義務とは。
義務とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
自由を壊さないためのブレーキ。
「権利の反対ですか」
「違う」
「違うんですか」
「かなり違う」
博士はコーヒーを飲んだ。
「まず分けよう」
博士は紙ナプキンに書いた。
権利。
義務。
命令。
責任。
「また分ける」
「何度でも分ける」
「権利は?」
「してよい、守られるべき範囲」
「そうだ」
「義務は?」
「しなければならないこと?」
「近い」
「命令は?」
「誰かから従えと言われること」
「責任は?」
「自分の行動を引き受けること」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
義務は、ただの命令ではない。
「義務って命令っぽいですけど」
「見た目はな」
「違うんですか」
「義務は、共同生活の構造から出てくる」
「構造」
「そうだ」
博士は言った。
「赤信号で止まる」
「義務ですね」
「なぜ止まる」
「危ないから」
「誰が危ない」
「自分も、他人も」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分の自由。
他人の自由。
「ぶつかる」
「あ」
「青信号回ですね」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「権利は、進める範囲を作る」
「はい」
「義務は、ぶつからない形を作る」
「はい」
「権利だけなら?」
「ぶつかる」
「義務だけなら?」
「動けない」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
権利だけなら衝突。
義務だけなら停止。
「バランスですか」
「雑に言えばそうだ」
「丁寧に言うと?」
「権利と義務は、同じ空間で自由を成立させるための対になる」
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その義務は君にあるのかね」
「ありません」
「なら黙らなくてよい」
博士は続けた。
「ここで事故が起きる」
「事故」
「私には権利がある」
「はい」
「だから義務はない」
「飛躍です」
「そうだ」
「私は自由だ」
「はい」
「だから他人に配慮しない」
「迷惑です」
「そうだ」
「私は正しい」
「はい」
「だから義務を無視してよい」
「危ないですね」
「かなり危ない」
博士は紙ナプキンに書いた。
権利は、義務の免除ではない。
「強いですね」
「強くてよい」
「でも義務って、自由を縛りますよね」
「縛る」
「認めるんですね」
「認める」
「では悪では?」
「違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
自由を消す制限。
自由を守る制限。
「分ける」
「またですか」
「ここは大事だ」
博士は言った。
「何でも禁止する」
「自由を消す制限」
「他人を殴るな」
「自由を守る制限」
「道路の真ん中で寝るな」
「自由を守る制限」
「税金を払え」
「重いですね」
「重い。だが共同体の運用だ」
「義務は重い」
「そうだ」
「でも必要なことがある」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
義務は、自由の敵とは限らない。
自由の維持費であることがある。
「維持費」
「そうだ」
「自由はタダではない?」
「タダではない」
「重いですね」
「共同生活だからな」
博士はコーヒーを飲んだ。
「ここでカントを借りよう」
「義務といえばカントですね」
「そうだ」
「カントは厳しそうです」
「かなり厳しい」
博士は紙ナプキンに書いた。
したいから、ではなく。
すべきだから。
「これがカントですか」
「かなりカントだ」
「好きだから親切にする」
「はい」
「気分がいいから約束を守る」
「はい」
「褒められたいから正直にする」
「はい」
「それも悪くはない」
「はい」
「だがカントは、もっと厳しく見る」
「すべきことを、すべきだから行う」
「そうだ」
「チンポジ博士にしては硬いですね」
「カントだからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
気分が乗らなくても、守るべきものがある。
「それが義務」
「そうだ」
「好き嫌いではない」
「そうだ」
「内心でもない」
「そうだ」
「外に出た行為の話」
「かなりチンポジ哲学ですね」
「そうだ」
博士は続けた。
「他人の内心は不問だ」
「はい」
「だが外に出た行為には義務がある」
「はい」
「嫌いでも殴るな」
「はい」
「ムカついても盗むな」
「はい」
「納得できなくても赤信号では止まれ」
「はい」
「内心は自由」
