罵倒権とは。
概念を作ってみました。
罵倒権とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
そんな権利はない。
「いきなり否定ですか」
「いきなり否定だ」
「自由に言う権利は?」
「ある」
「表現の自由は?」
「ある」
「では罵倒権は?」
「ない」
博士は即答した。
「前回から逃がしませんね」
「逃がさない」
「表現の自由に?」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
表現の自由。
批判の自由。
罵倒権。
「一つだけ変ですね」
「そうだ」
「罵倒権」
「そうだ」
「なぜですか」
「権利という形にするからだ」
博士はコーヒーを飲んだ。
「表現の自由は大事だ」
「はい」
「批判の自由も大事だ」
「はい」
「反論する自由も大事だ」
「はい」
「怒りを表明する自由も、場合によっては必要だ」
「はい」
「だが、他人を罵倒する権利という形にすると壊れる」
「なぜですか」
「罵倒は、相手の人格を殴る方向へ行きやすいからだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
批判=行為・主張・制度を見る。
罵倒=人格を殴る。
「かなり違いますね」
「違う」
「でも、罵倒も表現では?」
「表現ではある」
「なら自由では?」
「自由だからといって、権利として保護される中心に置くな」
「中心に置くな」
「そうだ」
博士は続けた。
「表現の自由という大きな箱がある」
「はい」
「そこに何でも入れようとする者がいる」
「はい」
「批判も入る」
「はい」
「抗議も入る」
「はい」
「怒りも入る」
「はい」
「罵倒も入る」
「入るんですか」
「表現ではあるからな」
「では?」
「箱に入ることと、中心に座ることは違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
表現である。
だから守られる中心である。
「これは?」
「飛躍です」
「そうだ」
「表現であることと、権利として強く守ることは違う」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ここでミルを借りよう」
「不快と危害ですね」
「そうだ。誰かの意見を聞いて不快になることはある」
「ありますね」
「それだけで禁止するのは危ない」
「はい」
「だが、罵倒が相手を黙らせるために使われるなら、単なる不快では済まない」
「言論空間への圧力になる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
不快な表現。
相手を黙らせる攻撃。
「分けろ」
「また分ける」
「分けないと、全部が表現の自由に逃げる」
「なるほど」
博士は続けた。
「カントならこう言う」
「人を手段としてのみ扱うな」
「そうだ。罵倒で相手を黙らせ、自分の正義を通すなら、相手を議論の相手ではなく障害物として扱っている」
「強いですね」
「強くてよい」
「ニーチェは?」
「その罵倒は思想か。怨恨か、と笑う」
「刺しますね」
「刺す必要がある」
「ウィトゲンシュタインは?」
「罵倒という言葉が、どの場面でどう使われているのかを見る」
「場面」
「友人同士の軽口、政治批判、抗議、嫌がらせ、脅迫。全部違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
文脈を見ろ。
対象を見ろ。
頻度を見ろ。
力関係を見ろ。
目的を見ろ。
「かなり実務ですね」
「罵倒は実務で扱わないと危ない」
「感情ではなく?」
「感情は入口だ」
博士は言った。
「腹が立った」
「内心」
「だから批判した」
「外部行動」
「だから罵倒した」
「外部行動」
「だから脅した」
「もっと外部行動」
「つまり?」
「怒りは不問。出し方は扱う」
博士はうなずいた。
「その通り」
博士は紙ナプキンに書いた。
怒る自由はある。
罵倒する権利はない。
「ここ、かなり大事ですね」
「大事だ」
「でも、強い批判と罵倒の境界は難しいですよね」
「難しい」
「認めるんですね」
「認める。比喩にも適用範囲がある」
博士は少し考えた。
「だから、罵倒かどうかを内心で決めるな」
「どういうことですか」
「相手を傷つけたいと思っていたかどうかは、簡単には観測できない」
「カントですね」
「そうだ」
「では何を見るんですか」
「外に出た言葉の形を見る」
博士は紙ナプキンに書いた。
何を批判しているのか。
人格か。
行為か。
主張か。
制度か。
改善可能な指摘か。
ただの侮辱か。
「なるほど」
「批判は、相手が変えられるものを扱うことが多い」
「行動、主張、制度」
「そうだ」
「罵倒は?」
「相手そのものを殴る」
「だから危ない」
「そうだ」
博士は今日の答えをまとめた。
罵倒権という権利はない。
表現の自由はある。批判の自由もある。怒りを表明する自由もある。
だが、罵倒を権利の中心に置くな。
批判は行為、主張、制度を見る。
罵倒は人格を殴る。
怒りは不問。出し方は扱う。
不快な表現と、相手を黙らせる攻撃を分けろ。
相手を議論の相手ではなく障害物として扱うな。
「博士」
「何かね」
「前回の国旗毀損罪ともつながりますね」
「つながる」
「国旗を批判する自由はある」
「ある」
「国旗を嫌う自由もある」
「ある」
「でも、壊す自由を表現の自由に逃がすな」
「そうだ」
「罵倒も同じですか」
「同じ構造だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
批判する自由。
踏みに行く自由。
「同じではない」
「なるほど」
「自分の意見を言うことと、相手を踏みに行くことは違う」
「はい」
「そこを表現の自由でまとめると壊れる」
「自由が大きすぎる」
「そうだ」
博士は少しだけ真面目な顔になった。
「自由は大事だ」
「はい」
「だからこそ、雑に使うな」
「自由を守るために?」
「そうだ」
「罵倒権にすると、自由が汚れる」
「かなり強いですね」
「強くてよい」
「チンポジで言うなら?」
博士は少しだけ考えた。
「自分のチンポジを守るために、やめろと言うことはある」
「はい」
「踏み込むな、と警告することもある」
「はい」
「ぶん殴るぞ、も?」
「外交辞令としてはある」
「出ましたね」
「ただし、それは罵倒権ではない」
「違うんですか」
「違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
踏み込むな。
そこは私の領域だ。
「これは境界線だ」
「はい」
博士は次に書いた。
お前は最低だ。
お前は消えろ。
お前は人間ではない。
「これは?」
「人格攻撃ですね」
「そうだ」
「全然違う」
「違う」
博士は言った。
「チンポジ哲学にあるのは、不可侵領域を守るための警告だ」
「はい」
「他人を壊してよい権利ではない」
「かなり大事ですね」
「大事だ」
「ぶん殴るぞ、は?」
「最後通告だ」
「罵倒ではなく?」
「目的が違う」
「目的」
「相手を辱めるためではない。不問に戻すためだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
目的は、殴ることではない。
不問に戻すこと。
「なるほど」
「だから、警告と罵倒を混ぜるな」
「混ぜると?」
「境界線の主張が、ただの攻撃になる」
「怖いですね」
「怖い」
博士は紙ナプキンをこちらへ向けた。
罵倒権とは存在しない。
あるのは、踏み込まれた時に境界線を示す権利である。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「今のは罵倒かね」
「批判です」
「改善可能かね」
「名前を変えれば」
「却下する」
博士は笑った。
罵倒権があるとした場合
「私たちは声をあげる!」
「うるさい!」
?「議論は死んだ」




