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哲学と私 あるいは、チンポジ博士の講義  作者: チンポジ博士


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死とは。

 死とは何か。


 その問いを口にした瞬間、博士は黙った。


 いつものように、すぐには答えなかった。


 博士は喫茶店の奥に座っていた。


 白衣。

 コーヒー。

 紙ナプキン。

 胸ポケットのサイコロ二つ。


 いつもの博士だった。


 けれど、その日は少しだけ違った。


 博士は紙ナプキンを取らなかった。


 ペンも持たなかった。


 ただ、コーヒーの表面を見ていた。


「博士」


「何かね」


「死とは何ですか」


 博士は、しばらく黙っていた。


 私は少し後悔した。


 問いが重すぎた。


 愛とは何か。

 普通とは何か。

 自由とは何か。


 そういう問いなら、博士は妙な比喩で切り込んでくる。


 だが、死は違う。


 死は、冗談で扱うには重い。


 チンポジ博士であっても、さすがに。


「死とは」


 博士が、ようやく口を開いた。


「本人からの申告が、永遠に止まることだ」


 私は黙った。


 博士は続けた。


「生きている間、人は言える」


 博士は指を折った。


「痛い。苦しい。嫌だ。怖い。こうしてほしい。これは違う。まだ生きたい。もう十分だ。ありがとう。ごめん」


 博士はそこで少し止まった。


「だが、死ぬと、それが止まる」


「申告が止まる」


「そうだ」


 博士は、そこでようやく紙ナプキンを一枚取った。


 そして短く書いた。


 死=本人からの申告が永遠に止まること


「死とは、本人の世界が閉じることでもある」


「本人の世界」


「そうだ。本人が見ていた世界。感じていた痛み。抱えていた納得。後悔。希望。不快。喜び。それらを、本人の口から確認することができなくなる」


「残された側は?」


「生前の情報から扱うしかない」


 博士は静かに言った。


「生前の言葉。行動。約束。希望。癖。関係。そういうものから、もう返事のない相手を扱うしかない」


「重いですね」


「死は重い」


 博士は紙ナプキンに、もう一つ書いた。


 死者は訂正できない。


「これが重要だ」


「訂正できない」


「そうだ。生きていれば、違うと言える。そんなつもりではなかったと言える。今は考えが変わったと言える。そこは誤解だと言える」


「死ぬと」


「言えない」


 博士はペンを置いた。


「だから、残された者の解釈には責任がある」


 私は、紙ナプキンの文字を見た。


 死者は訂正できない。


 それは、あまりにも当たり前だった。


 けれど、当たり前すぎて、普段は見落としていることでもあった。


「博士」


「何かね」


「今日は、チンポジで説明しないんですか」


 言ってから、しまったと思った。


 博士は怒らなかった。


 ただ、少しだけ目を伏せた。


「死をチンポジで語るのは危険だ」


「博士が引いた」


「比喩にも礼儀がある」


「……まともですね」


「私はいつもまともだ」


「名前以外は」


「名前もまともだ」


「今日は争いません」


 博士は、しばらく黙った。


 それから、ゆっくりと言った。


「ただし、構造だけなら接続できる」


「やるんですね」


「やる。だが、慎重にやる」


 博士は紙ナプキンに、小さく丸を描いた。


「チンポジ哲学の基本は、本人にしかわからない収まりがある、ということだ」


「はい」


「他人には直接観測できない」


「はい」


「だから、本人の申告が重要になる」


「はい」


「痛い。苦しい。嫌だ。こっちがいい。これは違う。そういう申告によって、本人は自分の収まりを調整する」


「それが生きている間」


「そうだ」


 博士は丸の横に、短い線を引いた。


「だが死ぬと、その申告が止まる」


「本人がもう直せない」


「直せない。訴えられない。違うと言えない。これでいいとも言えない」


「本人のベスポジが、もう確認できない」


 博士は、そこで少しだけこちらを見た。


「そうだ」


「言ってしまいましたね」


「君が言った」


「すみません」


「いや、構造は正しい」


 博士は静かに続けた。


「死とは、本人が自分の収まりを調整できなくなることでもある」


「生きていれば、まだ動ける」


「そうだ。まだ言える。まだ直せる。まだ怒れる。まだ笑える。まだ撤回できる。まだ謝れる」


「死ぬと」


「止まる」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 死=本人による調整と訂正が止まること


「だから、生きている間に言葉にしておくしかない」


「何をですか」


「ありがとう。嫌だった。許せない。許したい。こうしてほしい。これはしないでほしい。まだ生きたい。もう十分だ」


「重いですね」


「重い。だが必要だ」


 博士はコーヒーを一口飲んだ。


「人間は、死者を扱う」


「扱う」


「葬式をする。墓を作る。写真を飾る。遺品を整理する。思い出を語る。言葉を引用する。名前を残す。物語にする」


「本人には確認できない」


「そうだ」


「だから、生前の情報から扱うしかない」


「その通り」


 博士は少しだけ、遠くを見るような顔をした。


「ここで宗教が出てくる」


「宗教ですか」


「死後、本人には確認できない。では、死者はどこへ行ったのか。死者は見ているのか。死者に届くのか。死者は救われるのか。残された者は、どう関係を続ければいいのか」


「宗教は、その問いに答える」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 宗教=返事のない相手との関係を扱う仕組み


