不問とは。
不問とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
聞かないという礼儀。
「不問とは、聞かないという礼儀である」
「冷たくないですか」
「冷たくない」
博士は即答した。
「不問は、無視ではない」
「違うんですか」
「違う。無視は、相手を見ないことだ。不問は、相手を一人の大人として見ることだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
無視=見ない。
不問=踏み込まない。
「なるほど」
「人には、本人にしか分からない領域がある」
「はい」
「信仰、幸福、痛み、不快感、価値観、身体感覚」
「チンポジですね」
「そうだ」
博士はうなずいた。
「本人には切実でも、他人には直接観測できない」
「はい」
「だから、勝手に聞かない。勝手に決めない。勝手に治さない」
博士は紙ナプキンに書いた。
聞かない。
決めない。
治さない。
「不問って、かなり積極的なんですね」
「そうだ。不問は何もしないことではない」
「では?」
「踏み込まないという行動だ」
博士は言った。
「普通、優しさは関わることだと思われやすい」
「困っている人に声をかける、とか」
「そうだ。もちろん、それで助かることもある」
「ありますね」
「だが、すべての内側に入ればよいわけではない」
博士は紙ナプキンに書いた。
関わる善。
関わらない善。
「関わらない善」
「そうだ」
「不問はそっちですか」
「そっちだ」
博士は続けた。
「たとえば、誰かのベスポジがある」
「はい」
「それは本人の100点だ」
「はい」
「他人には分からない」
「はい」
「そこで『どうしてその位置なの』『本当は苦しいんじゃないの』『もっとこうした方がいいよ』と聞く」
「よくありそうです」
「それはもう、不問ではない」
「踏み込んでますね」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
理解したい。
寄り添いたい。
助けたい。
だから聞きたい。
「これ、全部やさしそうですね」
「やさしそうだ」
「でも?」
「許可なく入るなら侵入だ」
語り手は少し黙った。
「不問は、相手を孤独にしませんか」
「することもある」
「認めるんですね」
「認める。比喩にも適用範囲がある。不問は万能ではない」
博士は紙ナプキンに書いた。
危険がある。
実害がある。
助けを求められた。
契約や責任がある。
「この場合は?」
「不問だけでは足りない」
「踏み込む?」
「踏み込むというより、外部行動として扱う」
「内心ではなく?」
「そうだ。内心は裁かない。行動を見る」
博士は続けた。
「ここでカントを借りる」
「物自体ですか」
「そうだ。他人の内心そのものには直接届かない。だから、届いたふりをするな」
「ウィトゲンシュタインは?」
「言葉の使われ方を見る。『大丈夫』と言ったから本当に大丈夫とは限らない。だが、勝手に『本当は苦しい』と決めてもいけない」
「難しいですね」
「だから不問には技術がいる」
「ニーチェは?」
「その優しさは、本当に相手のためか。それとも、優しい自分を確認するためか、と疑う」
「刺しますね」
「必要な時は刺す」
博士は紙ナプキンに書いた。
不問とは、相手の内心を所有しないこと。
「所有」
「そうだ。理解した、分かった、代弁できる、救える。そう言った瞬間、相手の内心を自分のものにしやすい」
「不問は、それを止める」
「そうだ」
博士は今日の答えをまとめた。
不問とは、聞かないという礼儀である。
無視ではない。相手を一人の大人として見ることである。
不問とは、何もしないことではなく、踏み込まないという行動である。
聞かない。決めない。治さない。
関わる善もあれば、関わらない善もある。
他人の内心そのものには直接届かない。だから、届いたふりをするな。
危険、実害、助けの要請、契約、責任がある場合は、内心ではなく外部行動として扱う。
不問とは、相手の内心を所有しないことである。
「博士」
「何かね」
「不問って、思ったより優しいですね」
「優しいというより、大人だ」
「大人」
「そうだ。対等な相手には、勝手に踏み込まない」
「でも、困っていたら?」
「聞けばいい」
「聞くんですか」
「聞く。ただし、決めつけない」
博士は紙ナプキンに書いた。
必要なら聞く。
望まれたら助ける。
勝手には入らない。
「これが不問ですか」
「そうだ」
「ほっとけ、とは違うんですね」
「ほっとけ、は不問の乱暴な言い方だ」
「ぶん殴るぞ、は?」
「不問を破られた時の外交辞令だ」
「外交辞令」
「そうだ。戦争を避けるための最後通告である」
博士は最後に一文を書いた。
不問とは、冷たさではない。
相手を対等な大人として扱うために、勝手に心へ入らないという礼儀である。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前は不問にしたまえ」
「そこは問いたいです」
博士は笑った。




