深淵とは。
深淵とは何か。
その問いを出すと、博士は少しだけ目を細めた。
「深淵か」
「重そうですね」
「重い。だが、チンポジ哲学には向いている」
「向いているんですか」
「向いている。深淵とは、覗いた者のベスポジを狂わせるものだ」
「最悪のニーチェですね」
「だが、わかるだろう」
博士は紙ナプキンを一枚取った。
そして、短く書いた。
深淵=覗いた者のベスポジを狂わせるもの
「深淵とは、見てはいけないものではない」
「違うんですか」
「違う。見なければならない時もある」
「はい」
「相手の主張。相手の怒り。相手の悲しみ。相手の被害感。相手の正義。相手の論理」
「わかろうとすることは大事ですね」
「そうだ」
博士はペン先で紙ナプキンを叩いた。
「だが、覗き込みすぎると危ない」
「どう危ないんですか」
「相手の前提が、自分の中に入りすぎる」
「前提」
「そうだ。相手の気持ちになって考えすぎると、相手の怒りと自分の怒りが混ざる。相手の正義と自分の正義が混ざる。相手の論理と自分の論理が混ざる」
「自分の主張がわからなくなる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
相手を理解すること。
相手に同化すること。
この二つを混ぜるな。
「これが今日の中心だ」
「かなり重要ですね」
「理解は必要だ。だが、同化は危ない」
「相手の靴を履いてみるのはいい」
「そうだ」
「でも、履いたまま帰ってくるな」
「その通り」
「チンポジで言うなら」
博士は静かに言った。
「相手のベスポジを想像するのはよい。だが、自分のベスポジを脱ぎ捨てるな」
「綺麗なのに最悪ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前も深淵だ」
「今日は少しわかります」
博士は少しだけ満足そうだった。
「ここでニーチェを借りよう」
「深淵なら、やっぱりニーチェですね」
「ニーチェは、深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている、と言った」
「有名なやつですね」
「これは、単に怖いものを見るなという話ではない」
「違うんですか」
「違う。怪物と戦う者は、自分も怪物にならないように気をつけろ、という文脈でもある」
「悪を見続けると、自分も悪に似てくる」
「そうだ」
「相手を理解しようとして、相手の構造に飲まれる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに、もう一つ書いた。
深淵は、対象ではなく、関係である。
「関係」
「そうだ。深淵は、ただそこにある穴ではない。こちらが覗く。すると、こちらも変わる。その関係が深淵だ」
「見た側も変わる」
「そうだ」
「見た後に、元の位置に戻れない」
「そうだ」
「それが深淵」
「その通り」
博士はコーヒーを一口飲んだ。
「チンポジ哲学には、ここで安全装置がある」
「安全装置」
「相手のチンポジはわからない、という前提だ」
「強いですね」
「強い」
博士は紙ナプキンに大きく書いた。
相手のベスポジは、わからない。
「これが安全装置だ」
「なぜ安全なんですか」
「相手を理解しようとしても、最後に止まれるからだ」
「完全にはわからない」
「そうだ。相手はこう感じているのかもしれない。相手の論理ではこう見えているのかもしれない。相手の怒りには理由があるのかもしれない」
「はい」
「だが、相手の内側を完全にわかったとは言えない」
「はい」
「だから、断定しない」
「はい」
「そして、自分の内側も捨てない」
「なるほど」
博士は続けた。
「深淵に飲まれる者は、わかった気になりすぎる」
「わかった気」
「そうだ。相手の苦しみがわかった。相手の怒りがわかった。相手の正義がわかった。相手の世界がわかった」
「それはよさそうにも見えます」
「よさそうに見える。だが、危ない」
「なぜですか」
「わかったと思った瞬間に、相手の内側を自分の中で確定してしまうからだ」
「相手の内側を決めてしまう」
「そうだ」
「チンポジ哲学ではアウトですね」
「アウトだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
想像する。
しかし、断定しない。
近づく。
しかし、混ざらない。
理解する。
しかし、同化しない。
「これが深淵への姿勢だ」
「かなり使えますね」
「使える」
「相手の立場に立つ、という言葉がありますけど」
「ある」
「あれも危ないんですか」
「危なくなり得る」
「なり得る」
「相手の立場に立つことは大事だ。だが、相手の立場に立ったまま、自分の立場を捨てると危ない」
「相手の視点を理解する」
「そうだ」
「でも、自分の視点も保持する」
「そうだ」
「視点を切り替えるけど、混ぜない」
「その通り」
博士は少し笑った。
「君は慣れてきたな」
「嫌ですね。チンポジ博士に慣れるの」
「慣れは理解の始まりだ」
「深淵を覗きすぎている気がします」
「命綱をつけたまえ」
「命綱?」
博士は紙ナプキンに、短く書いた。
命綱=自分のベスポジ
「深淵を覗くなら、自分のベスポジを命綱にしろ」
「最悪なのに、かなりいいですね」
「相手を理解しようとする時ほど、自分がどこに立っているのかを確認する」
「自分は何を大事にしているのか」
「そうだ」
「自分は何に納得していないのか」
「そうだ」
「相手の主張のどこまでは理解できるのか」
「そうだ」
「どこからは採用できないのか」
「そうだ」
「理解と採用を分ける」
「重要だ」
博士は紙ナプキンに書いた。
理解できることと、採用することは違う。
「これも今日の中心だ」
「中心が増えますね」
「深淵は多層だからな」
「相手の主張を理解する」
「はい」
「でも、それを採用するとは限らない」
「はい」
