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哲学と私 あるいは、チンポジ博士の講義  作者: チンポジ博士


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倫理とは。

 倫理とは何か。


 その問いを出すと、博士はすぐには答えなかった。


 いつもの喫茶店。


 白衣。

 コーヒー。

 紙ナプキン。

 胸ポケットのサイコロ二つ。


 博士は紙ナプキンを一枚取った。


 少し考えてから、短く書いた。


 倫理=自分の行動に置くブレーキ


「倫理とは、自分の行動に置くブレーキである」


「ブレーキですか」


「そうだ」


「正義とは違うんですか」


「違う」


 博士はペン先で紙ナプキンを軽く叩いた。


「正義は、外へ向かいやすい」


「外へ」


「そうだ。あれは間違っている。あいつは悪い。社会はおかしい。世界を正さねばならない」


「外に向かう言葉ですね」


「そうだ」


「倫理は?」


「まず、自分の手元を見る」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 正義は外へ向かいやすい。

 倫理はまず自分の手元を見る。


「これが大事だ」


「倫理は他人を裁くものではない?」


「裁きにも関わるが、出発点はそこではない」


「ではどこですか」


「自分は何をしてよいのか。何をしてはいけないのか。どこで止まるべきなのか」


「自分への制限」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに、もう一つ書いた。


 倫理とは、他人の収まりを壊さないために、自分の行動へ置く制限である。


「これがチンポジ哲学としての答えだ」


「かなりまともですね」


「私はまともだ」


「名前以外は」


「名前も倫理的だ」


「それは無理があります」


「倫理的に異論を認めよう」


 博士は少しだけ笑った。


「チンポジ哲学では、自分のベスポジはある」


「はい」


「自分にとっての収まりがある」


「はい」


「自分にとっての快、不快、普通、幸福、正義、信仰がある」


「はい」


「だが、それをそのまま実行した時、他人の収まりや共有領域を壊さないか」


「そこで止まる」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 自分には自分の収まりがある。

 だが、それを実行してよいとは限らない。


「これが倫理だ」


「自分の内側にあるものを、外に出す時の制限」


「かなり近い」


「思うだけなら自由」


「原則としてな」


「でも、言う、やる、押し付ける、制度にする、となると別」


「その通り」


 博士はコーヒーを一口飲んだ。


「倫理は、内側と外側の境界にある」


「境界」


「そうだ。内心は本人のものだ。だが、行動は外に出る。言葉も外に出る。制度も外に出る。外に出たものは、他人に触れる」


「だから倫理が必要になる」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 内心は本人のもの。

 行動は他人に触れる。

 だから倫理が要る。


「かなりわかりやすいですね」


「倫理は本来わかりやすい」


「本当ですか」


「難しく語ることもできる。だが、入口は単純だ」


「何ですか」


「自分のしたいことが、他人を壊さないか」


 博士は静かに言った。


「重いですね」


「倫理は重い」


「でも、全部気にしていたら何もできなくなりませんか」


「なる」


「じゃあどうするんですか」


「だから倫理には、切り分けが要る」


 博士は紙ナプキンに、いつもの分類を書いた。


 本人の内側

 外部行動

 共有ルール

 制度化できる領域

 制度化できない領域


「また出ましたね」


「何度でも出る」


「倫理にも使うんですか」


「使う」


 博士はペンで一つずつ指した。


「本人の内側にある好みや不快は、まず本人のものだ」


「はい」


「だが、それを外部行動にした時、他人に影響する」


「はい」


「共有ルールに関わるなら、個人の好みだけでは済まない」


「はい」


「制度化するなら、測定可能性、終了条件、責任主体、費用負担、観測可能性、実行可能性が必要になる」


「いつものデバッグですね」


「倫理は、かなりデバッグに近い」


「なぜですか」


「行動の副作用を見るからだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 倫理=行動の副作用を見る技術


「これもいいですね」


「倫理は、善人ぶることではない」


「違うんですか」


「違う。善人らしい言葉を使うことでもない。自分の行動が、他人や共有領域に何を起こすかを見ることだ」


「副作用を見る」


「そうだ」


「薬みたいですね」


「近い。よく効く薬ほど副作用もある。強い正義、強い愛、強い信仰、強い自由、強い言葉。どれも効くが、副作用もある」


「チンポジ哲学も?」


「当然ある」


「予測変換ですね」


「それは語彙の副作用だ」


「実例が強すぎます」


 博士はうなずいた。


「ここでアリストテレスを借りよう」


「倫理でアリストテレス」


「当然だ。アリストテレスにとって倫理は、よく生きること、徳、習慣に関わる」


「徳」


「そうだ。人間は一回だけ正しいことをして終わりではない。繰り返しの中で、どういう人間になるかが問題になる」


「習慣としての倫理」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 倫理は、一回の正解ではなく、繰り返しの姿勢である。


