感情とは。
感情とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
内側で起きる天気。
「天気ですか」
「そうだ」
「詩的ですね」
「たまにはな」
博士はコーヒーを飲んだ。
「怒り、悲しみ、喜び、不安、恐怖、嫌悪」
「はい」
「それらは、自分の内側で起きる」
「はい」
「起きてしまう」
「はい」
「だから、まず否定しても仕方がない」
博士は紙ナプキンに書いた。
感情は起きる。
行動は選ぶ。
「チンポジ哲学ですね」
「かなり近い」
博士はうなずいた。
「本人の感情は、本人にしか直接は分からない」
「はい」
「他人には観測できない」
「はい」
「だから、勝手に決めてはいけない」
「はい」
「だが、感情を理由に外へ出した行動は扱える」
博士は紙ナプキンに書いた。
怒った。
だから殴った。
「これは?」
「外部行動です」
「そうだ」
「悲しかった」
「内心」
「だから相手を責め続けた」
「外部行動」
「怖かった」
「内心」
「だから排除した」
「外部行動」
博士はうなずいた。
「感情は不問にできる」
「はい」
「だが、感情による行動は不問にできない」
「強いですね」
「強くてよい」
博士は紙ナプキンに書いた。
感情を裁くな。
行動を見ろ。
「でも、感情って大事ですよね」
「大事だ」
博士は即答した。
「感情がなければ、人間は壊れる」
「壊れる」
「危険を怖がる。失ったものを悲しむ。不正に怒る。大切なものを喜ぶ。感情は人間のセンサーでもある」
「センサー」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
感情=内側の警報。
「警報なら信じていいんですか」
「警報は確認するものだ」
「信じるものではなく?」
「鳴ったら確認する」
博士は静かに言った。
「火災報知器が鳴った」
「はい」
「必ず火事とは限らない」
「誤作動もありますね」
「だが、無視してよいわけでもない」
「確認する」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
感情は証拠ではない。
だが、確認すべき信号である。
「かなりいいですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その感情は不問にしよう」
博士は続けた。
「ここでミルを借りよう」
「不快と危害ですね」
「そうだ。不快は感情だ」
「はい」
「危害は外部の問題だ」
「はい」
「嫌だった」
「不快」
「だから禁止しろ」
「飛躍」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
嫌だった。
だから悪い。
だから禁止。
「この三段跳びが危ない」
「ありますね」
「かなりある」
「でも、本当にひどいことをされた場合は?」
「その場合は行動を見る」
「何をされたか」
「そうだ。言葉、暴力、契約違反、嫌がらせ、排除、損害。外に出たものを見る」
「感情ではなく?」
「感情を無視するのではない。感情を入口にして、外部行動を確認する」
博士は紙ナプキンに書いた。
感情は入口。
判定は行動。
「カントは?」
「他人の感情を勝手に決めるな」
「はい」
「そして、自分の感情を根拠に、他人を手段として扱うな」
「どういうことですか」
「私が安心したいから、あなたは黙れ」
「はい」
「私が傷ついたから、あなたは私の望む形に変われ」
「はい」
「私が怖いから、あなたを排除する」
「はい」
「これらは危ない」
博士は紙ナプキンに書いた。
私の感情で、
あなたを支配するな。
「強いですね」
「感情は強いからな」
「ニーチェは?」
「その怒りは、正義なのか。怨恨なのか、と疑う」
「刺しますね」
「必要だ」
「ウィトゲンシュタインは?」
「感情の言葉がどう使われているかを見る」
「傷ついた、怖い、嫌だ、つらい」
「そうだ。それらは本人の申告として尊重する。しかし、同じ言葉でも要求の形は違う」
博士は紙ナプキンに書いた。
つらい。
だから聞いてほしい。
つらい。
だから助けてほしい。
つらい。
だから相手を罰してほしい。
「全部違う」
「違いますね」
「感情の言葉だけで止まるな。そこから何を求めているのかを見る」
「実務ですね」
「感情も、外に出たら実務になる」
博士は今日の答えをまとめた。
感情とは、内側で起きる天気である。
感情は起きる。行動は選ぶ。
感情を裁くな。行動を見ろ。
感情は証拠ではない。だが、確認すべき信号である。
不快と危害を混同するな。
感情は入口であり、判定は外部行動で行う。
自分の感情を根拠に、他人を支配するな。
感情の言葉だけで止まらず、そこから何を求めているのかを見ろ。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少しだけ考えた。
「チンポジが悪いと、不快になる」
「はい」
「それは本人には本物だ」
「はい」
「だが、その不快は他人には直接わからない」
「はい」
「だから、まず申告する」
「はい」
「必要なら自分で直す」
「はい」
「他人に踏まれたなら止める」
「はい」
「だが、自分の不快を理由に、世界中の下着を禁止するな」
「極端ですね」
「極端だが、構造は同じだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
私が不快である。
だから世界が間違っている。
「これは?」
「飛躍です」
「そうだ」
「でも、私が不快である、は本物」
「そうだ」
「だから不問」
「そうだ」
「世界が間違っている、は検証が必要」
「そうだ」
博士は満足そうにうなずいた。
「感情とは、自分の内側に起きる本物である」
「はい」
「だが、世界の判決ではない」
「かなり大事ですね」
「大事だ」
博士は紙ナプキンに最後の一文を書いた。
感情とは、自分の内側に起きる本物でありながら、世界そのものの証明にはならないものである。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「その感情は尊重する」
「ありがとうございます」
「だが、名前は変えない」
「行動が伴いませんね」
博士は笑った。