「相手の怒りの理由を理解する」
「はい」
「でも、その怒りの使い方まで肯定するとは限らない」
「はい」
「相手の苦しみを理解する」
「はい」
「でも、その苦しみから出た要求を全部受けるとは限らない」
「はい」
「それが分離した理解」
「分離した理解」
博士はうなずいた。
「共感は、混ざりやすい」
「共感がですか」
「そうだ。共感は強い。相手の痛みを感じようとする。相手の怒りを感じようとする。相手の悲しみを感じようとする」
「良いことにも見えます」
「良いことだ。だが、過剰になると自分の境界が溶ける」
「境界が溶ける」
「そうだ。相手の痛みを、自分の痛みとして処理し始める。相手の怒りを、自分の怒りとして振り回す。相手の正義を、自分の正義として採用する」
「活動家っぽいですね」
「人間にはよくある」
博士は紙ナプキンに、少し強く書いた。
共感は必要である。
だが、共感に飲まれるな。
「チンポジ哲学は、共感を否定しない」
「はい」
「ただし、共感に飲まれることを防ぐ」
「相手のチンポジはわからないから」
「そうだ」
「想像はする」
「そうだ」
「でも確定しない」
「そうだ」
「近づく」
「そうだ」
「でも混ざらない」
「そうだ」
「これはかなり安全装置ですね」
「素晴らしい安全装置だ」
博士は真顔だった。
「自画自賛ですね」
「哲学は、自分の道具の性能を知る必要がある」
「便利な言い方です」
「便利ではない。面倒なだけだ」
博士は、少しだけ声を落とした。
「深淵は、社会問題にもある」
「社会問題ですか」
「ある。差別、貧困、戦争、宗教、ジェンダー、被害、加害、歴史、恨み。これらを理解しようとする時、人は深淵を覗く」
「確かに重いですね」
「重い。しかも、相手の語りには熱がある。怒りがある。被害感がある。正義がある」
「飲まれやすい」
「そうだ」
「相手の立場に立って考えた結果、自分の判断基準が消える」
「ある」
「逆に、飲まれたくなくて最初から見ない」
「それもある」
「どっちもダメ」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
見ないな。
飲まれるな。
分けて見ろ。
「これが社会問題を見る時の姿勢だ」
「かなりデバッグですね」
「深淵を見るには、デバッグが要る」
「どう分けるんですか」
「本人の内側。外部行動。共有ルール。制度化できる領域。制度化できない領域」
「いつもの切り分け」
「そうだ」
「相手の苦しみは内側にある」
「はい」
「具体的な被害は外部行動として確認できる」
「はい」
「ルール違反は共有ルールで扱える」
「はい」
「制度にするなら、測定可能性や終了条件を見る」
「はい」
「でも、相手の内心そのものを完全に理解しようとすると」
「深淵に落ちる」
「そうだ」
博士は紙ナプキンに書いた。
他人の内心を完全理解しようとするな。
完全理解できると思った時点で、危ない。
「これは強いですね」
「強い」
「理解しようとするのはいい」
「いい」
「でも、完全理解できたと思うな」
「そうだ」
「相手のベスポジはわからない」
「そうだ」
「自分のベスポジも見失うな」
「その通り」
博士は、今日の答えをまとめ始めた。
深淵とは、覗いた者のベスポジを狂わせるものである。
深淵とは、見たあとに、こちらも変わってしまう対象である。
相手を理解することと、相手に同化することを混ぜてはならない。
相手のベスポジを想像するのはよい。だが、自分のベスポジを脱ぎ捨てるな。
深淵は、対象ではなく関係である。
こちらが覗く。すると、こちらも変わる。
相手のベスポジはわからない。これがチンポジ哲学の安全装置である。
想像する。しかし断定しない。
近づく。しかし混ざらない。
理解する。しかし同化しない。
理解できることと、採用することは違う。
共感は必要である。だが、共感に飲まれるな。
深淵を見る時は、見ないな。飲まれるな。分けて見ろ。
「博士」
「何かね」
「深淵って、怖いですね」
「怖い」
「でも、見ないわけにもいかない」
「そうだ」
「他人の苦しみとか、社会問題とか、相手の主張とか」
「そうだ」
「見ないと雑になる」
「そうだ」
「でも、見すぎると飲まれる」
「そうだ」
「だから、自分のベスポジを命綱にする」
「その通り」
「チンポジで言うなら」
博士は静かに言った。
「相手の収まりを想像しろ。だが、相手の収まりを確定するな。そして、自分の収まりを見失うな」
「今日はかなり綺麗ですね」
「私は哲学者だからな」
「名前以外は」
「名前も深淵だ」
「そこは覗かないでおきます」
「賢明だ」
博士は笑った。
喫茶店を出ると、外は少し暗くなっていた。
駅前では、誰かが何かを訴えていた。
怒っているようにも見えた。
悲しんでいるようにも見えた。
正しいようにも見えた。
危ういようにも見えた。
私は、少し立ち止まった。
相手の立場に立つことは大事だ。
でも、相手の立場に立ったまま、自分を失ってはいけない。
理解することと、採用することは違う。
共感することと、同化することは違う。
近づくことと、混ざることは違う。
深淵とは何か。
覗いた者のベスポジを狂わせるもの。
見てはいけないものではない。
だが、見たあとに、こちらも変わってしまうもの。
だから、覗くなら命綱が要る。
自分の収まり。
自分の基準。
自分の立ち位置。
自分の言葉。
それを手放さずに覗く。
相手のベスポジは、最後までわからない。
その前提があるから、こちらは飲まれずに済む。
分かり合えないことを、分かり合う。
それは、深淵を覗く時にも必要な姿勢だった。
その日から私は、相手の気持ちになって考える時、少しだけ戻り道を確認するようになった。
相手の靴を履いてみるのはいい。
だが、履いたまま帰ってくるな。
博士の言い方は、やはり最悪だった。
けれど、たぶんその最悪の言い方が、深淵から戻るための命綱だった。