「これは重要だ」


「たまたま一回いいことをした、では足りない」


「そうだ」


「普段からどう振る舞うか」


「そうだ」


「自分の行動に、どうブレーキをかける習慣があるか」


「その通り」


 博士は次に、別の名前を書いた。


 カント


「カントならこう問う」


「来ましたね」


「その行動原理は、全員が使っても成り立つか」


「普遍化ですね」


「そうだ」


「自分だけ例外はダメ」


「そうだ」


「自分だけは嘘をついてよい」


「全員がやると、言葉が壊れる」


「自分だけは約束を破ってよい」


「全員がやると、約束が壊れる」


「自分だけは相手を道具にしてよい」


「全員がやると、人間関係が壊れる」


「かなり倫理ですね」


「かなり倫理だ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 その行動原理は、全員が使っても成り立つか。


「倫理の強いチェックだ」


「チンポジ哲学だと?」


「自分のベスポジを押し付ける行動原理を、全員が使ったらどうなるか」


「全員が自分のベスポジを押し付ける」


「地獄だ」


「即答ですね」


「即答できる地獄だ」


「では、倫理的には?」


「自分の収まりを持つことはよい。だが、それを他人に履かせるな」


「いつもの結論」


「強い結論は何度も使える」


 博士は、少しだけ姿勢を変えた。


「ここでレヴィナスも借りよう」


「レヴィナス?」


「他者の顔が、こちらに責任を呼びかける」


「難しそうですね」


「難しい。だが、チンポジ哲学に接続するとこうなる」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 他人は、私の理屈で完全には処理できない。


「これだ」


「他人は、私の理屈で完全には処理できない」


「そうだ。他人は、自分の計算の中の部品ではない。自分の正義の材料でもない。自分の幸福像を実現するための道具でもない」


「他人は他人」


「そうだ」


「相手の内側は完全にはわからない」


「そうだ」


「だから、勝手に決めない」


「そうだ」


「倫理ですね」


「かなり倫理だ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 他人を、自分の理屈の部品にするな。


「これも今日の中心だ」


「中心が増えますね」


「倫理は中心が多い」


「他人を部品にするな」


「そうだ」


「自分の正義の部品」


「そうだ」


「自分の幸福の部品」


「そうだ」


「自分の物語の部品」


「そうだ」


「自分の被害者意識の部品」


「かなり危険だ」


「自分の救済対象の部品」


「非常に危険だ」


 博士はうなずいた。


「倫理とは、他人を他人として残す技術でもある」


「他人を他人として残す」


「そうだ。理解しようとする。だが、完全には取り込まない。助けようとする。だが、支配しない。批判する。だが、人格を潰さない」


「かなり難しいですね」


「倫理は難しい」


 博士は次に、功利主義と書いた。


「功利主義も借りられる」


「最大多数の最大幸福ですか」


「そうだ。結果を見る考え方だ。行動の結果として、幸福や苦痛がどう増減するかを見る」


「実用的ですね」


「実用的だ。だが、危険もある」


「何ですか」


「少数の収まりを、多数の幸福のために潰すことがある」


「それは危ない」


「そうだ。だから、結果を見ることは大事だが、それだけでは足りない」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 結果を見る。

 だが、少数の収まりを踏み潰すな。


「これがチンポジ哲学による補正だ」


「補正なんですね」


「接続だ」


「便利ですね」


「便利ではない。面倒なだけだ」


 博士は続けた。


「倫理は、自由とも関係する」


「自由」


「自由とは、何でもしてよいことではない」


「はい」


「自分の収まりを探す自由はある」


「はい」


「だが、その自由が他人の収まりを壊すなら、そこで倫理が必要になる」


「自由にブレーキを付ける」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに、大きく書いた。


 倫理とは、自由にブレーキを付ける技術である。


「これも今日の中心だ」


「今日の中心、何個目ですか」


「倫理は多重ブレーキだ」


「なんですかそれ」


「ブレーキは一つでは足りない」


「車みたいですね」


「車も倫理的な機械だ」


「それは言い過ぎでは」


「アクセルだけの車は危険だろう」


「それはそうです」


「自由も同じだ。アクセルだけでは危険だ」


「倫理がブレーキ」


「そうだ」


 博士は少し真面目な顔になった。


「ただし、ブレーキを踏みすぎても動けない」


「それもありますね」


「倫理を過剰にすると、人は何も言えなくなる。何もできなくなる。誰にも関われなくなる」


「倫理疲れですね」


「そうだ」


「ではどうするんですか」


「ブレーキは止まるためだけにあるのではない」


「違うんですか」


「安全に進むためにある」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 倫理は、止まるためだけでなく、安全に進むためのもの。


