弱者とは。
弱者とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
ある場面で、不利な位置に置かれている人。
「弱い人、ではないんですか」
「違う」
博士は即答した。
「弱者とは、その人の本質ではない。状態だ」
「状態」
「そうだ。何に対して弱いのか。どの場面で不利なのか。誰との関係で弱いのか。それを見なければならない」
博士は紙ナプキンに書いた。
弱者=属性ではない。
弱者=場面と関係で生じる状態。
「チンポジ哲学ですね」
「かなり近い」
博士はうなずいた。
「本人の内側は、他人には直接見えない」
「はい」
「困っているかどうかも、外から勝手に決めてはいけない」
「はい」
「だから、属性で弱者認定するな」
博士は紙ナプキンに書いた。
女性だから弱者。
高齢者だから弱者。
障害者だから弱者。
LGBTだから弱者。
子どもだから弱者。
「これ、全部ダメなんですか」
「入口にはなる」
「入口」
「そうだ。困りごとが発生しやすい属性はある。保護が必要になりやすい場面もある。そこは否定しない」
「では?」
「だが、属性そのものは弱者証明ではない」
博士は続けた。
「ある属性の中に、弱い立場に置かれた人がいる」
「はい」
「これは観測だ」
「はい」
「その属性だから弱者である」
「これは?」
「すり替えだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
属性は観測の入口。
弱者認定の証明ではない。
「条件のすり替えですね」
「そうだ」
「弱者扱いは、優しさでは?」
「優しさに見える」
「見える?」
「弱者認定は、相手を下に置くことでもある」
博士は紙ナプキンに書いた。
助ける前に、下に置くな。
「強いですね」
「強くてよい」
「では、困っている人を助けるなと?」
「違う」
博士は即答した。
「困っているなら助ければいい」
「では何が違うんですか」
「属性で決めるな。本人の言葉と、外に出ている状況を見ろ」
博士は紙ナプキンに書いた。
何に困っているのか。
誰との関係で不利なのか。
どの制度で詰まっているのか。
何を変えれば軽くなるのか。
誰が何を負担するのか。
どこまで行けば終わるのか。
「かなり実務ですね」
「弱者支援は実務だ」
「感情ではなく?」
「感情は入口になる。だが、感情だけでは足りない」
博士は続けた。
「ここでカントを借りよう」
「人を手段としてのみ扱うな」
「そうだ。弱者を、自分の善意や正義の材料にするな」
「ウィトゲンシュタインは?」
「弱者という言葉が、どの場面でどう使われているのか見ろと言う」
「ニーチェは?」
「その弱者認定は、本当に相手のためか。自分が善の側に立つためではないのか、と笑う」
「刺しますね」
「刺す必要がある」
博士は紙ナプキンに書いた。
弱者という言葉は、助ける道具にもなる。
支配する道具にもなる。
「支配ですか」
「そうだ」
「なぜですか」
「弱者と呼ばれた人は、強くある自由を失うことがある」
「強くある自由」
「そうだ。私は困っていない、と言う自由。私はその運動を支持しない、と言う自由。私は私のやり方で生きる、と言う自由」
「同じ属性の反対者ですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
弱者認定で、本人の署名欄を埋めるな。
「契約論ですね」
「そうだ。弱者として扱うなら、支援する側とされる側の関係が生まれる」
「契約が発生する」
「そうだ。本人が望んでいるのか。どこまで助けるのか。いつ終わるのか。誰が責任を持つのか」
「弱者認定って重いですね」
「重い」
博士は少しだけ間を置いた。
「本当に助けたいなら、まず対等に置け」
「対等」
「そうだ。弱者として見る前に、一人の人間として見る」
「でも、子どもは?」
「子どもは保護が必要な場面がある」
「はい」
「だが、子どもだから何も分からない、と決めれば別の支配になる」
「高齢者は?」
「支援が必要な場面がある」
「はい」
「だが、高齢者だから常に弱者と決めれば、その人の力を奪う」
「障害者は?」
「合理的な調整が必要な場面がある」
「はい」
「だが、その人が何を望むかを聞かずに、こちらで弱さを設計するな」
「全部、場面なんですね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
まず対等。
必要なら支援。
勝手に弱者にするな。
「これが弱者論ですか」
「かなり近い」
「優しくないと言われませんか」
「言われるかもしれない」
「では?」
「弱者扱いしないことも、敬意である」
博士は今日の答えをまとめた。
弱者とは、ある場面で、不利な位置に置かれている人である。
弱者は本質ではなく、状態である。
属性は観測の入口であって、弱者認定の証明ではない。
弱者認定は、相手を助ける道具にもなるが、相手を下に置く道具にもなる。
助ける前に、下に置くな。
本人の言葉、外部状況、実害、制度、負担、終了条件を見ろ。
弱者という言葉で、本人の署名欄を勝手に埋めるな。
まず対等。必要なら支援。勝手に弱者にするな。
「博士」
「何かね」
「チンポジで言うなら?」
博士は少しだけ考えた。
「この属性ならこのベスポジのはずだ、と決めるな」
「はい」
「この人は弱いはずだ、と決めるな」
「はい」
「この人は助けられたいはずだ、と決めるな」
「はい」
「まず、不問にしろ」
「不問」
「そうだ。対等な大人として扱う」
「でも、困っていたら?」
「聞け」
「聞くんですね」
「聞く。だが、決めつけない」
「助けを求められたら?」
「助ければいい」
「ただし?」
「相手の主権を奪わずに」
博士は最後に一文を書いた。
弱者とは、属性に貼る名札ではない。
ある場面で生じた不利を、具体的に軽くするための仮の呼び名である。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前で弱者認定するな」
「そこは不利です」
博士は笑った。




