ソクラテスとは。
ソクラテスとは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
問い続ける迷惑な人。
「いきなり怒られますよ」
「たぶん怒られる」
「哲学の祖みたいな人ですよね」
「そうだ」
「なのに迷惑な人?」
「かなり迷惑だった」
「言い切りますね」
「本人も死刑になった」
「重い」
「重い」
博士はコーヒーを飲んだ。
「まず分けよう」
博士は紙ナプキンに書いた。
知識。
知ったつもり。
無知。
無知の自覚。
「また分ける」
「何度でも分ける」
「知識は?」
「知っていること」
「知ったつもりは?」
「知らないのに、知っていると思っていること」
「無知は?」
「知らないこと」
「無知の自覚は?」
「自分が知らないと知っていること」
「ややこしいですね」
「ソクラテスだからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
知らない。
だが、知らないことは知っている。
「無知の知ですね」
「そうだ」
「有名なやつですね」
「かなり有名だ」
博士は続けた。
「ソクラテスは、私は何も知らない、と言った」
「謙虚ですね」
「違う」
「違うんですか」
「ただの謙虚ではない」
博士は紙ナプキンに書いた。
知らないのに知っている顔をするな。
「刺しますね」
「刺している」
「私は正義を知っている」
「はい」
「では正義とは何か」
「ソクラテスが聞く」
「そうだ」
「私は勇気を知っている」
「はい」
「では勇気とは何か」
「聞く」
「私は善を知っている」
「はい」
「では善とは何か」
「聞く」
「うわ」
「迷惑だろう」
「かなり迷惑です」
博士はうなずいた。
「だが、必要だった」
「なぜですか」
「人は、言葉を知っているだけで、中身も知っている気になるからだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
言葉を使える。
だから理解している。
「これは?」
「飛躍です」
「そうだ」
「ウィトゲンシュタインも来そうですね」
「来る」
「言葉の使われ方を見る」
「そうだ」
「でもソクラテスはもっと直接聞く」
「そうだ」
「それ、どういう意味?」
「そうだ」
「なぜそう言える?」
「そうだ」
「本当に?」
「そうだ」
「嫌ですね」
「哲学だ」
博士は続けた。
「ここでチンポジ哲学だ」
「ソクラテスもチンポジですか」
「かなり近い」
「本当ですか」
「本当だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
君のベスポジは本当に君のものか。
「あ」
「来たな」
「自由意志回にも近いですね」
「近い」
「自分では分かっているつもり」
「はい」
「でも、なぜそれがベスポジなのかは説明できない」
「ありますね」
「ある」
「本当に収まっているのか」
「はい」
「ただ慣れているだけではないのか」
「はい」
「誰かにそう座れと言われ続けただけではないのか」
「刺しますね」
「ソクラテスだからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
それは、本当に君のベスポジか。
「強いですね」
「強くてよい」
「でもチンポジ哲学では、本人のベスポジは本人にしか分からないんですよね」
「そうだ」
「ではソクラテスが問い詰めるのは干渉では?」
「いい問いだ」
「ソクラテスっぽいですか」
「少しな」
博士はコーヒーを飲んだ。
「ソクラテスは、相手の内心を勝手に決めない」
「はい」
「お前は間違っている、と最初から裁くのではない」
「はい」
「問う」
「はい」
「答えさせる」
「はい」
「矛盾を見せる」
「はい」
「相手自身に気づかせる」
「なるほど」
博士は紙ナプキンに書いた。
決めつけるな。
問え。
「チンポジ哲学ですね」
「かなりそうだ」
「相手のベスポジを博士が決めるのではなく」
「はい」
「問いによって、相手自身にズレを見せる」
「そうだ」
博士は続けた。
「ただし、危険もある」
「危険?」
「問いは、優しい顔をした刃物になる」
「重いですね」
「重い」
博士は紙ナプキンに書いた。
質問。
詰問。
尋問。
干渉。
「混ぜるな」
「ああ」
「来たな」
「質問しているだけです」
「危ないことがある」
「なぜですか」
「質問は、相手の内側に入ることがあるからだ」
「チンポジ哲学ですね」
「そうだ」
博士は言った。
「なぜそう思うの」
「質問」
「本当にそうなの」
「まだ質問」
「証明できないなら間違いだよね」
「詰問ですね」
「そうだ」
「答えるまで逃がさない」
「尋問です」
「そうだ」
「全部、質問の形をしている」
「怖いですね」
「怖い」
博士は紙ナプキンに書いた。
問いは、相手の自由を残しているか。
「ここを見る」
「かなり大事ですね」
「大事だ」
「ソクラテスは?」
「相手を追い詰めた」
「認めるんですね」
「認める」
「だから嫌われた?」
「かなり嫌われただろう」
「でも哲学になった」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ソクラテスは、知っているふりを壊した」
「はい」
「それは必要だった」
「はい」
「だが、知っているふりを壊される側は痛い」
「はい」
「だから問いには責任がいる」
博士は紙ナプキンに書いた。
問いにも責任がある。
「強いですね」
「強くてよい」
博士は続けた。
「ここでカントを借りよう」
「人を手段としてのみ扱うな」
「そうだ」
「問いでも?」
