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勇者が二人  作者: にのぴ
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王城の図書室

  王城の図書室は、地下にあった。


 魔法関連の文書や古い条約書、過去の戦争の記録など、表に出しにくいものが集められている場所だ。

小さい頃からずっと通っている場所だった。


力が覚醒していないなら、せめて頭に詰め込むしかない。

知識は力だ。

少なくとも今の私にとって、それは数少ない、確かな力だった。

その力を求めて、図書室へ向かう。


 図書室への階段を下りながら、私は昔のことを思い出していた。


 最初にフィリアと会ったのは、六つか七つの頃だった。

同じくらいの年齢の女の子に見えたが、話し方がやたらと古風だった。

銀色の髪を2つに結び、幼い見た目に似つかわしくない深い目をしていた。


城の廊下で転んで泣いていたところに、どこからともなく現れた。

膝の傷に何かを塗って、図書室まで連れてきて、本を一冊渡した。

読めるか、と聞かれた。

読めます、と答えたら、ならよい、とだけ言って棚の奥に消えた。


 それが最初だった。

その後、私は定期的に図書室に来るようになった。

フィリアはいつもそこにいた。

いつも床に座って、両脇に本を置き、頭の上に本を載せて本を読んでいた。


 印象に残っている出来事があった。

あれはたしか、私が十歳くらいの頃だ。


 剣術の稽古で失敗が続いていた時期だった。

剣術の先生に何度言われても同じところで間違えた。

他の子供たちはどんどん上達していくのに、

自分だけが同じ場所で止まっているような気がした。


 その日も稽古が終わった後、私は図書室に来た。

フィリアがいた。いつも通り床に座っていた。

私は何も言わずに、フィリアの隣に座った。


 フィリアも何も言わなかった。

しばらく、二人とも黙って本を読んでいた。

私は本の内容が頭に入らなかった。

でも本を開いていた。

本を開いていれば、何かをしていることになる気がしたから。


 「稽古か」


 フィリアが言った。


 「はい」


 「うまくいかなかったか」


 「なぜわかるんですか」


 「顔に出ておる」


 私は俯いた。


 「同じところで、何度も失敗します」


 「そうか」


 「他の子は上手になっているのに、私だけ同じところで止まっています」


 「そうか」


 フィリアは本を読み続けた。

慰めも、励ましも、アドバイスもなかった。

ただ、そうか、と言っただけだった。


 私は少し拍子抜けした。


 「何か言わないんですか」


 「何を言えばいい」


 「うまくいかなかった時の、何かを」


 「何かとは」


 「次はうまくいく、とか。やり方を変えてみろ、とか」


 「そういうことは知らない」


 「知らないんですか」


 「儂は剣術師ではない。剣術のことはわからない」


 私はため息をついた。

フィリアは本当に必要なことしか言わない人物だった。

子供の頃の私には、それが少し物足りなかった。


 「では何か言えることはありますか」


 「一つだけある」


 「なんですか」


 フィリアは本から目を上げた。


 「同じところで止まっている時間は、無駄ではない」


 「なぜですか」


 「同じところで止まって、同じ失敗を何度もして、それでも続けた。その時間が、いつか土台になる」


 「でも他の子は進んでいます」


 「比べても仕方がない」


 「仕方がなくても、気になります」


 「そうだろうな」


 フィリアはまた本に目を落とした。


 「気になっても、比べても、結局自分が続けるしかない。それだけだ」


 「それだけ、というのは」


 「それだけだ。それ以上でも以下でもない」


 私は少し黙った。


 「フィリアさんは、長い間生きてきて、うまくいかなかったことはありますか」


 「たくさんある」


 「どんなことですか」


 「言いたくない」


 「なぜですか」


 「言いたくないから」


急に見た目通りの子供っぽい言い方になり、私は思わず笑いそうになったが堪えた。


 「一つだけ教えてください」


 「なぜ教えなければならない」


 「聞きたいので」


 フィリアは少し間を置いた。


 「大事な人に、言えなかったことがある」


 「言えなかった」


 「言えばよかった言葉がある」


 「それは、後悔していますか」


 「している」


 フィリアは短く答えた。後悔しているという言葉に、重さがあった。

三百年生きた人間の後悔は、きっと普通の後悔より重い。

子供の私には、その重みはわからなかった。


 「それでも、その後悔を抱えているんですか」


 「抱えている」


 「なぜですか」


 「後悔があるから、続けるしかない。後悔を持ったまま、前に進むしかない」


