間話:チンポジ哲学の副作用。あるいは予測変換に残る思想
チンポジ哲学は、危険である。
いや、違う。
チンポジ哲学は、危険ではない。
この二つは、どちらも正しい。
掛け違えているのは、意味のレイヤーである。
思想としてのチンポジ哲学は、危険ではない。
むしろ共存を目指す思想である。
本人にしかわからない収まりがある。
他人には完全にはわからない。
だから否定しない。
だから押し付けない。
これが基本だ。
だが、語彙としてのチンポジ哲学は危険である。
なぜなら、入力欄に残るからだ。
「博士」
「何かね」
「チンポジ哲学のデメリットが見つかりました」
いつもの喫茶店。
白衣。
コーヒー。
紙ナプキン。
胸ポケットのサイコロ二つ。
博士はいつも通りだった。
「デメリットとは」
「予測変換です」
博士の手が止まった。
「予測変換」
「はい」
私はスマホを取り出した。
そして、入力欄に「ち」と打った。
候補欄に、それは出た。
チンポジ。
博士は黙って画面を見た。
「博士」
「……」
「出ました」
「……」
「出てはいけない場所に、出ました」
博士はゆっくりとコーヒーを置いた。
「なるほど」
「なるほど、ではありません」
「これは興味深い」
「興味深がらないでください」
私はスマホを握りしめた。
「普通の連絡をしようとしていたんです」
「うむ」
「そこで『ち』を打ったら、出ました」
「チンポジが」
「言わせないでください」
「君が言った」
「博士が感染源です」
博士は紙ナプキンを一枚取った。
そして、短く書いた。
理念としては平和。
実装としては危険。
「責任逃れみたいに整理しないでください」
「責任逃れではない。レイヤー分けだ」
「レイヤー分け」
「そうだ。思想としてのチンポジ哲学は、他人の内側を侵さないための理性である」
「はい」
「だが、語彙としてのチンポジ哲学は、入力欄に現れると社会的リスクになる」
「はい」
「つまり、チンポジ哲学は危険思想ではない」
「はい」
「ただし、危険語彙で実装された平和思想である」
「最悪の分類ですね」
「かなり正確だ」
博士はさらに書いた。
チンポジ哲学は危険である。
チンポジ哲学は危険ではない。
この二つは、参照しているレイヤーが違う。
「これが今日の中心だ」
「今日の中心にしていいんですか」
「してよい。哲学は、言葉の掛け違いをほどくものでもある」
「掛け違い」
「そうだ。『危険』という言葉が、思想の中身を指しているのか、語彙の運用を指しているのかで答えが変わる」
「思想としては危険ではない」
「そうだ」
「入力語彙としては危険」
「そうだ」
「予測変換的には危険」
「非常に危険だ」
博士は紙ナプキンに、もう一つ書いた。
思想は押し付けていない。
だが、IMEが押し付けていた。
「また責任転嫁してますね」
「事実の整理だ」
「博士のせいで私のスマホが汚染されました」
「汚染ではない。学習だ」
「最悪の学習です」
「チンポジ哲学は、思想感染だけでなく、IME感染する」
「新しい病気みたいに言わないでください」
「かなり重要な発見だ」
「嫌な発見です」
博士は紙ナプキンに構造を書き始めた。
博士が語る。
聞き手が記録する。
端末が学習する。
日常会話に出る。
事故る。
「構造化しないでください」
「構造化しなければ対策できない」
「対策が必要な哲学って何なんですか」
「強い哲学だ」
「危ない哲学です」
「語彙としてはな」
博士は真顔だった。
「強いメタファーは、思考を助ける。一方で、生活を侵食する」
「生活を侵食」
「そうだ。チンポジという言葉は強い。わかりやすい。笑える。刺さる。忘れにくい」
「はい」
「だから端末も忘れない」
「そこが問題です」
「人間だけでなく、IMEにも刺さる」
「刺さらないでほしかった」
博士は大きく書いた。
チンポジ哲学の最大の敵は、反論者ではない。
予測変換である。
「名言っぽくしないでください」
「名言だ」
「事故報告です」
「事故報告は哲学の入口だ」
「入口が多すぎます」
博士は少しだけ考え込んだ。
「これは、チンポジ哲学の自己矛盾に見える」
「見えるというか、しています」
「チンポジ哲学は、他人に履かせてはならない」
「はい」
「だが、予測変換は勝手に履かせようとする」
「最悪です」
「チンポジ哲学は、他人の内側を侵さないための理性である」
「はい」
「しかし、予測変換は平然と日常会話を侵してくる」
「その通りです」
「つまり、理念は自制しているが、実装が自制していない」
「博士」
「何かね」
「かなりITっぽい言い訳です」
「哲学も実装で事故る」
「事故りました」
博士は紙ナプキンに、今日のもう一つの中心を書いた。
チンポジ哲学は、思想としては押し付けない。
しかし、入力履歴としては押し付けてくる。
「最低の自己矛盾ですね」
「自己矛盾ではない。実装上の副作用だ」
「それを普通は欠陥と言います」
「哲学では限界と言う」
「便利ですね」
「便利ではない。面倒なだけだ」
私はスマホを見た。
候補欄には、まだそれがいた。
あまりにも堂々と。
「博士、これ本当に危ないんですよ」
「わかっている」
「仕事の返信で出たら終わります」
「うむ」
「家族への連絡で出ても終わります」
「うむ」
「友人ならまだ笑えるかもしれません」
「関係性による」
「一番怖いのは、誤送信です」