「当然だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手を、自分の賢さの証明に使うな。
「刺しますね」
「刺している」
「論破したい」
「ある」
「相手を黙らせたい」
「ある」
「自分が賢いと見せたい」
「かなりある」
「哲学者がやりがちですね」
「哲学者でなくてもやる」
博士は言った。
「問いは、相手のためにも使える」
「はい」
「真理のためにも使える」
「はい」
「だが、自分の優越感のためにも使える」
「ニーチェですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
問い。
論破。
優越感。
「混ぜるな」
「かなり大事ですね」
「かなり大事だ」
「ソクラテスは論破王ですか」
「違う」
「違うんですか」
「ソクラテスの目的は、相手を倒すことではない」
「では?」
「知らないことを、知らないと分かる場所まで連れて行くことだ」
「教育回ですね」
「かなり近い」
博士は紙ナプキンに書いた。
答えを渡すな。
問いを渡せ。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その問いはもう古い」
博士は続けた。
「ミルならどう見るか」
「自由ですか」
「そうだ。問いを立てる自由はある」
「はい」
「異論を出す自由もある」
「はい」
「ただし、相手を黙らせるための問いは危ない」
「はい」
「問いの形をした圧力ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
問う自由。
答えない自由。
「答えない自由もあるんですか」
「ある」
「ソクラテス相手でも?」
「ある」
「強いですね」
「強くてよい」
「問いに答えないと、逃げたと言われませんか」
「言われることがある」
「嫌ですね」
「だから危ない」
博士は言った。
「答えられない」
「はい」
「だから間違い」
「飛躍だ」
「答えたくない」
「はい」
「だから負け」
「飛躍だ」
「黙った」
「はい」
「だから同意」
「合意回ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
沈黙を、勝手に答案にするな。
「かなり良いですね」
「かなり良い」
博士はコーヒーを飲んだ。
「ソクラテスは、アテナイで死刑になった」
「毒杯ですね」
「そうだ」
「なぜ死んだんですか」
「若者を堕落させた、神々を認めない、というような罪で訴えられた」
「本当に悪かったんですか」
「ここは簡単には言えない」
「珍しく慎重ですね」
「歴史だからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
共同体から見れば危険人物。
哲学から見れば問い続けた人。
「両方ありうる?」
「少なくとも、そう見られた」
「社会的には迷惑」
「かなり迷惑」
「哲学的には必要」
「かなり必要」
「難しいですね」
「ソクラテスだからな」
博士は言った。
「共同体は、当たり前で回る」
「はい」
「ソクラテスは、当たり前を問う」
「はい」
「共同体から見れば?」
「面倒」
「そうだ」
「でも問わないと?」
「知ったつもりが固まる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
当たり前を守る力。
当たり前を問う力。
「どちらも必要」
「どちらも危ない」
「そうだ」
「守る力だけなら?」
「停滞する」
「問う力だけなら?」
「共同体が壊れる」
「またバランスですか」
「雑に言えばそうだ」
「丁寧には?」
「問いには場と限界がいる」
博士は紙ナプキンに書いた。
問う。
壊す。
支える。
「混ぜるな」
博士は今日の答えをまとめた。
ソクラテスとは、問い続ける迷惑な人である。
知識、知ったつもり、無知、無知の自覚は違う。
ソクラテスは、知らないのに知っている顔をするな、と問い続けた。
言葉を使えるから理解している、は導けない。
ソクラテスは、相手の内心を勝手に決めるのではなく、問いによって相手自身にズレを見せようとした。
ただし、質問、詰問、尋問、干渉を混ぜるな。
問いにも責任がある。
相手を、自分の賢さの証明に使うな。
問い、論破、優越感を混ぜるな。
問う自由がある。
だが、答えない自由もある。
沈黙を、勝手に答案にするな。
ソクラテスは共同体から見れば危険人物であり、哲学から見れば問い続けた人である。
当たり前を守る力と、当たり前を問う力は、どちらも必要で、どちらも危ない。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「君は、これがベスポジだと言う」
「はい」
「私は問う」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「なぜ?」
「はい」
「他の座り方ではないのか?」
「はい」
「その椅子は誰が選んだのか?」
「はい」
「そのパンツは誰が正しいと言ったのか?」
「かなり嫌ですね」
「ソクラテスだ」
「では、博士が私のベスポジを決める?」
「違う」
「では?」
「君が自分で、収まりを点検する」
「なるほど」
博士は最後に一文を書いた。
ソクラテスとは、他人のベスポジを決める人ではない。
そのベスポジが本当に本人のものか、問いで揺らす人である。
「やっぱり迷惑ですね」
「かなり迷惑だ」
「でも必要」
「かなり必要だ」
「博士に似ていますね」
「私は毒杯を飲む予定はない」
「紙ナプキンくらいで済ませてください」
「それなら安全だ」
博士は静かにコーヒーを飲んだ。