 「それは、しんどくないですか」


 「しんどい」


 「でも続けているんですね」


 「そうだ」


 私は本を閉じた。


 「わかりました」


 「何がわかった」


 「同じところで止まっていても、続けます」


 「それでいい」


 「後悔を持ったまま、前に進むしかない、というのも」


 「それでいい」


 私は立ち上がった。


 「ありがとうございます」


 「礼はいい」


 「でも言葉にしたいので」


 フィリアは本に目を落としたまま、小さく言った。


 「そうか」


 それだけだった。


 私は図書室を出た。


 廊下に出ると、少し足が軽くなっていた気がした。

理由はうまく言えなかった。

フィリアは何も解決してくれなかった。

アドバイスも励ましもなかった。

ただ、そこにいた。


 それだけだったが、足が軽かった。

翌日の稽古では、また同じところで失敗したが、続けた。

言われたとおりに。


 その記憶が、今も残っていた。


数年前の記憶だ。

でも今になって、あの時フィリアが言ったことの意味が、少し変わって見えた。

あの頃はわからなかったことが、少しわかるようになった

わからないまま、ただ続けることを覚えた。

それが今の私の土台になっている。

フィリアが言った通りだった。


 私は階段を下り終えて 図書室の扉の前に立った。


 扉を開けると、フィリアがいた。いつも通り、床に座っていた。頭の上に本を乗せていた。

私の口元がふと緩む。


 何年経っても、変わらない。

変わらないことが、今日はとても安心できるものに感じられた。


 「ぬ」


 見下ろすと、床に座り込んだ小さな人影があった。

膝の上に本を広げて、脇にさらに三冊積んで、頭の上にもう一冊乗せていた

六つか七つくらいの幼い顔立ちの上に、銀色の長い髪が本の重みで少し潰れている。

フィリアだった。


子供の頃の思い出のままの姿だ。

あれから数年経っている。

私は大きくなった。

フィリアは、大きくならなかった。子供の頃は不思議で、少し怖かった。

今はただ、そういうものだと思っている。



 「また床に座っているんですか」


 「落ち着くのじゃ」


 「椅子があります」


 「硬い」


 床のほうが固いだろうにと私は思ったが口には出さなかった。


 「何を読んでいるんですか」


 「魔族の生態についての論文じゃ」


 表紙を見ると、三百年前のものだった。


 「よく読めますね、これ」


 「当たり前であろう。儂が書いたのだから」


 訝しげにフィリアを見る私。


 「事実じゃからな?」


 フィリアは本から顔を上げて、私を見た。

値踏みではなく、確かめるような目だった。

昔からそういう目をする。

子供の頃から変わらない。


この目に見られると、正しい答えではなく本当の答えを求められている気がして、いつも少し困る。


 「それで、何を調べに来た」


 「魔族の戦闘記録と、先代勇者が魔王を討伐した記録を」


 「ふむ」


 「何か知っていますか」


 「知っておる」


 知ってるんだ。

私は少し前のめりになる。


 「教えてもらえますか」


 「教えてやってもよいが」


 フィリアは私をじっと見つめる。


 「お主、自分の血筋について、どこまで知っておる」


 「勇者の家系だということは」


 「それだけか」


 「……それだけです」


 フィリアは少し間を置いた。それからまた本に目を落として、ぽつりと言った。


 「そうか。ならば順を追って話す必要があるな」


 「教えてくれるんですか」


 「全部ではない。儂が知っていることだけじゃ。それでよければ」


 「ありがとうございます」


 フィリアは本を閉じた。

頭の上の本も棚に戻して、立ち上がった。

私と並ぶと、肩にも届かない。

私が六つの頃と今で、並んだ時の高さが逆になっていた。

それだけが、変わったことだった。


 「まず一つ聞くが」


 小さな、しかし確かな声だった。


 「魔王を倒したいか。本当に」


 本当に、という言葉に、妙な重さがあった。


 「倒します」


 「倒したいか、と聞いておる」


 私は即答できなかった。


 倒したい。そう答えるのが正しいと思った。

しかしフィリアの目が、その答えを待っていない気がした。

もっと別の何かを、待っている。

昔からそうだ。

この人はいつも、正しい答えではなく、本当の答えを待っている。


 「……わかりません」


 そう答えるのが精一杯だった。


 「使命だから倒さなければならないとは思っています。でも、倒したいかどうかは」


 「よい」


 フィリアが遮った。


 「正直に答えた。それで十分じゃ」


 小さな魔法使いは、棚の奥へ歩き出した。


 「ついて来い。話せることから話してやろう」


 私は立ち上がり、その背中を追った。

銀色の髪が揺れている。三百年生きた人間の背中は、ひどく小さかった。

小さくて、しかし迷いがなかった。

