ヘーゲルとは
ヘーゲルとは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンを取った。
いつものように、短く何かを書く。
そう思った。
だが、博士の手は止まった。
「博士?」
「困った」
「珍しいですね」
「珍しい」
「ヘーゲルですよ」
「だから困っている」
博士は腕を組んだ。
「チンポジ哲学で説明しにくい」
「そんなことあるんですか」
「ある」
「敵ですか」
博士は即答した。
「チンポジ哲学としては、敵だ」
「言い切りましたね」
「言い切る」
私は少し驚いた。
博士は普段、あまり敵を作らない。
カントも褒める。
ミルも褒める。
ニーチェも褒める。
だいたい誰が来ても、
なるほど。
それもわかる。
で終わる。
だが今回は違った。
「敵なんですね」
「敵だ」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
「では、ダメな哲学なんですか」
「違う」
博士は即答した。
「ヘーゲルは偉大な哲学者だ」
「敵なのに」
「敵だ」
「どっちなんですか」
「両方だ」
博士はコーヒーを一口飲んだ。
「まずは普通に説明しよう」
「お願いします」
博士は紙ナプキンに書いた。
対立。
矛盾。
発展。
「ヘーゲルは、対立や矛盾を通じて、より高い理解へ進む哲学者だ」
「哲学っぽいですね」
「普通に哲学だ」
「雑に言うと?」
「ぶつかれ」
「雑ですね」
「かなり雑だ」
博士は続けた。
「ある考えがある」
「はい」
「それに反対する考えが出る」
「はい」
「その衝突を通じて、より高い理解が生まれる」
「なるほど」
「歴史もそう見る」
「歴史も」
「社会も」
「社会も」
「人間の知も」
「全部ですか」
「かなり全部だ」
博士は少しだけ感心したように言った。
「非常に強い哲学だ」
「認めるんですね」
「認める」
「敵なのに」
「敵だからだ」
私は少し笑った。
博士は本当に誠実だった。
敵だから雑に扱うことはしない。
むしろ敵だからこそ、ちゃんと説明する。
「では、チンポジ哲学で説明すると?」
博士は沈黙した。
長かった。
かなり長かった。
「博士?」
「待ちたまえ」
「苦しそうですね」
「苦しい」
「そんなにですか」
「そんなにだ」
博士は紙ナプキンを見つめた。
「つまりヘーゲルは……」
「はい」
「チンポジを……」
「嫌な予感がします」
「ぶつけて……」
「やめましょう」
「高めて……」
「無理ありませんか」
博士は黙った。
私はさらに言った。
「そもそも」
「うむ」
「チンポジを競わせるとは?」
博士は止まった。
「そうなのだ」
「そこなんですね」
「そこだ」
「競わせるんですか」
「嫌だ」
「私もです」
「高めるのか」
「もっと嫌です」
博士は深くため息をついた。
「無理があるな」
「あると思います」
「かなりある」
「かなりあります」
博士は紙ナプキンを裏返した。
何も書かなかった。
「博士?」
「今回はやめよう」
「やめるんですか」
「やめる」
「チンポジ哲学で説明しない」
「しない」
「珍しいですね」
「珍しい」
博士は静かに言った。
「私は哲学者として、哲学に誠実でありたい」
私は少し黙った。
博士も黙った。
「チンポジ博士なのに」
「チンポジ博士だからだ」
「関係あります?」
「大いにある」
博士はコーヒーを飲んだ。
「哲学者は、自分の理論で何でも説明できると思い始めたら危ない」
「万能論ですね」
「そうだ」
「ヘーゲルをチンポジに変換できない」
「できない」
「だからやらない」
「そうだ」
「珍しく潔いですね」
「撤退も哲学だ」
私は少し笑った。
博士は本気だった。
勝とうとしていない。
自分の理論を広げようともしていない。
ただ、無理なものは無理だと言っている。
「では結論ですか」
「そうだ」
「ヘーゲルとは」
博士は少し考えた。
「偉大な哲学者だ」
「はい」
「歴史を動かした」
「はい」
「今も多くの思想の中に生きている」
「はい」
「そして」
博士は少しだけ困った顔をした。
「チンポジ哲学の敵だ」
「言い切りますね」
「言い切る」
「なぜですか」
博士は即答した。
「向いている方向が違う」
「音楽性の違いみたいに言わないでください」
「だが本当にそうなのだ」
「そんなことあります?」
「ある」
「どこがですか」
博士は紙ナプキンに最後の一文を書いた。
分かり合えないと分かり合う哲学。
競わせて高める哲学。
「ヘーゲルは後者だ」
「はい」
「チンポジ哲学は前者だ」
「はい」
「だから相性が悪い」
「なるほど」
博士は静かにうなずいた。
「チンポジを競わせるとは?」
「嫌ですね」
「チンポジを高めるとは?」
「もっと嫌です」
「私もだ」
「では」
「ここで止めさせてくれ」
私はコーヒーを飲んだ。
たぶん初めてだった。
博士が、自分から撤退したのは。
でも、不思議と負けた感じはしなかった。
むしろ少しだけ、哲学者らしく見えた。




