った。
「……あ、あのね」
「え……?」
女の子が驚いたように顔を上げた。
ネノネは自分の胸の前に手を置き、大きく深呼吸をして、一生懸命に言葉を紡いだ。
「はーっ……ふーっ……」
「ね、ネノネっていうの……。……お話ししても、いい?」
────
最初はぎこちなかった会話も、お互いのことを話し始めるうちに、
少しずつほぐれていった。
話を聞くとその子も最近、この学校にきたらしい。
自分と似ている気がして、ネノネの警戒心はすうっと消えていった。
その子も……もしかしたら一人で、心細かったのかもしれない。
「ネノネね、お山のお家で暮らしてたの。おじさんと、お姉ちゃんと」
「お山? どんなところ?」
「うんとね……木がいっぱいあって獲物が居て……そうだ、ネノネ、弓をおじさんに教えてもらったんだよ」
その後もその子と話した。お互いのこと、学校のこと。
その子は楽しそうに笑ってくれた。
「それでね、おじさんったら、姉ちゃんに怒られちゃったの。
『ちゃんと外で靴掃除するまで晩御飯抜きだよ』って!」
「ふふふ、お姉さんの方が強いんだ」
自分が言った言葉で誰かが笑ってくれたことが嬉しくて、
初めての経験に、胸の奥がぽかぽかと温かくなった。
────
「お父さんがいないご家庭は、この学校の子のなかにもたくさんいますよ」
俺の弱音を静かに聞いていた先生が、包み込むような温かい声で言った。
「それに自分の実の子どもだって、
どう育てていくべきか悩まない親なんてひとりもいません。
手探りで、不安を抱えながら子どもと一緒に親になっていくものなんです」
「……そうなんでしょうか」
「ええ。血が繋がっているかどうかではありません。
あの子たちの目を見れば分かります。どれほど大切に愛されて育ってきたか……。
あなたを頼りにし、心から誇りに思っているかが」
「そんなに辛いことがあったのに、今彼女たちが笑えているのは、
誰でもないあなたのおかげですよ」
その言葉に、少し救われた気がした。
「……ありがとうございます。……ふたりをよろしくお願いします」
俺は彼女たちを任せるべくただ深く、静かに頭を下げた。
────
先生と共に部屋を出ると、既に日は傾き始め、遠く見える街並みに夕陽が溶け始めていた。
先生は教室の窓の小さなガラス越しに、中の様子をそっと覗き込んだ。
俺も釣られるようにして、中を見やる。
そこには、周りの子たちと怯えながらも言葉を交わそうとしている
ナーナの姿があった。
そして教室の隅で、知らない女の子と顔を見合わせ、笑っている
ネノネの姿があった。
山小屋にいた頃には見せたことのない、同年代の子に向ける無邪気な笑顔。
窓の向こうで笑う二人の姿から目が離せない。
陽の光が届く木造の廊下で、俺は初めて胸を撫で下ろしていた。