「これは良いですね」


「倫理は行動を禁止するだけではない。むしろ、他人と関わりながら進むために必要だ」


「ブレーキがあるから走れる」


「そうだ」


「ルールがあるから遊べる」


「そうだ」


「信頼があるから契約できる」


「そうだ」


「倫理があるから関係できる」


「その通り」


 博士はコーヒーを飲み干した。


「倫理には、もう一つ重要な点がある」


「何ですか」


「見えないところで出る」


「見えないところ」


「そうだ。誰も見ていない時。罰がない時。バレない時。得をする時。相手が弱い時」


「そこでどうするか」


「そうだ」


 博士は紙ナプキンに書いた。


 倫理は、監視のない場所で試される。


「重いですね」


「重い。法律は外から来る。罰も外から来る。だが倫理は、内側から自分を止める」


「内側のブレーキ」


「そうだ」


「チンポジ哲学だと?」


「他人が見ていなくても、他人の収まりを壊すな」


「かなりまともですね」


「私はまともだ」


「名前以外は」


「名前も内側のブレーキだ」


「それは事故を起こしています」


「予測変換上はな」


 博士は紙ナプキンに、今日の答えをまとめ始めた。


 倫理とは、自分の行動に置くブレーキである。

 正義は外へ向かいやすい。倫理はまず自分の手元を見る。

 倫理とは、他人の収まりを壊さないために、自分の行動へ置く制限である。

 自分には自分の収まりがある。だが、それを実行してよいとは限らない。

 内心は本人のもの。行動は他人に触れる。だから倫理が要る。

 倫理とは、行動の副作用を見る技術である。

 倫理は、一回の正解ではなく、繰り返しの姿勢である。

 その行動原理は、全員が使っても成り立つか。

 他人を、自分の理屈の部品にするな。

 結果を見る。だが、少数の収まりを踏み潰すな。

 倫理とは、自由にブレーキを付ける技術である。

 倫理は、止まるためだけでなく、安全に進むためのもの。

 倫理は、監視のない場所で試される。


「博士」


「何かね」


「倫理って、かなり実用的ですね」


「実用的だ」


「もっと説教くさいものかと思ってました」


「説教にすると嫌われる」


「確かに」


「倫理は、本来は運用の技術だ」


「運用」


「そうだ。自分の自由、自分の欲望、自分の正義、自分の幸福、自分の言葉。それらを外に出す時、どこで止めるか。どう扱うか。どこまでなら他人を壊さないか」


「かなり設計ですね」


「倫理は設計だ」


「チンポジで言うなら」


 博士は静かに言った。


「自分のベスポジは持て。だが、それで他人の収まりを潰すな」


「わかりやすいですね」


「さらに短く言えば」


 博士は紙ナプキンに、最後の一文を書いた。


 倫理とは、自分の収まりを守りながら、他人の収まりを壊さない技術である。


「これ、かなりいいですね」


「辞書に載せてよい」


「載せる辞書が特殊すぎます」


「哲学辞典はだいたい特殊だ」


 博士は笑った。


 喫茶店を出ると、外は人通りが多かった。


 歩く人。

 立ち止まる人。

 急ぐ人。

 ぶつかりそうになって避ける人。

 道を譲る人。

 スマホを見ながら歩く人。

 少し迷惑そうな顔をする人。


 それぞれに、自分の行きたい方向がある。


 自分の速度がある。


 自分の都合がある。


 自分の収まりがある。


 だが、それをそのまま通せば、他人とぶつかる。


 だから人は、少し避ける。


 少し待つ。


 少し譲る。


 少し黙る。


 少し言い方を変える。


 少し踏みとどまる。


 その小さなブレーキの積み重ねが、たぶん倫理なのだ。


 倫理とは何か。


 自分の行動に置くブレーキ。


 他人の収まりを壊さないために、自分の行動へ置く制限。


 自由にブレーキを付ける技術。


 そして、自分の収まりを守りながら、他人の収まりを壊さない技術。


 倫理は、他人を裁くためのものではない。


 まず、自分の手元を見るためのものだ。


 自分の正しさを、他人に履かせようとしていないか。


 自分の自由で、他人の収まりを潰していないか。


 自分の幸福のために、他人を部品にしていないか。


 自分の言葉で、他人の内側を勝手に決めていないか。


 その日から私は、何かを言う前に、少しだけ自分の手元を見るようになった。


 言葉は外に出る。


 行動は他人に触れる。


 自由にはアクセルがある。


 だから、ブレーキが要る。


 それが倫理なのだと思う。

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チンポジ哲学が生まれる話です。
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