「もちろん、これだけでは宗教を説明しきれない」


「はい」


「だが、死との関係で見るなら、宗教は返事のない相手との関係を扱う仕組みでもある」


「死者とどう関わるか」


「そうだ。祈る。弔う。赦しを願う。救いを願う。再会を願う。神に預ける」


「神に預ける」


「ここでキリスト教に行ける」


 博士はペンを持ち直した。


「キリスト教では、死は完全な終了ではない」


「魂、裁き、復活、救済、永遠の命」


「そうだ」


「人間には見えない内心も、神には見えている」


「そうだ」


「死後も関係は完全には閉じない」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに、ゆっくり書いた。


 人間には確認できないものを、神という絶対観測者に預ける。


「これが一つの設計だ」


「設計で言うんですね」


「私はそう見る」


「人間には他人の内心が見えない」


「そうだ」


「死後は、本人への確認もできない」


「そうだ」


「でも神には見えている」


「そう信じる」


「だから、死者を神に預けられる」


「そうだ」


 博士はうなずいた。


「これは強い」


「強いですか」


「強い。死者本人に確認できないという問題に対して、人間の外側に観測者を置く。神は見ている。神は知っている。神は裁く。神は救う」


「人間が確認できない部分を、神が引き受ける」


「そうだ」


 博士はそこで、少しだけ声を低くした。


「だが、ここでバグることがある」


「バグ」


「神が見るはずのものを、人間が見たつもりになることだ」


 私は、少しだけ背筋を伸ばした。


「内心を、人間が裁き始める」


「そうだ」


「神には見えている、までは信仰」


「そうだ」


「だから我々が裁く、になると」


「神の観測権限の横取りだ」


 博士ははっきり言った。


「人間には見えない。だから神に預ける。ここまでは一つの信仰の形だ」


「はい」


「だが、人間には見えない。けれど我々には神の名において見える。だから裁く。これは危険だ」


「異端審問みたいな話ですね」


「そうだ」


「神が見るはずの内心を、人間が代理で裁く」


「重大なバグだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 信仰:神には見えている。

 バグ:だから我々が裁く。


「この差は大きい」


「かなり大きいですね」


「神に預けることと、人間が神の席に座ることは違う」


「神の席」


「そうだ」


 博士は、そこで少しだけ間を置いた。


「そして、キリストだ」


 私は黙った。


 博士は続けた。


「キリストは、最も死後に語られた人物の一人だろう」


「そうですね」


「彼の言葉、行動、死、復活の物語は、彼の死後、弟子たちによって語られ、まとめられ、教義となった」


「そして現代まで続いている」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに、丁寧に書いた。


 キリスト教=死後に本人へ確認できないものを、生前の言葉と行動から組み上げた巨大な解釈体系


「これはキリスト教を否定しているのではない」


「はい」


「むしろ、死者を扱うということの重さを示している」


「本人には、もう確認できない」


「そうだ」


「だから、弟子たちは生前の言葉と行動を頼りにした」


「そうだ」


「語り継ぎ、まとめ、解釈し、教義にした」


「そうだ」


「それが二千年続いている」


「そうだ」


 博士は、少しだけ目を細めた。


「だが、ここでチンポジ哲学に戻る」


「戻るんですか」


「戻る」


「慎重にお願いします」


「慎重に戻る」


 博士はペンを置いた。


 そして、静かに言った。


「キリストのベスポジは、誰にもわからない」


「最悪の言い方ですね」


「だが、構造は正しい」


「構造は正しいのが困ります」


「キリスト本人が、後世の教義をどう思うのか。どこまで言いたかったのか。何を強調したかったのか。どの儀式をよしとするのか。どの制度を違うと言うのか」


「本人には、もう確認できない」


「そうだ」


「弟子たちは、生前の言葉と行動から、この位置が正しいはずだと組み上げた」


「そうだ」


「それが教義になった」


「そうだ」


「でも、本人の本当の収まりは誰にもわからない」


「そうだ」


 博士は、そこで一度だけ深く息を吐いた。


「死者は訂正できない」


 その言葉は、さっきより重く聞こえた。


「だから、残された者の解釈には責任がある」


「キリスト教だけの話ではないですね」


「そうだ」


 博士はうなずいた。


「親でも、友人でも、作家でも、思想家でも、歴史上の人物でも同じだ。死者の言葉を使う時、死者の意志を語る時、死者の名前で何かを正当化する時、我々は常に危ない場所にいる」


