模擬戦
翌朝、私は王に謁見を申し込んだ。
呼ばれるのではなく、自分から申し込んだのは初めてだった。
謁見の間ではなく、執務室に通された。
王は地図を広げていた。
私が入ると、顔を上げた。
「どうした」
「一つお願いがあります」
「言え」
「派閥の話を、直接聞かせてください。王派と大臣派が何を考えているのか、私が知っておくべきことを」
王は私を見た。いつもの目だった。値踏みとも慈しみとも違う、確かめるような目。
「なぜ今更」
「知らないまま動くのは怖いからです。だから今のうちに知れることは知っておきたいのです」
王は少し考えた。
「誰かに言われたか」
「いいえ」
「自分で考えたか」
「昨夜、自分で考えました」
王は私を見続けた。それから、静かに椅子を引いた。
「座れ」
促され座る。
王は地図を脇に置いて、組んだ手を机の上に乗せた。
「大臣派の目的は、魔王討伐後の覇権だ。異世界勇者を擁立したのは、確実に勝てる駒が欲しかったからに過ぎない。勝った後、その功績を利用して王国内での発言力を強めるつもりでいる」
「王派は」
「余は血統を信じている。それは本当だ。ただ」
王は少し目を伏せた。
「信じているだけでは、戦争には勝てない。それもわかっている」
「だから召喚を止めなかったのですか」
「止めることはできた。しかし止めなかった」
私は王の目を見る。
「覚醒を、待っていてくれているんですか」
「待っている」
「いつまでですか」
王は答えなかった。
答えなかったことが、答えだった。
永遠には待てない。
だが待てるだけは待つということだ。
私は立ち上がった。
「ありがとうございました」
「何かわかったか」
「少し」
「何がわかった」
私は少し考えた。
「私がぐずぐずしていると、大臣派が得をするということが」
王が少し目を細めた。
「そうだな」
「覚醒を待つより、今できることをやる方がいいかもしれない、ということも」
王は何も言わなかった。
私は頭を下げて、執務室を出た。
廊下に出た途端、少し足が軽くなった気がした。
知ることで、怖さの種類が変わった。
漠然とした怖さではなく、怖さに輪郭が生まれた。
輪郭があれば、対処できる。
その日の午後、大臣が動いた。
私が訓練場で素振りをしていると、城の廊下の方から声が聞こえてきた。
聞き耳を立てるつもりはなかったが、訓練場に面した窓が開いていて、声が流れ込んできた。
「宗一郎殿、少しよろしいですか」
大臣の声だった。
私は木剣を下ろし、動かなかった。
耳を澄ます。
「なんだ」
宗一郎の声だった。
いつものように廊下を歩いていたのだろう。
「魔王討伐についてですが、ぜひ直接お話を伺いたく。我々としては、宗一郎殿のお力を最大限に活かす作戦を考えております。エレナ様の覚醒がいつになるかも不明な状況ですし、やはり確実な戦力を前面に」
「断る」
即答だった。
「しかし宗一郎殿、王国の未来のためにも」
「関係ない」
「では何が関係あるとおっしゃるので」
しばらく間があった。
「俺が動くかどうかは、俺が決める。あなたが決めることではない」
「それは重々承知しておりますが、異世界からいらしたお立場では王国の事情もおわかりでないかと。我々がしっかりとご案内せねばと――」
「案内は要らない」
そっけない返答だった。
次いで、足音。宗一郎が歩き去る音だった。
大臣が何か言いかけたが、足音は止まらなかった。
私は窓から少し離れた。
大臣が宗一郎を取り込もうとしている。
わかっていたことだったが、実際に話を聞いて意図がはっきりした。
宗一郎は断ったが、大臣はこのまま諦めたりはしないだろう。
どうするか、考えながら素振りを再開する。
しばらくして、訓練場に人影が入ってきた。
宗一郎だ。
「聞いていたか」
「聞こえてしまいました」
「そうか」
宗一郎は訓練場の端に立って、腕を組んだ。いつもの立ち方だ。
「大臣は諦めないと思います」
「そうだろうな」
