感謝とは。
感謝とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
受け取ったものを、受け取ったと認めること。
「ありがとう、ではないんですか」
「それは表現だ」
「違うんですか」
「違う」
博士はコーヒーを飲んだ。
「まず分けよう」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝。
お礼。
返礼。
服従。
「また分ける」
「何度でも分ける」
「感謝は?」
「受け取ったものを、受け取ったと認めることだ」
「お礼は?」
「その感謝を外に出すことだ」
「返礼は?」
「何かを返すことだ」
「服従は?」
「相手に従うことだ」
「全部違いますね」
「違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝。
返礼。
服従。
混ぜるな。
「混ざりますか」
「かなり混ざる」
博士は言った。
「助けた」
「はい」
「だから感謝しろ」
「危ないですね」
「そうだ」
「助けた」
「はい」
「だから返せ」
「取引ですね」
「そうだ」
「助けた」
「はい」
「だから言うことを聞け」
「支配です」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝は、請求するものではない。
「強いですね」
「強くてよい」
「でも感謝されないと嫌ですよね」
「嫌なことはある」
「ありますよね」
「ある」
「では請求してもいい?」
「違う」
「違うんですか」
「違う」
博士は続けた。
「感謝されたい」
「はい」
「これは自分の内心だ」
「はい」
「相手が感謝する」
「はい」
「これは相手の内心だ」
「はい」
「別物だ」
「あ」
「来たな」
「チンポジ哲学ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分の善意。
相手の感謝。
別物。
「かなり大事ですね」
「かなり大事だ」
「親切回とつながりますね」
「つながる」
「善意回とも」
「つながる」
「お節介回とも」
「かなりつながる」
博士は言った。
「自分は親切にしたつもりだった」
「はい」
「だが相手には迷惑だった」
「ありますね」
「その場合、感謝を請求できるか」
「できません」
「そうだ」
「自分は善意だった」
「はい」
「でも相手のベスポジを崩した」
「はい」
「感謝は?」
「無理ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
助けたつもり。
助かった。
混ぜるな。
「ここですね」
「ここだ」
博士はコーヒーを飲んだ。
「感謝は美しい」
「急ですね」
「本当だからな」
「博士が美しいとか言うと不安です」
「失礼だ」
「題材がチンポジなので」
「その不安は正しい」
博士は続けた。
「感謝は、他人に支えられていることを認める行為だ」
「アリストテレスですね」
「そうだ」
「人は一人で生きていない」
「そうだ」
「食べ物を作る人がいる」
「はい」
「服を作る人がいる」
「はい」
「道を整える人がいる」
「はい」
「椅子を作る人がいる」
「はい」
「パンツを作る人がいる」
「来ましたね」
「避けられない」
博士は紙ナプキンに書いた。
私は、全部を自分だけで作っていない。
「感謝は、それを認めることですか」
「そうだ」
「でも、それを認めたら、誰にでも感謝しなきゃいけない?」
「感謝しろ、と命令した瞬間に壊れる」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝は義務化すると、形式になる。
「ありがとうと言わせる教育は?」
「必要な場面はある」
「あるんですか」
「ある」
「意外です」
「共同生活だからな」
博士は言った。
「子どもに、ありがとうを教える」
「はい」
「これは作法だ」
「はい」
「だが、内心まで感謝しろと命令する」
「危ないですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
礼儀。
感謝。
混ぜるな。
「礼儀としてのありがとうは必要」
「そうだ」
「でも本当の感謝とは違う」
「そうだ」
「内側までは命令できない」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ここでカントを借りよう」
「他人の内心には直接届かない」
「そうだ」
「感謝しているかどうかも?」
「完全には分からない」
「では、ありがとうと言っても?」
「形式かもしれない」
「言わなくても?」
「内心では感謝しているかもしれない」
「面倒ですね」
