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ほんとのかぞく  作者: たろう
あの日の夜から数年前

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12/31

俺と、過去のこと

 鼻につく黒い油と、固まりかけた血の匂いが充満する陣の中で、

 俺はただ座っていた。

 何かを考えていたわけではない。

 現実から意識を切り離し、半分眠りに落ちるような感覚でそこにいただけだった。


 国境沿いの戦況は、熾烈を極めていた。

 何十もの眉間を心臓を撃ち抜いてきた。

 何百、何千人という人間が、目の前で泥に塗れて死んでいくのを見てきた。

 手に残る弦の鋭い感触と、耳にへばりついて離れない断末魔。

 鼻腔の内側にカピカピと固まる血の霧。地面に散らばる誰かと誰かと誰か。

 目を瞑っていても、湧き上がるその感触を忘れようと、俺はただ何も考えずにいた。

 心底どうでもよかった。

 急に頭に投石が突き刺さって、死んだとしても、そう言ったと思う。


 そこへ、見知らぬ兵士が一人、ぞんざいに声をかけてきた。


「ちょいと、横を失礼するよ」

「……」

 腰を下ろしたい、ということだろう。

 俺は顔を上げないまま、脇に置いていた荷物を静かに膝の上へと抱え直した。

 他を当たれと追い払えばよかったのかもしれなかったが、それすらもどうでもよかった。


「あんた……噂に聞く、大陸一の弓取りってやつじゃないか?」

 男は俺の隣にどかと尻を落とすと、構わず言葉を続けてきた。


「……名乗った覚えはない」

「そりゃそうだ、周りが勝手にそう呼んでるだけだからな」

「……」

 噂自体は、嘘ではなかった。

 俺より勇敢な男も、俺より強い男も、山ほどいた。

 俺はただ運よく死なず、人より長く生き残っているというだけだった。


「ああ、そういや俺は────」

「いい」

 言葉を遮り、さらに視線を落とした。

「どうせ覚えられない」


 誰の顔も見ないようにしていた。

 顔を上げて、そいつの名前と顔を覚えて、

 そいつがいつの間にか居なくなったことを確認する。

 その退屈な作業に飽き飽きとしていた。


「いや……名乗りたいんじゃない。ただ礼を言っておきたかったんだ」

「礼?」

「ああ。さっき、あんたに助けられた」

「……」

 何の話だか、もうさっきまでの記憶なんてない。

 覚えているだけ、ただ疲れと澱みが溜まっていくだけだった。


「土手っ腹にぐっさり穴が開いた奴がいただろ。それが俺だ」

 そう言うと、男は腹に巻いた包帯を指して示した。


「……悪いが」

「覚えてないってか?」

「……ああ」

 男は素っ頓狂な態度で大げさに肩を竦めた。


「……俺をここに運んだのも?」

「……ああ」


「普通、そこまで忘れちまうもんか?」

「考えないようにしてる」

 俺の素っ気ない返事に、男は小さく鼻を鳴らして笑った。


「あんたみたいな奴、初めて見たよ」

「……」

 驚き、呆気など、様々な感情を伴った台詞だが一番大きいのは納得だった。


「こんな状況で、こんな場所で、死んだような目をしてるくせに。

 ……あんたはまだ優しい。

 助けた奴の顔も 助けたことすら覚えてない」

「……」

 男の言葉に耳を貸しているわけではなかった。

 ただ、無駄話を遮るのも面倒だった。


「窮地においてこそ、人の汚い部分が晒されるってよくいうが

 あんたはまるで逆だな」

 どうだっていい。


「この部隊の奴らみんな、あんたに感謝してたんだ。

 強いからだけじゃない。直接命を助けてもらったわけじゃない。

 ……優しいままで居られるあんたに救われてんだ」

「……どうでもいい」

 心底どうでもよかった。


 だがそんな戦争は、ある日突然、打ち切りになった連載小説のように幕を閉じた。

 双方の領土侵攻を賭けた泥沼の争いは、お互いの国が物資を使い果たし、

 実質的な無期休戦となった。


 戦が終わると、功績のあった数名の兵が都へと召喚された。

 俺は叩き上げのしがない一兵卒に過ぎなかったが、

 推薦という形でそれに選ばれることになった。


 都の豪奢な城内で、銀食器より重いものを持ったこともなさそうな貴族から、

 うやうやしく一つの勲章を手渡される。

 それは、金の花があしらわれた、輝く冠だった。


 初めて入った煌びやかな城も。

 掌の上に載るあまりにも軽くて冷たい飾り物も。

 こんなものの為に散っていった命も。

 もう、一切考えるのが面倒だった。

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