「あなたが断り続けると、今度は別の手を使ってくるかもしれません」
「どんな手だ」
私は少し考えを巡らせる。
「私への圧力です。あなたが動かないなら、私の立場を弱めることで間接的にあなたを動かそうとする。覚醒していない勇者は役に立たない、と王に進言するかもしれない」
宗一郎は私を見た。
「よく考えるな」
「今朝、王から派閥の話を聞きました。動いたら見えてきました」
「自分から聞きに行ったのか」
「はい」
宗一郎は少し間を置いて、頷いた。
「そうか」
褒めているのだろうか。
でも否定はされなかった。
「一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「大臣に取り込まれる可能性は、ありますか」
「ない」
「理由を聞いてもいいですか」
「取り込まれても取り込まれなくても影響がないからだ」
「どういう意味ですか」
「大臣が俺を使って魔王を倒しても、この世界のためにならない。それは最初から言っている」
私は黙った。この世界のためにならない、とは――
「俺が倒しても世界のためにならない、というのは、大臣派が力を持つからですか」
「それもあるが、それだけではない」
「それだけではない、というのは」
「まだ言えない」
「お前が自分で気づいた方がいいから、ですか」
「そうだ」
私はため息をついた。
「毎回同じことを言いますね」
「毎回同じことを言うからだ」
テオが甲高い声で何か言った。
「そうだ、と言っていますか」
「腹が減ったと言っている」
「昼食の時間ですね」
「ああ」
「一緒に食べますか」
宗一郎は少し間を置いた。
「……まあ」
「まあ、はどちらの意味ですか」
「行く、という意味だ」
テオが嬉しそうに光った。
私は歩き出し、宗一郎がついてきた。
自分から動いた。知ることが出来て、それを誰かに話した。大臣の動きも見えた。
昨日より確かに前に進んでいる。そういう気がした。
食堂に入ると、シオンがいた。
シオンは宗一郎を見た途端、目を輝かせた。
「異世界勇者! 本物だ!」
「シオンさん」
「いいじゃん別に! ねえねえ、名前は! どこから来たの! 肩の上の子、テオって言うんだって? 昨日エレナちゃんから聞いた!」
「シオンさん」
「かわいい! 触っていい!?」
「シオンさん」
シオンには私の声が聞こえていないようだった。テオに向かって手を伸ばしていた。テオが興味深そうに近づいていった。
「テオ」と宗一郎が言った。
テオが止まった。止まったが、シオンの方を向いたままだった。
「触っていいぞ」
「……いいんですか」と私は言った。
「調子に乗る」と宗一郎が続ける。
「しかし止めても無駄そうだ」
シオンがテオを両手で包んだ。テオが光った。甲高い声で何か言った。嬉しそうだった。
「あったかい!光ってる! かわいい!」
テオがさらに光った。
宗一郎がため息をついた。
「言った通りだ」
「調子に乗りましたね」
「乗ったな」
レオンが奥のテーブルから手を上げた。席を取っていた。いつの間にか来ていた。
全員で席についた。
宗一郎が初めて、私たちと同じテーブルで食事をした。
特別なことは何もなかった。
シオンがテオを離さなかった。
レオンが呆れた顔をしていた。
宗一郎がシオンに「返せ」と言った。
シオンは「もう少し」と言い、テオは光り続けた。
他愛もない光景。
しかし私には、それが今日一番大事なことのように思えた。
このなんでもない光景こそが大事なことなのではないかと。
ただ、そう思った。
夜、私は訓練場に出た。
体を動かして終わりたかった。
木剣を振る。一。二。三。
さっきより頭が静かだった。
今日は動いた。動いた結果、見えたものがあった。
それだけで頭の中の騒がしさが落ち着いた。
五十回ほど振ったところで、気配がした。
「宗一郎さん」
「ああ」
「今日は通りかかっただけとは言いませんね」
「訓練場に用があった」
「何の用ですか」
「見ておきたかった」
「何を」
「お前の剣を」