昔から、こんな背中だったのを思い出した。


 図書室を出たのは、二時間後だった。


 廊下を歩きながら、今日聞いたことを頭の中で整理した。

集中していたせいで、前から人が来ていることに気づくのが遅れた。


 「あ」


 ぶつかる寸前で止まった。


 異世界勇者の男だった。

またしても廊下の真ん中にいた。

今度は天井ではなく、窓の外を見ていた。

肩の上に、小さな何かが乗っていた。

丸くて、薄く光っている。

昨日はなかったものだった。


 「三度目ですね」


 「そうだな」


 「城の中を散歩しているんですか」


 「だいたいそんなところだ」


 男は窓の外に視線を戻した。私は少し迷ってから、口を開いた。


 「あなたは、魔王を倒す気はありますか」


 男が振り向いた。


 「どういう意味だ」


 「そのままの意味です。倒せるのに倒す気がないなら、最初から教えてください。私は私で動きますから」


 男は私を見据えている。


 「倒す気がないとは言っていない」


 「でも積極的でもない」


 「……まあ、そうだな」


 「なぜですか」


 「理由を話したら、お前は怒るぞ」


 「構いません」


 男は少し考えてから、また窓の外に目を向けた。


 「俺が魔王を倒しても、この世界のためにならないかもしれないからだ」


 「……どういう意味ですか」


 「そのままの意味だ」


 意味がわからなかった。しかし男は続けなかった。

窓の外を見たまま、それ以上何も言わなかった。


 「教えてください」


 「今は教えない」


 「なぜ」


 「お前が自分で気づいた方がいいからだ」


 私は言葉に詰まった。

腹が立つ。

しかし怒鳴る気にもなれなかった。

この男がいい加減なことを言っているわけではないと気づいたからだ。

なぜかはわからないが、そう感じた。


 「……意地悪ですね」


 「そうかもしれない」


 男はようやく窓から離れて、廊下を歩き出した。

すれ違いざまに、小さく言った。


 「図書室に三百年ものの論文がある。読んでみろ」


 「読みました。さっき」


 男が足を止めた。初めて、少し意外そうな顔をした。


 「そうか」


 「フィリアさんに教えてもらいました」


 「……あの婆さんとは知り合いなのか」


 「婆さん」


 「じゃなかったか」


 「それが正しい気はします」


 男はそれを聞いて、口の端がかすかに動いた。

笑った、と言えるかどうかわからないくらいの、かすかな変化だった。


 「そうだな」


 少し間があった。男が私を見た。


 「名前は」


 唐突だった。


 「……エレナです。エレナ・ヴァルト」


 「宗一郎だ」


 それ以上の説明はなかった。

家名も出身も何もなかった。

宗一郎、という名前だけを名乗った。


 「宗一郎、さん」


 「ああ」


 その時、男の肩の上で何かが動いた。

丸い、薄く光っている不思議な生き物のような何か。

甲高い声を上げ、短く、はっきりと、何かを言った。


 宗一郎が口を開く前に、もう一度声を上げた。今度は少し長かった。


 「……この子は」


 私が聞くと、宗一郎が答えるより先に、丸い何かがまた声を上げた。

胸を張っているような、そういう動きをしていた。


 「テオ、と言っていますか」


 丸い何かが光った。強く、嬉しそうに光った。


 「勝手に名乗るな」と宗一郎が言う。


 テオがぷいと顔を背けた。


 「テオ、というんですね」


 テオがまた光った。今度は私に向かって、柔らかく光った。


 「よろしくお願いします、テオ」


 テオが甲高い声で何か言った。長かった。嬉しそうだった。


 「よろしくと言っていますか」


 「腹が減ったと言っている」


 「初対面でもそう言うんですか」


 「いつでもそう言う」


 「それは、テオが正直なんですか。それとも宗一郎さんが」


 宗一郎は少し間を置いた。


 「さあな」


 また、その言葉。

昨夜と同じ言葉だ。

しかし今日は、昨夜より少し軽く聞こえた。


 「行くぞ、テオ」


 宗一郎が言って、歩き出した。

テオが名残惜しそうにこちらを振り返ってから、宗一郎の肩にしっかりと乗り直した。

 廊下の角に消えていく。

足音がない。

気配がない。

ただテオの光だけが少し残って、それも消えた。


 私はしばらく、二人が消えた方向を見ていた。


宗一郎。テオ。


名前を持っている人たちだった。

当たり前のことだが、なぜか今更そう思った。

名前があって、肩の上に不思議な生き物がいて、廊下を歩いている。

謎多き異邦人。


 「……なんなんですか」


 今日も、誰にも届かない声で、そう言った。

 しかし今日は、昨日より少しだけ、その声が柔らかかった。

 自分でも、気づかないくらいに。

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