「人間だからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
言葉を見る。
行動を見る。
だが内心は断定しない。
「チンポジ哲学ですね」
「かなりチンポジだ」
博士は続けた。
「ミルなら?」
「自由ですか」
「そうだ。感謝しない自由もある」
「冷たいですね」
「冷たくない」
「違うんですか」
「感謝を強制すると、自由ではなくなる」
「はい」
「感謝を強制すると、親切が支配になる」
「あ」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝しろ。
従え。
近い。
「怖いですね」
「怖い」
「感謝を求めると、支配に近づく」
「そうだ」
「親が子に」
「ある」
「上司が部下に」
「ある」
「支援者が当事者に」
「かなりある」
「社会が誰かに」
「ある」
博士は言った。
「感謝しろ、は強い言葉だ」
「はい」
「それは、相手の内側へ入ろうとする」
「はい」
「だから慎重に使う」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝の請求は、内心への干渉である。
「かなり本丸ですね」
「本丸に近い」
博士は続けた。
「ニーチェなら疑う」
「また刺しますか」
「刺す」
「何をですか」
「感謝を求めている側の欲望だ」
「嫌ですね」
「必要だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
私は助けた。
だから私は善い人だ。
だから相手は感謝すべきだ。
「危ないですね」
「かなり危ない」
「善人証明ですね」
「そうだ」
「相手を、自分の善人証明に使っている」
「そうだ」
「カントにも怒られる」
「怒られる」
博士は少し笑った。
「ただし、感謝されない苦しさも本物だ」
「そこも認めるんですね」
「認める」
「善意で助けたのに、何も返ってこない」
「はい」
「ありがとうもない」
「はい」
「それは悲しい」
「はい」
「では、感謝を請求する?」
「違う」
「では?」
「次から距離を考える」
博士は紙ナプキンに書いた。
感謝されなかった。
だから支配する。
「これは?」
「飛躍です」
「そうだ」
「感謝されなかった」
「はい」
「だから次は助け方を考える」
「これはあり」
「そうだ」
「距離を取る」
「あり」
「関係を見直す」
「あり」
「見返り前提なら、契約にする」
「かなり実務ですね」
「感謝に逃がすな」
「なるほど」
博士は言った。
「感謝を前提にすると揉める」
「はい」
「返してほしいなら契約にしろ」
「はい」
「礼を言ってほしいなら礼儀の話にしろ」
「はい」
「心から感謝してほしいなら?」
「強制できない」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
契約。
礼儀。
感謝。
混ぜるな。
「かなり綺麗ですね」
「題材以外はな」
「今回は題材も綺麗でしょう」
「チンポジで回収する」
「でしょうね」
博士は今日の答えをまとめた。
感謝とは、受け取ったものを、受け取ったと認めることである。
感謝、お礼、返礼、服従は違う。
感謝は内側にあり、お礼はそれを外に出す行為である。
返礼は何かを返すことであり、服従は相手に従うことである。
助けたから感謝しろ、は導けない。
助けたから返せ、は取引である。
助けたから従え、は支配である。
感謝は、請求するものではない。
礼儀としてのありがとうと、内側の感謝は違う。
感謝の請求は、内心への干渉になりうる。
返してほしいなら契約にしろ。
礼を求めるなら礼儀の話にしろ。
心からの感謝は、強制できない。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「君のチンポジが悪い」
「はい」
「誰かが椅子を少しずらしてくれた」
「はい」
「楽になった」
「はい」
「その時、君の中に起きるものが感謝だ」
「綺麗ですね」
「そうだ」
「では、椅子をずらした人が」
「はい」
「感謝しろと言う」
「嫌ですね」
「そうだ」
「なぜですか」
「君のベスポジに近づく手伝いをしたはずなのに、今度は君の内心に手を入れているからだ」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに最後の一文を書いた。
感謝とは、他人に支えられたことを、自分の内側で受け取ることである。
それを外から請求した瞬間、感謝は少し支配に近づく。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その言葉にも感謝したまえ」
「請求しましたね」
「今のは実演だ」
「カントに怒られろ」
博士は静かにコーヒーを飲んだ。




