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ほんとのかぞく  作者: たろう
あの日の夜から数年前

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10/29

私と姉ちゃんと、姉ちゃんの想い

「え……?」


 姉ちゃんの口から出た言葉の意味がどうしても理解できなくて、私は間抜けた声を漏らしていた。

 声だけでなく、目を丸くして呆然と固まった自分の顔が、部屋の隅にある姿見に間抜けに映り込んでいる。


 ────


 夜、眠る前に自分の髪を梳いていた私に、姉ちゃんが声をかけてきた。

 真剣で、どこか切羽詰まったような、思い詰めたような顔。

 優しくて大人しい姉ちゃんのそんな表情を見るのは、それこそお父さんと出会ったばかりの頃まで遡るかもしれない。


「……どうしたの、姉ちゃん」


 私は手にしていた櫛を置き、そっと姉ちゃんの手を取った。

 村から生きて逃げ延び、私たちはお父さんと出会ってからも、ずっと三人で一緒に生きてきたのだ。

 今も昔も、大好きな姉ちゃん。


 だからこそ、姉ちゃんが今から何か、

 人生に関わるような大事なことを言おうとしているのが肌で分かった。


「ネノネ、私ね……」


 私は握った手のひらに力を込め、姉ちゃんの次の言葉を待った。

 繋いだ手にはうっすらと汗が滲み、指先が小さく震えている。

 姉ちゃんの緊迫した気持ちが、そのまま温度となって伝わってくるようだった。


「私、お父さんのことが……好きなの」


 たっぷりと息を吸い込み、姉ちゃんはそう告げた。

 その勿体ぶった言葉に私は、『何を今さら』と思ってしまった。

 姉ちゃんがお父さんを大好きなことなんて知っている。

 私だって同じ気持ちだ。


 お父さんのことを愛しているなんて、疑う余地すらない当たり前の事実だった。

 この世界でたった三人しかいない、私たちの家族。

 そんなお父さんが大好きなのは、当たり前のことだった。


 だが、私のそんな軽薄な反応を察したのか、

 姉ちゃんはじっと私の目を正面から見つめ続けた。


 そこに浮かんでいたのは、『そういう意味じゃない』という無言の訴えだった。


「え……?」

「ごめんね、ネノネ」


『家族としてだよ』『娘として、お父さんとしてだよ』と、姉ちゃんは言わなかった。

 私を安心させるための言葉を、姉ちゃんは一切口にしてくれなかった。


「なんで……? どうして……?」


 いつから?なぜ?どうして急に?

 聞きたいことは山のように頭に浮かんだのに、上手く言葉にならない。


「……ずっと、そうだったから。

 自分でも、そうだって気づいたから……」


 姉ちゃんは自嘲するように唇を歪め、力なく目を伏せた。


「……気持ち悪いよね、私」


「……。」


 姉ちゃんは繋いだ自分たちの手を見つめたまま動かない。

 そうだとも、そんなことないとも、私は答えることができなかった。

 とにかく頭の中が真っ白で、姉ちゃんにかける言葉が見つからなかった。


「でもね……私、お父さんと一緒に居たいの」


 それだって、私と同じだった。

 お父さんと、姉ちゃんと、この温かい家でずっと一緒に暮らしていける。

 ずっとそうやって生きていけるのだと、疑いもせずに思っていた。


「で、でも……お父さんが、そんなの……」


 受け入れてくれるはずがない。お父さんにとって、私たちは娘なのだから。

 けれど、姉ちゃんが言いたいのはそういう問題ではなかった。


 お父さんを、お父さんとしてだけじゃない────。

 一人の男性としても、愛しているのだと。


「うん……受けいれてくれるわけ、ないよね。

 私だって分からないよ。

 いつか諦められるのか、ずっとこのまま苦しいのか……」


 姉ちゃんのことは何でも分かっているつもりだった。

 ずっと一緒に育ち、何をするにも一緒で、優しくて大好きな姉ちゃん。

 それでも今の私には、姉ちゃんが何を考え、どんな痛みを抱えているのか、

 到底推しはかることができなかった。


「でも、お父さんのことが好きなのは……本当だから」


 冗談でも何でもないということだけは、語気にこもった深い迷いと焦り、

 そして私と繋いでいない方の手で、スカートの裾を固く握りしめている拳から

 痛いほど伝わってきた。


「ネノネは……どう思う?」

「どうって……」

 それは、お父さんのこと?

 それとも、そんなお父さんを好きになった姉ちゃんのこと?


