迷惑とは。
迷惑とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
他人の運用コストを、勝手に増やすこと。
「実務ですね」
「迷惑は実務だ」
「もっと感情の話かと思いました」
「感情も関係する」
「では?」
「まず分ける」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快。
迷惑。
危害。
「また分ける」
「何度でも分ける」
博士は言った。
「不快とは?」
「嫌な気持ちになることです」
「そうだ」
「危害とは?」
「身体、財産、権利などに損害が出ることです」
「そうだ」
「では迷惑とは?」
「他人に負担をかけること?」
「近い」
博士は紙ナプキンに書いた。
他人の行動、時間、空間、注意、手間を勝手に使うこと。
「かなり分かりやすいですね」
「迷惑は、他人のリソースを使う」
「リソース」
「そうだ」
「時間」
「はい」
「場所」
「はい」
「集中力」
「はい」
「手間」
「はい」
「安全確認」
「はい」
「感情の処理」
「はい」
「それらを勝手に使う」
「それが迷惑」
「そうだ」
博士は続けた。
「電車で大声を出す」
「迷惑ですね」
「道の真ん中で立ち止まる」
「迷惑です」
「約束の時間に遅れる」
「迷惑です」
「ゴミを片付けない」
「迷惑です」
「人の話を遮る」
「迷惑ですね」
「全部、ただの不快か?」
「違いますね」
「危害か?」
「そこまでではないこともある」
「では?」
「運用コストが増えている」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快では足りない。
危害までは行かない。
だが、負担は発生している。
「この中間ですね」
「そうだ」
「かなり大事ですね」
「かなり大事だ」
博士はうなずいた。
「ここを見ないと、全部が極端になる」
「極端?」
「嫌なだけだろ、で終わる」
「はい」
「または、加害だ、で膨らむ」
「ありますね」
「どちらも雑だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
嫌なだけ。
加害である。
「どちらにも逃がすな」
「強いですね」
「強くてよい」
博士は言った。
「迷惑は、法で裁くほどではないことも多い」
「はい」
「だが、放置すると共同生活が壊れる」
「共同生活」
「そうだ」
「一人だけなら迷惑は起きにくい」
「はい」
「他人がいるから迷惑が起きる」
「なるほど」
「アリストテレスだ」
「共同体ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
人は一人で生きていない。
だから迷惑が生まれる。
「チンポジ哲学に近づいてきましたね」
「かなり近い」
博士は続けた。
「君には君のベスポジがある」
「はい」
「他人には他人のベスポジがある」
「はい」
「君が自分のベスポジを探す」
「はい」
「それ自体は悪くない」
「はい」
「だが」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分のベスポジ探しで、他人のベスポジを崩す。
「それが迷惑ですか」
「かなり迷惑だ」
「自分は楽でも」
「相手がコストを払う」
「自分は自由でも」
「相手の自由が狭くなる」
「自分は気持ちよくても」
「相手が処理させられる」
「かなり現実ですね」
「迷惑だからな」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分の自由。
他人の運用。
「混ぜるな」
「自由なら何をしてもよい?」
「違う」
「迷惑をかけるな、なら何もするな?」
「それも違う」
「難しいですね」
「難しい」
博士は言った。
「迷惑をゼロにすることはできない」
「そうなんですか」
「できない」
「なぜですか」
「人間は存在するだけで、少しずつ他人の空間を使うからだ」
「重いですね」
「重くない。普通だ」
博士は続けた。
「歩けば場所を使う」
「はい」
「話せば音が出る」
「はい」
「仕事を頼めば相手の時間を使う」
「はい」
「助けてもらえば手間を使う」
「はい」
「つまり?」
「迷惑は完全には消えない」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
迷惑ゼロは無理。