私は木剣を下ろした。振り返った。
宗一郎が訓練場の入口に立っていた。
テオは珍しく肩の上にいなかった。
「テオは」
「シオンのところにいる」
「残してきたんですか」
「勝手に行った」
「止めなかったんですか」
「疲れた」
私は少し笑いそうになったが、堪えた。
「私の剣はどうでしたか」
「悪くない」
「悪くない、というのは」
「筋がいい。力はないが、体の使い方がいい。誰かに習ったか」
「王宮の剣術師に。それとレオンに少し」
「レオンか」
「幼馴染です。剣が得意なので」
宗一郎は訓練場に入ってきた。私の持っている木剣を見た。
「一度、打ち合ってみるか」
私は少し驚いた。
「本気ですか」
「木剣だ。模擬戦だから怪我はしない」
「でも相手が」
「加減する」
「……わかりました」
私は構えを作る。
加減をされているとはいえ、相手は数多の世界を救ってきた最強の勇者。
腕が震えた。
宗一郎が木剣を手に取り、構えを作った。
特に変わったところのない普通の構えだ。
特別なことは何もない。構えて、ただ立っているだけだった。
それなのに、案山子を相手にしていた時と空気が全然違った。
自分より圧倒的に強い相手がそこにいる。
その事実が私に重くのしかかる。
動いた。
と思った時にはもう遅かった。木剣が、軽く肩を叩いていた。
「遅い」
「……はい」
「もう一度」
また動く。今度は見えた。見えたが、対処できない。脇腹を叩かれた。
「重心が後ろすぎる」
「はい」
「もう一度」
十回やった。
十回とも、私は一度も剣を当てることが出来なかった。
宗一郎は動きが小さかった。
大きく踏み込まなかった。
それでも全部当てた。
当てた、というより、気づいたら当たっている。
「やめましょう」
「なぜだ」
「悔しいので」
宗一郎が少し間を置いた。
「悔しいなら続けろ」
「悔しいから続けたくありません」
「それは逃げだ」
「逃げでも構いません。今日のところは」
「……そうか」
宗一郎は木剣を台に戻した。私も剣を戻す。
肩と脇腹がじんじんしていた。
痛みではなかったが、確かな感触があった。
「わかりましたか」
「何が」
「私の実力が」
「わかった」
「どうでしたか」
「正直に言ったほうがいいか」
「言ってください」
「今のままでは、魔族の指揮官クラスに近づくことも難しい」
私は何も言えなかった。
「ただ」
宗一郎が続けた。
「筋はいい。それは本当だ。土台がある。土台があるなら、積めばいい」
「勇者の力が覚醒すれば変わりますか」
「力が覚醒しても、土台がなければ力を制御できない。土台があって力があるから意味がある」
私は宗一郎を見る。
そこには手本がある。
「つまり、今やっていることは無駄ではない」
「無駄ではない」
その言葉を反芻する。
「続けろ、ということですか」
「そうだ」
私は木剣を手に取る。
「わかりました」
また構えを作って、木剣を振り始めた。
一。二。三。
翌朝、私はレオンを訓練場に呼んだ。
呼ばれる側ではなく、呼ぶ側になった。
これも初めてのことだ。
レオンいつも通りの顔で、いつも通りの時間に来た。
「呼び出しとは珍しいな」
「手合わせをしてください」
レオンは少し驚いた顔をした。
これも珍しかった。
この男が驚く顔を見るのは、年に数えるほどしかない。
「昨日、宗一郎さんと打ち合いました」
「そうか。どうだった」
「十回やって、一度も当たりませんでした」
「だろうな」
「重心が後ろすぎると言われました。他にも何かあるはずです。レオンなら、もっと具体的に言えると思って」
レオンは私を見る。
「昨日宗一郎さんに負けて、今日俺に教えを請いに来たのか」
「そうです」
「悔しくないのか」
「悔しいです。だから来ました」
レオンは少し間を置いた。それから木剣を手に取った。
「構えを見せろ」
私は構えを作る。
レオンが一周した。前から、後ろから、横から、構えを見た。
それから木剣の柄で、私の足先を軽く叩いた。