「ネノネは、好きな人……いる?」

「い、いないよ……」

 誰とでも気さくに話せる姉ちゃんと違って、人見知りで友達も少ない私は、

 そんな感情を持つことすら考えたこともなかった。

 男女の恋愛という知識が全くないわけではない。

 けれど、誰かと……ましてやお父さんと、

 そういう『特別な行為』に及ぶなんて。


 想像すらしたことのなかった未知の世界を前に、

 私はただ怯えるような目で姉ちゃんを見つめることしかできなかった。


「……私のこと、応援してくれる?」

「どう……かな……。正直、わかんないよ……」

「そう、だよね」

 言葉を濁すことしかできなかった私を責めることもなく、

 姉ちゃんはどこか寂しそうに微笑んだ。


 ────

 それから、数日が過ぎた。

 あの日交わした姉ちゃんとの会話が、未だに脳裏にへばりついて離れてくれない。


 一度も考えたことすらなかった可能性。

 二人は……もしかして、いつか結婚とか、するんだろうか。

 お父さんと、姉ちゃんが────?。

 そう頭をよぎった瞬間、胸の奥、身体の真ん中あたりがずきっと強く軋んだ。

 まるで息がうまく吸えなくなるような、嫌な痛みだった。


 確かに、私たちとお父さんに血の繋がりはない。

 だけど、あのお父さんが、今まで大切に娘として育ててきた姉ちゃんと、

 そんな関係になるなんて。

 キスをしたり、身体を重ね合ったり。そんなことが起きるなんて、

 どうしても信じられなかった。


 だから、きっと大丈夫……。

 自分にそう言い聞かせ、必死に胸のざわつきを押し殺して毎日を過ごしていた。


 ────


 今日は、私も姉ちゃんも街での仕事に向かう日だった。

 あの日以来、私の様子は明らかにおかしかったと思う。


 妙にお父さんと姉ちゃんの距離感を気にしてしまい、

 今までもこうだったっけ、などといちいち深読みしては、

 気にしないように首を振って打ち消していた。


 お父さんに頭を撫でられたり、ぎゅっと抱きしめられるのは昔から大好きだ。

 だけど、それがどういう意味を持つのか。

 姉ちゃんが感じていることとどう違うのか。

 姉ちゃんがどんな気持ちで毎日お父さんと接しているのか。

 私には考えても分からなかった。


 出かける準備を済ませ、服を着替え、髪を結い上げる。

『よし』と小さく気合を入れて、先に部屋を出て行った姉ちゃんに続いてリビングへ向かった。


「お父さん、おはよう」

 姉ちゃんがお父さんの隣へそっと寄り添っていく。


「おはよう。ナーナ、ネノネ」

 朝の光の中で、お父さんが優しく目を細めた。


「……お父さん、おはよう」

 姉ちゃんは少し頭を垂れ、お父さんにおねだりするように頭頂部を差し出した。


「どうしたんだ……?今日は甘えん坊だな」

 お父さんは少し困ったような、照れたような苦笑いを浮かべながらも、

 大きな手で姉ちゃんの頭を撫で始めた。

 柔らかい髪を、指先で愛おしそうにやさしく梳かしていく。


 私たちが大人になるにつれて、

 お父さんは昔みたいに頻繁には頭を撫でたりしなくなった。

 それでも、こうやって昔みたいに触れてくれる手が、私にとっても姉ちゃんにとっても、

 かけがえのない大好きなものだった。


「ううん……なんでもないよ」

 姉ちゃんは目を細めているのに、悲しくも見える複雑な顔をしていた。


「怖い夢でも見たのか?」

「なんでもないったら……」

 傍から見れば、どこにでもある微笑ましい親子のスキンシップに過ぎない。

 だけど、今の私には分かってしまう。

 姉ちゃんがお父さんに向ける感情が、

 単なる親への愛着とは違うものだということを。


 胸の奥の不快な違和感が、この温かな日常が壊れていってしまうことへの恐怖が、

 水に落ちた一滴のインクのように私の中へじわじわと広がっていく。


「……ネノネ?」

「……っ!?」

 不意に名前を呼ばれ、ハッと跳ね起きるように顔を上げた。

 いつの間にか、目の前にお父さんが立っていた。自分でもはっきり分かるくらい、

 心臓が大きく跳ね上がる。


「ど、どうしたの……?」

「いや、そっちこそ……ぼーっとして、どうしたんだ?」

 心配そうに覗き込んでくるお父さんの顔。

 ごもっともな指摘に、私は焦って視線のやり場を失ってしまう。


「……なんでもない」

 素直に話せるはずもなく、うまく誤魔化せているかも分からないままそう答えた。


「……そうか?

 ……ナーナもネノネも、気をつけて行っておいで」

 そう言って、お父さんは昔のように、

 私の頭を優しく包み込むように撫でてくれた。

 私が何か悩みを抱えているのを、お父さんも察して気遣ってくれたのかもしれない。


「……もう、私は姉ちゃんとは違うって」

 口ではそう言って身を引くフリをしながらも、

 私は頭上に伝わる温かい感触から離れられずにいた。

 お父さんの手に撫でられているその瞬間だけ、

 胸の奥を占めていた嫌な痛みが、心地よい熱となって溶けていくようだった。


「……えへへ」

 ずっと……このままでいられたらいいのに。

 そう思わずにはいられなかった。

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