だから調整する。
「青信号回ですね」
「そうだ」
「権利はアクセル」
「義務はブレーキ」
「そして迷惑は?」
博士は少し考えた。
「車間距離だ」
「うまいですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その評価は迷惑ではない。少し不快なだけだ」
「分けますね」
「何度でも分ける」
博士は言った。
「ミルを借りよう」
「不快と危害ですね」
「そうだ」
「迷惑は?」
「不快と危害の間にある運用問題だ」
「なるほど」
「不快だから禁止、は飛躍だ」
「はい」
「危害があるなら介入を考える」
「はい」
「迷惑なら?」
「調整する」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快なら、距離。
迷惑なら、調整。
危害なら、介入。
「綺麗ですね」
「題材以外はな」
博士は続けた。
「カントなら?」
「人を手段としてのみ扱うな」
「そうだ。迷惑とは、他人を自分の快適さの処理係にすることでもある」
「強いですね」
「強くてよい」
「自分が楽をする」
「はい」
「後始末は他人」
「はい」
「自分が自由に振る舞う」
「はい」
「周囲が気を遣う」
「はい」
「自分は言いたいことを言う」
「はい」
「相手が場を収める」
「ありますね」
「ある」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分の快適。
他人の後始末。
「これが迷惑」
「そうだ」
「ニーチェは?」
「その自由は、本当に自由か。ただ他人に後始末させているだけではないか、と疑う」
「刺しますね」
「必要だ」
博士は少し笑った。
「ただし」
「ただし」
「迷惑という言葉も危ない」
「え」
「人を黙らせる道具になる」
「あ」
博士は紙ナプキンに書いた。
迷惑だ。
だから消えろ。
「これは?」
「危ないですね」
「かなり危ない」
「迷惑をかけるな」
「はい」
「だから存在するな」
「だめですね」
「そうだ」
「声を出すな」
「場合によりますね」
「そうだ」
「外に出るな」
「危ない」
「違う文化を持ち込むな」
「かなり危ない」
博士はうなずいた。
「迷惑という言葉は、共同生活の調整にも使える」
「はい」
「だが、排除にも使える」
「はい」
「だから慎重に扱う」
博士は紙ナプキンに書いた。
迷惑。
排除。
「混ぜるな」
「ここも大事ですね」
「大事だ」
博士は言った。
「迷惑かどうかを見る時は、こう問え」
博士は紙ナプキンに書いた。
誰の。
どんな負担が。
どれくらい増えたか。
回避できるか。
分担できるか。
必要な負担か。
「社会問題テンプレですね」
「そうだ」
「迷惑です、だけでは足りない」
「足りない」
「どの負担か言え」
「そうだ」
「どれくらいか言え」
「そうだ」
「誰が処理するのか言え」
「そうだ」
「実務ですね」
「迷惑は実務だと言った」
博士は今日の答えをまとめた。
迷惑とは、他人の運用コストを勝手に増やすことである。
不快、迷惑、危害は違う。
不快は嫌な気持ちになること。
危害は身体、財産、権利などに損害が出ること。
迷惑は、他人の行動、時間、空間、注意、手間を勝手に使うことである。
迷惑は、不快では足りず、危害までは行かないことも多い。
だが、負担は発生している。
迷惑ゼロは無理である。
だから調整する。
不快なら距離。
迷惑なら調整。
危害なら介入。
ただし、迷惑という言葉を排除の道具にしてはいけない。
迷惑だと言うなら、誰の、どんな負担が、どれくらい増えたのかを見ろ。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「君が自分のチンポジを直す」
「はい」
「それ自体は本人の問題だ」
「はい」
「だが、満員電車で大きく足を広げる」
「迷惑ですね」
「そうだ」
「自分のベスポジのために」
「はい」
「他人の空間を奪っている」
「はい」
「では、迷惑とは?」
博士は最後に一文を書いた。
迷惑とは、自分のベスポジを守るために、他人のベスポジ処理を勝手に増やすことである。
「かなり本丸ですね」
「本丸に近い」
「でも、迷惑ゼロは無理」
「そうだ」
「だから?」
「調整する」
「どこまで?」
「不快、迷惑、危害を分けながら」
「また分ける」
「何度でも分ける」
博士は静かにコーヒーを飲んだ。