「外側は義務」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
内心の自由。
外側の義務。
「混ぜるな」
「かなり本丸ですね」
「本丸に近い」
博士は言った。
「ミルならどう見るか」
「他者危害ですね」
「そうだ」
「他人に危害を与えない義務」
「そうだ」
「不快は?」
「義務化しすぎると危ない」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに書いた。
危害を避ける義務。
不快を消す義務。
「混ぜるな」
「ああ」
「来たな」
「全員を不快にしない義務なんて無理ですね」
「無理だ」
「でも危害を避ける義務はある」
「ある」
「迷惑なら?」
「調整する」
「つながりますね」
「全部つながる」
博士は続けた。
「アリストテレスなら?」
「共同体ですね」
「そうだ」
「義務は共同体の中で生まれる」
「はい」
「一人なら、誰かに迷惑をかけることも少ない」
「はい」
「だが、家族、学校、会社、道路、店、国」
「はい」
「人と並んだ瞬間、義務が生まれる」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに書いた。
隣に人がいる。
だから義務が生まれる。
「綺麗ですね」
「題材以外はな」
「今回は題材も普通です」
「普通という言葉も危ない」
「別回ですね」
「もうやった」
博士は少し笑った。
「ニーチェなら疑う」
「また刺しますか」
「刺す」
「何をですか」
「その義務は、本当に義務か。誰かが都合よく作った服従ではないか」
「刺しますね」
「必要だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
義務。
服従。
同調圧力。
「混ぜるな」
「かなり混ざりますね」
「混ざる」
「家族なんだから」
「はい」
「女なんだから」
「男なんだから」
「はい」
「若いんだから」
「はい」
「年上なんだから」
「はい」
「日本人なんだから」
「はい」
「普通はこうする」
「危ないですね」
「かなり危ない」
博士は言った。
「義務の顔をした支配がある」
「ありますね」
「ある」
「義務の顔をした空気もある」
「あります」
「義務の顔をした搾取もある」
「かなりあります」
博士は紙ナプキンに書いた。
誰が。
誰に。
何を。
どこまで。
何のために。
「社会問題テンプレですね」
「そうだ」
「義務です、だけでは足りない」
「足りない」
「何の義務か言え」
「そうだ」
「誰に対する義務か言え」
「そうだ」
「根拠は何か言え」
「そうだ」
「限界はどこか言え」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「義務は必要だ」
「はい」
「だが、義務という言葉は強い」
「はい」
「だから濫用すると危ない」
「はい」
「義務に見えるものを、一度点検する」
「ニーチェですね」
「ニーチェだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
義務は必要。
だが、義務を名乗るものは疑え。
「かなり良いですね」
「かなり良い」
博士は今日の答えをまとめた。
義務とは、自由を壊さないためのブレーキである。
権利、義務、命令、責任は違う。
権利は、してよい範囲や守られるべき範囲である。
義務は、共同生活を壊さないために自分の行動へかける制限である。
命令は、誰かから従えと言われることである。
責任は、自分の行動を引き受けることである。
権利は、義務の免除ではない。
義務は、自由の敵とは限らない。
自由の維持費であることがある。
内心は自由。
外側には義務がある。
危害を避ける義務と、不快を消す義務を混ぜるな。
義務、服従、同調圧力を混ぜるな。
義務は必要だが、義務を名乗るものは疑え。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「君には君のベスポジがある」
「はい」
「それを探す自由がある」
「はい」
「だが、満員電車で足を大きく広げる」
「迷惑です」
「そうだ」
「自分のベスポジのために」
「はい」
「他人の空間を奪っている」
「はい」
「だから?」
「足を閉じる義務がある」
「そうだ」
「ベスポジなのに?」
「ベスポジでもだ」
「強い」
「強くてよい」
博士は紙ナプキンに最後の一文を書いた。
義務とは、自分のベスポジを守りながら、他人のベスポジを踏み潰さないためのブレーキである。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その発言を控える義務はないのかね」
「ありません」
「なら、こちらには聞き流す自由がある」
博士は静かにコーヒーを飲んだ。




