契約論とは。
契約論とは何か。
その問いを出すと、博士は紙ナプキンに短く書いた。
誰が、何に同意したのかを見る考え方。
「契約論とは、社会は契約によって成り立つ、という話ですか」
「それもある。だが、もっと小さく使える」
「小さく?」
「そうだ。まず見るべきはこれだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
誰が署名したのか。
何に署名したのか。
降りる自由はあるのか。
「かなり実務ですね」
「契約は実務だからな」
博士は続けた。
「平等を見る時にも使える」
「平等に?」
「AとBの契約書を作る」
博士は紙ナプキンに書いた。
AはBに対して、何かをする。
BはAに対して、何かをする。
「そして、AとBのカードを伏せる」
「どちらになるか分からない」
「そうだ。その状態で署名できるなら、その契約はかなり平等に近い」
「署名できないなら?」
「片側に都合がいい」
博士は紙ナプキンに書いた。
平等とは、カードを引く前に署名できる契約である。
「ロールズですね」
「少しかすめる。無知のヴェールを、契約書一枚とカード二枚まで小さくしたものだ」
「分かりやすいですね」
「使いやすい」
博士はコーヒーを一口飲んだ。
「ただし、現実には不平等な契約もある」
「ダメなんですか」
「ダメとは限らない」
「売り手と買い手とか」
「そうだ。医師と患者、教師と生徒、雇用者と労働者。役割が違えば、契約内容も違う」
「では?」
「差があることを明示し、双方が合意する必要がある」
博士は紙ナプキンに書いた。
平等な契約は、カードを引く前に署名できる。
不平等な契約は、カードを見た上で双方が納得して署名する。
「これ、強いですね」
「強い」
「では、属性で役割を決めるのは?」
「危ない」
博士は即答した。
「なぜですか」
「本人の署名欄を、属性で勝手に埋めるからだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
属性で他人の署名欄を埋めるな。
「アイデンティティポリティクスですね」
「そうだ」
「この属性は語る側。この属性は聞く側」
「はい」
「この属性は配慮される側。この属性は配慮する側」
「はい」
「この属性は被害者側。この属性は加害性を問われる側」
「はい」
「それを本人の同意なしに決める」
「署名欄を勝手に埋めている」
「そうだ」
博士は少しだけ目を細めた。
「さらに、同じ属性の反対者も縛る」
「A属性ならこの主張に賛成するはず」
「そうだ」
「A属性ならこう傷つくはず」
「そうだ」
「A属性ならこの運動を支持するはず」
「そうだ」
「反対する自由が消える」
「それは契約ではない。属性による役割固定だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
代表するな。
委任状を見せろ。
「強い」
「契約の話だからな」
博士は今日の答えをまとめた。
契約論とは、誰が、何に同意したのかを見る考え方である。
平等とは、カードを引く前に署名できる契約である。
不平等な契約は、差があることを明示し、双方の合意によって成立する。
降りる自由がない契約は怪しい。
属性で他人の署名欄を埋めるな。
代表するなら委任状を見せろ。
本人の同意なしに役割を固定するな。
「博士」
「何かね」
「チンポジ哲学で言うなら?」
博士は少し考えた。
「自分のベスポジは自分のものだ」
「はい」
「他人のベスポジは他人のものだ」
「はい」
「だから、他人の収まりを勝手に契約書へ書き込むな」
「なるほど」
「私はこう感じる、まではよい」
「はい」
「だが、だからあなたはこう扱え、というなら契約になる」
「はい」
「契約なら、相手の署名が必要だ」
博士は最後に一文を書いた。
契約論とは、他人の自由を使う前に、署名欄を見るための作法である。
「綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前については、読者と契約済みだ」
「署名した覚えがありません」
「黙示の同意だ」
「一番怪しいやつです」
博士は笑った。




