バイアスとは。
バイアスとは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
見え方のクセ。
「偏見のことですか」
「それも含む」
博士は即答した。
「でも、バイアスって悪いものですよね」
「悪いとは限らない」
「違うんですか」
「違う。バイアスとは、世界を見る時の傾きだ。傾きがあるから見えるものもある。傾きがあるから見えないものもある」
博士は紙ナプキンに書いた。
バイアス=見え方のクセ。
「チンポジ哲学ですね」
「かなり近い」
博士はうなずいた。
「人には、それぞれ自分の収まりがある」
「はい」
「自分にとって自然な見方がある」
「はい」
「それは本人には当たり前に見える」
「はい」
「だが、他人にも同じように見えているとは限らない」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分には自然。
他人には不自然。
「これがバイアスですか」
「かなりバイアスだ」
「でも、自分では気づきにくいですね」
「そうだ」
「なぜですか」
「自分の見え方で、自分の見え方を見ているからだ」
「ややこしいですね」
「哲学だからな」
博士は紙ナプキンに丸を描いた。
「たとえば、君が世界を見ている」
「はい」
「その時、君は裸の世界を見ているわけではない」
「カントですね」
「そうだ。認識には形式がある。人間は、世界そのものをそのまま見ているのではなく、自分の認識を通して見ている」
「物自体」
「少しかすめる」
博士は続けた。
「だから、自分が見たものを、そのまま世界だと思うと危ない」
「見え方を世界そのものだと思うな」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
見えたもの。
見方。
見えなかったもの。
「この三つを分けろ」
「見えなかったもの、も必要なんですね」
「必要だ」
「見えないものは分からないのでは?」
「分からない。だからこそ、あるかもしれないと残しておく」
博士は少しだけ真面目な顔になった。
「バイアスの怖さは、自分の間違いに気づけないことではない」
「違うんですか」
「違う」
「では?」
「自分の見え方を正義だと思うことだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
私にはこう見えた。
だから、世界はこうである。
だから、あなたは間違っている。
「強いですね」
「強くてよい」
「でも、見えたものは本物ですよね」
「本人には本物だ」
「では?」
「本物だからといって、全部ではない」
博士は言った。
「チンポジも同じだ」
「来ましたね」
「本人には確かにある」
「はい」
「だが、本人の収まりが世界の標準ではない」
「はい」
「自分のベスポジを、他人の正解にするな」
博士は紙ナプキンに書いた。
自分のベスポジを、世界の基準にするな。
「これ、バイアスなんですね」
「そうだ」
「自分にとっての普通が、他人にも普通だと思う」
「そうだ」
「自分にとっての不快が、客観的な悪だと思う」
「そうだ」
「自分にとっての正義が、全員の正義だと思う」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「ここでウィトゲンシュタインを借りよう」
「言葉の使われ方ですね」
「そうだ。同じ言葉でも、どの共同体で、どの場面で、どう使われているかで意味が変わる」
「普通、常識、配慮、差別、尊重」
「全部そうだ」
「自分の言語ゲームを、全員に押し付けるな」
「かなり近い」
博士は紙ナプキンに書いた。
言葉にもバイアスがある。
「ニーチェは?」
「その正しさは誰の正しさか、と疑う」
「出ましたね」
「出る」
「自分の価値観を、普遍的な価値観に見せていないか」
「そうだ」
「アリストテレスは?」
「人は関係の中で生きる。だから、見え方も関係の中で形になる」
「生まれ育ち、仕事、立場、共同体」
「そうだ」
博士は今日の答えをまとめた。
バイアスとは、見え方のクセである。
悪とは限らない。
見え方のクセがあるから見えるものもあり、見えなくなるものもある。
自分には自然でも、他人には不自然なことがある。
見えたもの、見方、見えなかったものを分けろ。
自分のベスポジを、世界の基準にするな。
言葉にも、価値観にも、正義にもバイアスはある。
「博士」
「何かね」
「バイアスはなくせますか」
「なくせない」
「断言しましたね」
「人間である限り、見え方のクセは残る」
「では、どうするんですか」
「持っていることを知る」
「知るだけですか」
「かなり大事だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
バイアスを消すな。
バイアスを自覚しろ。
「消すな、なんですね」
「消せると思う方が危ない」
「中立になったつもり」
「そうだ」
「客観的に見ているつもり」
「そうだ」
「正しく見えているつもり」
「そうだ」
博士は少し笑った。
「一番危ないバイアスは、自分にはバイアスがないと思うことだ」
「かなり刺さりますね」
「刺してよい」
「チンポジで言うなら?」
博士は少しだけ考えた。
「自分のチンポジが自然すぎて、他人も同じだと思うことだ」
「最悪に分かりやすいですね」
「だろう」
「でも、他人は違う」
「そうだ」
「だから不問」
「そうだ」
「ただし、外に出た行動は見る」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
内心のバイアスは不問。
外に出たバイアスは扱う。
「どういうことですか」
「思うだけなら不問だ」
「はい」
「だが、それを根拠に人を不当に扱うなら外部行動だ」
「採用、契約、教育、評価」
「そうだ」
「嫌うことは不問」
「はい」
「嫌がらせは扱う」
「はい」
「違和感を持つことは不問」
「はい」
「その違和感で排除するなら扱う」
「なるほど」
博士はうなずいた。
「バイアスは、内心にある限り完全には裁けない」
「はい」
「だが、外に出た時は扱える」
「チンポジ哲学ですね」
「かなりチンポジ哲学だ」
博士は最後に紙ナプキンをこちらへ向けた。
バイアスとは、世界の歪みではない。
まず、自分の見え方の歪みである。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その評価にもバイアスがある」
「ありますね」
「では訂正するかね」
「しません」
「なぜ」
「名前が強すぎます」
博士は笑った。