「つま先が内側に入っている。昔からそうだ」
「昔から?」
「子供の頃から。直らないな、と思って見ていた」
「言ってくれればよかったじゃないですか」
「言ったぞ」
「……言いましたか」
「三回は言った」
覚えていなかった。
覚えていないということは、聞いていたが頭に入っていなかったということだ。
「すみません」
「いい。今気づいたなら、今直せばいい」
レオンは私の足先を正しい向きに直した。
それから肩を少し前に押して、腰の位置を手で示した。
「こうだ」
「……全然違いますね」
「全然違う。でも体の使い方は悪くない。宗一郎さんも同じことを言ったんだろ」
「言いました」
「あの人が言うなら、正しい」
私はレオンを見る。
「宗一郎さんのことを、どう思っていますか」
レオンは少し考えた。
「怖い人だとは思う……。でも嘘をつく人ではない気がする。根拠はないけどな」
「私も同じです」
「だろうな」
「なぜわかるんですか」
「顔に出てるからな」
返す言葉がなかった。
「打ち合うぞ」とレオンが言った。
「はい」
今度はレオンを相手にした。
宗一郎よりずっと当てやすかった。
それでも五回に一回しか当たらなかった。
しかし昨日と違ったのは、当たらない理由がわかったことだ。
理由がわかれば、直せる。直せる場所がある。
それが、昨日との違い。
その日の夕方、私はシオンを呼んだ。
「パーティに入ってください」
シオンは目を丸くした。
「考えるって言ってたじゃん」
「考えました」
「いつ」
「昨日の夜、少し」
シオンは私の目を見て、それからにっと笑った。
「わかった。行く」
「危険な旅になります」
「知ってる。でも行く。最初からそのつもりだったし」
「なぜですか」
シオンは少し考えた。珍しく、真面目な顔だった。
「エレナちゃんを一人で行かせるのが嫌だから」
「私のためですか」
「半分はそう。あとの半分は、なんとなく、ここが正念場な気がして」
「正念場」
「うまく言えないけど。今ここで動かないと、後悔する気がした」
いつも軽くて、いつも笑っていて、いつも場を和らげる。
そういう人間だと思っていた。
思っていたが、その奥に何かあることは、ずっと前からわかっていた。
「ありがとうございます」
「礼はいいよ。死なないようにしようね、お互い」
「死にません」
「うん。そうしよ」
シオンが立ち上がった。
「あ、あとテオに会いたいんだけど」
「宗一郎さんに聞いてください」
「エレナちゃんから頼んでよ」
「自分で言ってください」
「えー」
「シオンさんなら言えます。昨日みたいに」
「なんで知ってんの」
「昨日聞いたので」
シオンが笑った。
今度は少し照れた笑いだった。
翌朝、全員が揃った。
私、レオン、シオン、フィリア。城門の前で顔を見合わせた。
「久しぶりじゃな」とフィリアがレオンに言った。
「フィリアさんが来るとは思いませんでした」
「失礼な。引きこもりだとでも思っておるのか」
「来る理由がないと思っていたので」
「理由なら、ある」
「なんですか」
「話の続きある」とフィリアは私を見た。
「旅の間に話してやろう」
私は頷いた。
話の続き――血筋の話。
それを持ってきた、ということだった。
宗一郎はいつの間にか城門の外に立っていた。
テオが肩の上にいた。荷物を持っていた。
「来るんですか」と私は聞いた。
「行き先が同じだ」
「パーティではなく」
「道が同じなだけだ」
「わかりました」
テオが甲高い声で何か言った。
「一緒に行く、と言っていますか」
「腹が減ったと言っている」
「出発前からですか」
「テオは時間を問わない」
「テオは今日もかわいいね」とシオンが言った。
テオが光った。覚えていてくれた、と言っているような光り方だった。
「調子に乗るな」と宗一郎が言った。
「もう乗ってますよ」と私。
「乗っている」と宗一郎が認めた。
レオンが「行くぞ」と声をかけて、 一行は動き出した。
夜明けの空が、東から白み始めていた。




