閑話 国旗毀損罪について
国旗毀損罪についてどう思うか。
その問いを出すと、博士は少し考えた。
珍しく、すぐには答えなかった。
「難しいんですか」
「いや」
「では?」
「チンポジ哲学だと、そこまで難しくない」
「そうなんですか」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに短く書いた。
内心は不問。
行動は扱う。
「いつものですね」
「いつものだ」
博士はコーヒーを飲んだ。
「まず確認しよう」
「はい」
「国旗が好きな人がいる」
「いますね」
「国旗が嫌いな人もいる」
「いますね」
「どちらも内心だ」
「はい」
「だから不問」
博士は紙ナプキンに書いた。
愛国心。
反国家感情。
どちらも不問。
「国旗を愛せ、はダメ」
「ダメだ」
「国旗を嫌うな、もダメ」
「ダメだ」
「そこは対等なんですね」
「対等だ」
博士はうなずいた。
「では次だ」
「はい」
「国旗を批判する」
「表現ですね」
「国旗を嫌うと表明する」
「これも表現」
「国旗を燃やす」
「行動ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
嫌う自由。
批判する自由。
壊す自由。
「この三つを混ぜるな」
「また分ける」
「何度でも分ける」
博士は言った。
「国旗を嫌う自由はある」
「はい」
「国旗を批判する自由もある」
「はい」
「だが、国旗を壊す自由を、同じ場所に置くと話が壊れる」
「なぜですか」
「壊す、は外部行動だからだ」
博士は続けた。
「チンポジ哲学は、他人のベスポジを否定しない」
「はい」
「だが、他人のベスポジを踏みに行く行動も肯定しない」
「なるほど」
「国旗を大切に思う人がいる」
「はい」
「国旗を嫌う人もいる」
「はい」
「互いの内心は不問だ」
「はい」
「だが、相手が大切にしている象徴を踏みにじる行動まで、不問にはできない」
博士は紙ナプキンに書いた。
批判。
破壊。
混ぜるな。
「ここで表現の自由が出ますね」
「出る」
「大事ですよね」
「大事だ」
「でも万能ではない」
「そうだ」
博士は即答した。
「表現の自由は、国家や多数派に都合の悪い意見を守るために重要だ」
「はい」
「政治批判も守るべきだ」
「はい」
「国旗を嫌いだと言う自由も守るべきだ」
「はい」
「だが、他人が大事にしている象徴を壊す行為まで、表現の自由の中心に置くな」
「中心」
「そうだ。逃げ道にするな、ということだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
表現の自由に逃がすな。
「強いですね」
「強くてよい」
博士は続けた。
「ここでミルを借りよう」
「不快と危害ですね」
「そうだ」
「国旗を嫌う発言は、不快かもしれない」
「はい」
「国旗を批判する発言も、不快かもしれない」
「はい」
「それだけで禁止するのは危ない」
「はい」
「だが、国旗を壊すことは、ただの不快な意見とは違う」
「行動だから」
「そうだ」
「では、必ず禁止すべきですか」
「そこは制度設計だ」
「逃げましたね」
「逃げていない。慎重になった」
博士は言った。
「どこまでを罰するのか」
「はい」
「誰の所有物か」
「はい」
「公然性はあるか」
「はい」
「公共の秩序をどう見るか」
「はい」
「政治的表現としてどこまで許すか」
「はい」
「このあたりは法律の設計になる」
「チンポジ哲学だけでは終わらない」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ただし、整理はできる」
「整理」
「内心と行動を分ける。批判と破壊を分ける。不快と危害を分ける」
「いつものですね」
「いつものだ」
博士は少し考えた。
「もう一つある」
「何ですか」
「覚悟だ」
「覚悟」
「国旗を毀損することには強いメッセージ性がある、と言う者がいる」
「ありますね」
「国家への抗議だ」
「はい」
「危険を承知で訴えている」
「はい」
「覚悟の表明だ」
「はい」
「ならば、違法化された方がメッセージ性は強くなる」
私は少し黙った。
「かなり意地悪ですね」
「意地悪ではない」
「いや、かなり意地悪です」
「表現の重さの話だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
合法な毀損。
違法な毀損。
「合法なら、安全圏から壊しているだけにも見える」
「はい」
「違法なら、処罰リスクを背負ってまで伝えたいことがある、になる」
「メッセージ性は上がる」
「そうだ」
「でも違法になりますよ」
「そうだ」
「だから普通はやりにくくなる」
「そうだ」
「それでもやるなら?」
「覚悟は強く見える」
博士はコーヒーを飲んだ。
「表現の自由を語るなら、ここから目をそらしてはいけない」
「どういうことですか」
「表現は、時にリスクを伴う」
「はい」
「だからこそ重くなることがある」
「はい」
「ならば、国旗毀損を覚悟の表現だと言う者にとって、違法化は単純な弱体化ではない」
「むしろ重くなる場合がある」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
安全圏からの罵倒。
リスクを背負った抗議。
「同じではない」
「かなり強いですね」
「強くてよい」
「でも、博士は違法化に賛成なんですか」
「そこは即答しない」
「珍しいですね」
「制度の話だからだ」
博士は続けた。
「私は、国旗を愛せとは言わない」
「はい」
「国旗を嫌うなとも言わない」
「はい」
「批判するなとも言わない」
「はい」
「だが、壊す行動を表現の自由に逃がすなとは言う」
「なるほど」
「そして、覚悟の表現だと言うなら、違法化によって覚悟はむしろ見えやすくなるとも言う」
「かなり皮肉ですね」
「皮肉ではない。構造だ」
博士は今日の答えをまとめた。
国旗を愛することも、嫌うことも内心である。
内心は不問である。
国旗を批判する自由はある。
だが、国旗を壊すことは外部行動である。
嫌う自由、批判する自由、壊す自由を混ぜるな。
批判と破壊を混ぜるな。
表現の自由は大事だが、表現の自由に逃がすな。
国旗毀損に覚悟のメッセージがあると言うなら、違法化はむしろメッセージ性を強めることがある。
議論するなら、何を守り、何を罰し、どこまで許容するのかを見ろ。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少し考えた。
「私はその国旗が嫌いだ」
「はい」
「不問だ」
「私はその国旗を愛している」
「はい」
「それも不問だ」
「はい」
「だが」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分のベスポジを守ることと、
他人のベスポジを踏みに行くことは違う。
「なるほど」
「そういうことだ」
「では次回は?」
博士は少しだけ笑った。
「なぜ人は、他人を踏みに行く自由を欲しがるのか」
「嫌な予感がします」
「私もだ」
紙ナプキンには、短くこう残っていた。
次回。
罵倒権とは。