「うむ」
「チンポジ哲学は、押し付けないと言いながら、入力という行為で押し付けていたんです」
博士は、そこで少しだけ真面目な顔になった。
「その通りだ」
「認めましたね」
「認める」
博士はゆっくり言った。
「チンポジ哲学は、理念としては平和だ。だが、言葉としては危険だ」
「はい」
「共存を目指す思想が、予測変換では社会的リスクになる」
「はい」
「ここに、理念と実装の差がある」
「重いような、くだらないような」
「両方だ」
博士は対策を書き始めた。
一、辞書登録をしない。
二、予測変換から削除する。
三、仕事用端末では入力しない。
四、略称を使う。
五、紙に書く。
六、布教しない。
「略称って何ですか」
「C哲学」
「急に安全ですね」
「安全だが弱い」
「弱くていいです」
「紙は予測変換しない」
「それは真理です」
「そして、チンポジ哲学は布教しない。人間にも、IMEにも」
「IMEにも布教しない」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
チンポジ哲学を、予測変換にも履かせるな。
「最悪の教訓ですね」
「しかし実用的だ」
「実用的なのが腹立ちます」
博士はコーヒーを一口飲んだ。
「これは、現代の哲学の弱点でもある」
「弱点?」
「哲学は言葉でできている」
「はい」
「言葉でできている以上、入力される」
「はい」
「入力される以上、履歴に残る」
「はい」
「履歴に残る以上、予測される」
「はい」
「予測される以上、事故る」
「哲学の宿命みたいに言わないでください」
「現代哲学の新しい問題だ」
「嫌すぎる現代哲学です」
博士は続けた。
「昔の哲学者は、紙と口頭で済んだ」
「はい」
「現代人は、スマホで哲学する」
「はい」
「すると、哲学は端末に記録される」
「はい」
「そして端末は、文脈を読まずに候補を出す」
「はい」
「つまり、予測変換は哲学的配慮をしない」
「それはそうです」
「ならば、現代の哲学にはIME倫理が必要だ」
「増やさないでください」
「IME倫理」
「増やさないでください」
博士は紙ナプキンに書こうとした。
私は止めた。
「書かないでください」
「なぜだ」
「また学習します」
「紙だぞ」
「私が撮ったら終わりです」
「なるほど」
博士はペンを置いた。
「君も学んでいる」
「学びたくなかったです」
しばらく沈黙があった。
それから博士は、少しだけ穏やかに言った。
「だが、これは良い失敗だ」
「良い失敗?」
「チンポジ哲学は、押し付けないことを大事にしている。ならば、自分がどこで押し付けてしまうかも見なければならない」
「入力欄で」
「そうだ。思想は高尚な場所だけで事故るわけではない。日常の小さな実装で事故る」
「実装」
「言葉を選ぶ。入力する。送信する。履歴に残る。候補に出る。そういう細部で、哲学は現実に触れる」
「つまり、哲学にも運用がある」
「その通り」
博士は、最後に一枚だけ紙ナプキンを取った。
そして、短くまとめた。
チンポジ哲学は、危険ではない。
チンポジ哲学は、危険である。
前者は思想の話であり、後者は語彙の運用の話である。
チンポジ哲学は、思想としては共存を目指す。
しかし、入力履歴に残ると日常会話へ割り込む。
理念として押し付けなくても、実装として押し付けてしまうことがある。
だから、哲学にも運用が必要である。
「博士」
「何かね」
「今日の結論は何ですか」
博士は真顔で言った。
「哲学は内心に置け。予測変換に置くな」
「最低なのに、かなり正しいですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前が一番の問題だ」
「やっと認めましたね」
「認める。チンポジ哲学の最大の弱点は、チンポジという名前だ」
「基礎定義が崩れましたね」
「崩れていない。強すぎる名前には、強すぎる副作用があるだけだ」
「それを欠陥と言います」
「哲学では限界と言う」
「便利ですね」
「便利ではない。面倒なだけだ」
喫茶店を出ると、私はすぐにスマホの予測変換を確認した。
まだ出た。
チンポジ。
私は削除した。
もう一度「ち」と打った。
まだ出た。
「しぶとい」
博士が横から覗き込んだ。
「思想とは、そういうものだ」
「これは思想ではなく予測変換です」
「現代では、思想も予測変換に宿る」
「嫌な時代ですね」
「哲学の題材には困らない」
私はスマホを閉じた。
チンポジ哲学は、危険ではない。
他人の内側を侵さないための、共存を目指す思想である。
だが、チンポジ哲学は危険である。
その名前は、予測変換に残り、文脈を無視して日常へ顔を出す。
つまり、二つは矛盾していない。
思想としては平和。
語彙としては危険。
理念としては共存。
実装としては事故。
他人の内側を侵さないための哲学が、入力欄から会話を侵してくる。
それは、かなりひどい皮肉だった。
チンポジ哲学は、他人に履かせてはならない。
そして、予測変換にも履かせてはならない。
その日から私は、哲学を語る時、少しだけ入力欄を見るようになった。
思想は、頭の中だけで完結しない。
言葉になる。
入力される。
記録される。
予測される。
そして、事故る。
哲学にも、運用が必要である。
なお、著者のスマホでは現在も『ち』の予測変換トップがチンポジである。




