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哲学と私 あるいは、チンポジ博士の講義  作者: チンポジ博士


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間話:押し付けるな、を押し付けるな

 博士は、その日、少し機嫌が悪そうだった。


 理由はわからない。


 ただ、紙ナプキンを取る速度がいつもより速かった。


「哲学者には二種類いる」


「急ですね」


「急でよい」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 押し付ける哲学者

 押し付けるなと言う哲学者


「ひどい分類ですね」


「だいたい合っている」


「本当ですか」


「もちろん雑だ」


「雑なんですか」


「雑だ。だが、入口としては使える」


 博士はペン先で紙ナプキンを叩いた。


「押し付ける哲学者は言う」


 世界はこうである。

 人間はこう生きるべきである。

 正義とはこれである。

 真理とはこれである。

 幸福とはこれである。


「かなり強いですね」


「強い。体系を作る者はだいたい強い」


「世界を説明したくなる」


「そうだ。人間は、世界に形を与えたがる」


「では、押し付けるなと言う哲学者は?」


 博士は紙ナプキンの反対側に書いた。


 本当にそう言えるのか。

 他人の内側を決めるな。

 言葉の使い方を見ろ。

 認識には限界がある。

 その正義は誰の正義だ。


「こっちはチンポジ哲学っぽいですね」


「近い」


「博士はこっちですか」


「私は、押し付けるなと言う側に近い」


「やっぱり」


「だが、ここで問題が起きる」


「問題?」


 博士は紙ナプキンに、少し大きく書いた。


 押し付けるな、を押し付ける。


「あ」


「そうだ」


「押し付けるなと言った瞬間、それも押し付けになる」


「なり得る」


「チンポジ哲学も危ないですね」


「危ない」


 博士は即答した。


「他人のベスポジを押し付けるな」


「はい」


「これはチンポジ哲学の基本だ」


「はい」


「だが、それを他人に押し付けた瞬間、チンポジ哲学から外れる」


「いきなり難しい」


「難しくない」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 チンポジ哲学を履かせるな。


「最悪の一文ですね」


「かなり重要だ」


「重要なのが腹立ちますね」


「哲学とはそういうものだ」


 博士はコーヒーを一口飲んだ。


「哲学者同士が争うと、だいたいこうなる」


「どうなるんですか」


「私の真理を履け」


「はい」


「いや、真理を履かせるな」


「はい」


「その“履かせるな”を履かせるな」


「地獄ですね」


「地獄だ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 私の真理を履け。

 真理を履かせるな。

 その「履かせるな」を履かせるな。


「これはもう哲学漫才ですね」


「哲学はだいたい漫才だ」


「怒られますよ」


「界隈でなんとかしなさい」


「便利に使いすぎです」


 博士は少し笑った。


 だが、すぐに真面目な顔に戻った。


「大事なのは、自分の手を見ることだ」


「自分の手」


「そうだ。自分はいま、何かを押し付けていないか」


「はい」


「押し付けるな、という言葉で相手を縛っていないか」


「はい」


「相手の内側を守るふりをして、自分の理屈を履かせていないか」


「はい」


「そこを見る」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 押し付けるな、も押し付けるな。

 まず自分の手を見ろ。


「これが今日の答えですか」


「そうだ」


「でも、それも押し付けでは?」


「その通り」


「え」


「だから、ここで止まる」


「止まる」


「そうだ。哲学は、最後に少し止まる必要がある」


「結論を出さない?」


「違う。結論を持ったまま、振り回さない」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 結論を持つな、ではない。

 結論を振り回すな。


「これはいいですね」


「よい」


「チンポジ哲学も、結論を持っている」


「持っている」


「でも振り回すな」


「そうだ」


「布教するな」


「そうだ」


「使える人が使えばいい」


「そうだ」


「他人に履かせるな」


「そうだ」


 博士はうなずいた。


「押し付ける哲学が全部悪いわけではない」


「そうなんですか」


「そうだ。人間は、何かの型がなければ生きづらい」


「はい」


「正義、倫理、幸福、常識、真理。そういう言葉は、行動の型になる」


「はい」


「だが、型は便利だからこそ、他人に履かせたくなる」


「はい」


「そこが危ない」


「押し付けるな哲学は?」


「ブレーキになる」


「はい」


「だが、ブレーキだけでは進まない」


「なるほど」


「そして、ブレーキを他人に投げつける者もいる」


「最悪ですね」


「かなり多い」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 型は必要。

 だが、型を履かせるな。

 ブレーキは必要。

 だが、ブレーキで殴るな。


「これ、かなりいいです」


「使える」


「社会問題にも使えますね」


「非常に使える」


「正義を押し付ける」


「ある」


「配慮を押し付ける」


「ある」


「多様性を押し付ける」


「ある」


「理解を押し付ける」


「ある」


「押し付けるなを押し付ける」


「ある」


「全部ありますね」


「ある」


 博士は、今日のまとめを書いた。


 哲学者には、押し付ける者と、押し付けるなと言う者がいる。

 だが、押し付けるなと言う者も、それを押し付けた瞬間に壊れる。

 チンポジ哲学を履かせるな。

 押し付けるな、も押し付けるな。

 まず自分の手を見ろ。

 結論を持つな、ではない。結論を振り回すな。

 型は必要。だが、型を履かせるな。

 ブレーキは必要。だが、ブレーキで殴るな。


「博士」


「何かね」


「今日、かなり哲学っぽいですね」


「いつも哲学だ」


「名前が邪魔してます」


「名前は不問だ」


「便利ですね」


「便利な概念は、押し付けたくなる」


「今、自分で言いましたよ」


「だから、私は紙ナプキンを畳む」


 博士はそう言って、紙ナプキンを小さく折った。


「今日はここまでだ」


「なぜですか」


「これ以上続けると、押し付けるなを押し付ける」


「なるほど」


「哲学者には、引き際がいる」


「博士にもあるんですね」


「ある」


「意外です」


「失礼だな」


 博士は少し笑った。


 その日、博士は最後に一言だけ言った。


「チンポジ哲学は、履かせるものではない」


「では、何ですか」


「自分の位置を確認するためのものだ」


 それだけ言って、博士は店を出た。


 私は、少しだけ紙ナプキンを見た。


 そこには、まだ一文が残っていた。


 押し付けるな、も押し付けるな。


 その言葉は、こちらを見ていた。


 たぶん、哲学とはそういうものなのだと思う。


 誰かを黙らせるためではなく。


 自分の手を、少しだけ止めるためにある。

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