「本人が違うと言えないから」


「そうだ」


「だから、死者の名前は便利になる」


「非常に便利になる」


「でも、それは危険」


「非常に危険だ」


 博士は紙ナプキンをもう一枚取った。


 そして、ゆっくり書いた。


 死者の言葉を扱う者は、死者が訂正できないことを忘れてはならない。


「これが今日の中心だ」


「死とは何か、からここまで来るんですね」


「死は、本人からの申告が止まることだ。だから、死者の扱いは常に解釈になる」


「解釈には責任がある」


「そうだ」


「宗教も、伝記も、思想継承も、遺言も、弔いも」


「全部、そこに関わる」


 私は、紙ナプキンの文字を見た。


 死者は訂正できない。


 死者の言葉を扱う者は、死者が訂正できないことを忘れてはならない。


 それは、博士の言葉にしては、あまりにも静かだった。


「博士」


「何かね」


「キリスト教を否定しているわけではないんですよね」


「もちろんだ」


「キリストを否定しているわけでもない」


「もちろんだ」


「言っているのは、死者本人には確認できないから、残された者の解釈には責任がある、という話」


「そうだ」


「かなり重いですね」


「死の話だからな」


 博士は、少しだけ笑った。


「ただし、ここで終わると重すぎる」


「軽くするんですか」


「軽くはしない。戻す」


「どこへ」


「生きている間へ」


 博士は紙ナプキンに最後の一文を書いた。


 死後に訂正できないなら、生きている間に言葉にしておくしかない。


「これができることだ」


「生きている間に」


「そうだ。ありがとう。ごめん。嫌だった。許せない。許したい。こうしてほしい。これはしないでほしい。まだ生きたい。もう十分だ」


「言葉にする」


「そうだ」


「残された側は、それを頼りにするしかない」


「そうだ」


「言葉にしないと、残された側が推測するしかない」


「そうだ」


「推測はズレる」


「必ずズレる」


「だから、言葉にしておく」


「できる範囲でな」


 博士はペンを置いた。


 紙ナプキンには、今日の答えが並んでいた。


 死とは、本人からの申告が永遠に止まること。

 死とは、本人による調整と訂正が止まること。

 死者は訂正できない。

 だから、残された者は生前の言葉と行動から扱うしかない。

 宗教は、返事のない相手との関係を扱う仕組みでもある。

 キリスト教は、人間には確認できないものを神という絶対観測者に預ける設計でもある。

 だが、人間が神の観測権限を横取りするとバグる。

 キリストのベスポジは誰にもわからない。

 だからこそ、死者の言葉を扱う者には責任がある。

 死後に訂正できないなら、生きている間に言葉にしておくしかない。


「博士」


「何かね」


「今日、かなりまともですね」


「私はいつもまともだ」


「今日は、名前の方が邪魔していません」


「名前も哲学的だ」


「そこは譲らないんですね」


「譲らない」


 博士はコーヒーカップを持ち上げた。


 中身はもう空だった。


「死の前では、比喩も姿勢を正す」


「博士が言うと、妙に響きますね」


「哲学者だからな」


「名前以外は」


「名前もだ」


「今日は争いません」


 喫茶店を出ると、外は少し曇っていた。


 道を歩く人たちは、みんな普通に生きていた。


 話している人。

 黙っている人。

 電話をしている人。

 急いでいる人。

 立ち止まっている人。


 その全員が、まだ申告できる人たちだった。


 痛いと言える。

 嫌だと言える。

 ありがとうと言える。

 まだ生きたいと言える。

 もう十分だと言える。


 死とは何か。


 本人からの申告が、永遠に止まること。


 だから、死者を扱う時、人は慎重でなければならない。


 死者は訂正できない。


 その人の名前で語る時。

 その人の言葉を引用する時。

 その人の意志を代弁する時。


 そこには、いつも責任がある。


 キリストのベスポジは、誰にもわからない。


 最悪の言い方だ。


 けれど、その最悪の言い方の奥に、博士の言いたいことはあった。


 本人にしかわからないものがある。

 本人がいなくなれば、それはもう確認できない。

 だから、生きている間の言葉と行動が重くなる。


 その日から私は、死を少しだけ違うものとして考えるようになった。


 終わり。


 それだけではない。


 訂正できなくなること。


 もう返事が返ってこなくなること。


 だからこそ、生きている間に、できるだけ言葉にしておくこと。


 ありがとうも。


 ごめんも。


 嫌だったも。


 許したいも。


 まだ生きたいも。


 もう十分だも。


 それらは、死後の誰かに残る、生前の申告なのだから。

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チンポジ哲学が生まれる話です。
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